第三話 三年五組沢田美由紀③
世の中には、いろんな人間がいる。
人は、生まれた瞬間から違う生き物なのかもしれない。
同じ場所にいても、同じ匂いをまとっているわけではない。
不思議なもので、生まれ落ちた瞬間には無垢なように見える。
ところが、生まれ落ちた瞬間から、性根には臭いがある。そこへモドキが寄ってくる。
それがどうしてかは、わからない。ただ、モドキは上手に宿主を探し出す。
美由紀の母親は、そこそこの器量良しでも、取り立てて目立つ存在ではなかった。
ところが結婚後しばらくして、夫が事故で一ヶ月ほど入院することになった。
その間に、生来固い人間だった夫の兄が豹変した。
新居へ、畑で採れたものを持ってきただけだった。弟の妻はというと、特に何もなく礼を言って受け取っただけだった。
何気なく出された茶を飲み、世間話をしていた時のこと。
義兄は急に抑えきれない衝動に駆られた。弟の妻は、嫌がりながらも何も言わなかった。
それからだった。夫が入院中の妻の元へ、夫の兄は通い詰めた。
何か悪いものに取り憑かれたようだった。そうこうするうちに弟の妻は妊娠した。
それが、美由紀だった。
妊娠がわかった途端、憑き物が落ちたように義兄は遠ざかった。
その後、弟夫婦の間は仲睦まじかったが、美由紀以外に子供はできなかった。
中学校の帰り道、父親の車が叔父夫婦の新居の前に止まっているのを、雄一郎は何度か見た。何か知らないことにした方がいいように思えた。
雄一郎はふと、そんな子供の頃のことを思い出していた。
「親父はまた、悪い虫が動き出したんか。困ったもんや」
父親は畑で採れた野菜などを持って、毎日のように美由紀の母親の元へ通っていた。
美由紀は、最近家の中が臭く感じるようになっていた。
「なんか最近、魚の腐ったような臭いすることない?」
「あらやだ。夏だから生ゴミが臭うのかしら。気をつけるわね」
美由紀には、覚えのある臭いだった。パパ活中、こういう臭いの人と会うことがあった。美由紀は吐き気がするので避けていた。
中にはまれに、美由紀のように臭いを感じる者がいるようだった。
最近この臭いのせいか、よく気持ちが悪くなりオエッとすることはあったが何かを吐くことはなかった。
それは美由紀自身には見えていないだけだった。
モドキはすぐ近くにいる母親の体内に吸い込まれるように移っていった。
モドキはモドキを呼ぶ。
臭いは臭いを呼び、濁りは濁りを選ぶ。
母親に巣喰うモドキにとっては、美由紀の中のモドキを取り込む方が、早く進化できる。
パパ活を重ねる間に美由紀へ巣喰っていたモドキは、どんどん臭いを強める母親へ、次々と宿主を乗り換えていた。
「ねえ、美由紀。お母さん……」
「どうしたん?」
「ううん、なんでもない。いってらっしゃい。今日も遅くなるの?」
「うん、そのつもりやけど。なに?」
「ううん、頑張ってるんやね」
美由紀は塾で講義を受けると、そのまま塾の自習室で勉強してから帰ることが多くなっていた。
大都市で会社勤めしている雄一郎は、駅前の本社ビルへと移動になっていた。
「たまにはメシでもご馳走してやるか」
雄一郎は駅のコンコースを塾へ向かって行く。すると、前から仲よさそうにくっついて歩いてきた美由紀と伊藤を見つけた。
「おい、おまえ。こんな遅い時間に、美由紀とどこへ行くんや」
伊藤と話がはずんで、美由紀はすっかり帰りが遅くなってしまっていた。雄一郎は二人を呼び止めると、伊藤に食ってかかった。
先日話したことを、この男がどこまで考えているのか疑った。
二人を連れて駅中の喫茶店に入り、雄一郎は伊藤の言い分もそこそこに説教した。特に雄一郎は、伊藤の外したばかりの指輪の跡が気に入らなかった。
「いいか、相手は高校生や。いくら相談が長引いたからって、そこは大人の判断で切り上げるのが常識やろが」
声は低く小さいが、だからこそ怒りがハッキリ見え隠れした。
「おまえ、今から帰ったら、美由紀が家に着くのがいったい何時になると思ってるんや。田舎の暗い夜道を遅い時間に歩かせることになるんやで」
「お兄ちゃん、ごめんって。これから気をつけるから、今日は許して。ねえ、もう帰ろうよ」
