第九話 光と影の場所
初音と凛華は、数日ほぼ毎日のように大きな街まで行っていた。そのことについて、夕食の後に話すことにしていた。
先に風呂に入ると、小ざっぱりとして、縁側で涼んでいた。
蚊取線香の煙がゆるやかに漂う。二人はデザートに眴特製の、プルップルのわらび餅を堪能していた。
由良姫と宇羅彦は今日は一日、学祭のマスコット作りを手伝わされグッタリして帰ってきた。
「いいですか、きちんと束ねて、髪留めでまとめるか帽子に入れるか。どっちかしないと本当に切ることになりますよ」
「えーん!! 眴ちゃんがイジメるっ!!」
「おまえが言うこと聞かんからやし」
「二人とも汗でドロドロじゃないですか、サッサと風呂場へ行ってください。廊下が汚れます」
眴からの容赦ない言葉が飛んでくる。潔癖症の眴らしい。
宇羅彦が風呂から出てきて、廊下にぼたぼた、頭から雫を落としながら歩いてくる。
「本当にそういうところばかり奏司さんに似て!」
眴が追いかけながら頭を拭く。
奥からはヘアドライヤーの音が