「ダメだ。美由紀もよく考えるんや。人に頼っていいことと、そうでないことがあるんや。何でもかんでもすぐ人に頼るな」
美由紀は地元の街まで雄一郎と電車で帰ってきた。二人掛けのイスに並んで座ったまま、どちらも一言も話さなかった。
美由紀はずっと考えていた。雄一郎が伊藤へ言ったことを。
──何でもかんでもすぐ人に頼るな
そういうつもりはなかった。だが、考えてみれば、結果的にはそうなっていた。
駅に着き、降りて辺りを見渡すと、周囲は皆、酔っ払った大人ばかりだった。雄一郎が上手に避けてくれているのがわかる。
「お兄ちゃんは、やっぱ頼りになるね」
美由紀は雄一郎の背中に隠れながら、駅の外へ出た。
そこもまた、夜の街が広がっていた。地元の大きな商店街から繁華街、歓楽街へと続いていく。商店はとうにシャッターを下ろしていた。
「お兄ちゃん、ごめんなさい」
「何がや」
雄一郎は美由紀の家へ電話をかけていた。しかし、なかなか母親は出なかった。
「美由紀、この先の駐車場に車停めてある。そこまで歩いてくで」
父親が今夜は寄り合いがあると言って出かけたのを、雄一郎は思い出していた。
「お母さん、なんて?」
「おう、なんや。飯まだやったら食わせてやってくれって」
「そっかあ。最近、お母さん、体調悪いみたいで、いつもそうや」
「そうか。車やで、ちょっと遠くても好きな店いけるで」
ふと雄一郎は、気づいた。なぜ、美由紀が遅くまで予備校に残っているのか。
「そういうことか……」
雄一郎は誰にも聞こえないよう、口の中で呟いた。
──親父にも一発かましたらないかんな
雄一郎の母親も、見て見ぬ振りが得意だった。田舎はそうでないと暮らしにくい。ちょっとした言い争いでも、すぐに隣近所へ知れ渡る。
由良姫と宇羅彦は夕飯を食べ終わると、宇宙依からの連絡を待っていた。
今夜、隣の市にある住宅街で、大きなケガレが生まれるかもしれないという先見があった。
宇宙依には、そのケガレが今までになく大きく視えていた。
それはもう、何人という単位ではなかった。家が何軒か、丸ごと呑み込まれるほどの大きさだった。
万里依は、その家を前からマークしていた。由良姫たち二人が通う高校の三年生、沢田美由紀の家だった。
もちろん、彼女がパパ活グループの一人だったこともわかっていた。しかし、万里依が視ていたのは美由紀ではなかった。
宇宙依はなかなか動く気配がなかった。万里依と動くタイミングを見計らっていた。それは、視えている状況が難しいものだという表れだった。
やっと宇宙依から電話がかかってきた。
もう夜の十時を回ろうとしていた。
「そこに初音と凛華はいるか? 出かける準備しておいて。万里依は例のダンスチームの送迎に出とる。そのまま女の子ら送ったら合流することになっとる」
十時半になったら、眴が由良姫と宇羅彦、初音と凛華を乗せて目的地まで行くことになった。
どうして全員で向かうのか、由良姫はひどく落ち着かなかった。
何度か水泳部のシャワー室の前で会っただけだった。でも狐のケンを撫でてくれたり、何度か言葉を交わしたことがあった。
そういう顔見知りが、大きなケガレに関係してくるなんて初めてのことだった。
そこへまた電話がかかってきた。宇羅彦が取ると宇宙依からだった。
「俺も一緒に行くで。そっちに着くまで待っとって」
「宇宙兄、それって」
「ええか、黙って聞け。ケガレは一件だけやない。隣続きに、三軒。同じような建売住宅や。真ん中が真っ黒になっとる。行けばわかる。まずはおまえらの力で結界張ってその真ん中を切り離す」
「で、俺と由良が行くんか」
「そうや。デカいで。鹿野神は猪野神が来てからや」
「うっす」
由良姫の不安が伝染するように、初音も凛華も黙り込んでいた。
「怖いんやったら、行かんでもええ。俺一人で大丈夫や」
「そんなつもりやない。話が見えんから不安なだけや」
「祓いなんて、そんなもんやっ!! どうするんや、行くんか行かへんのかっ!!」
由良姫はブレスレットを片手で包み込んだ。
そして顔を上げると、宇羅彦を睨みつけた。




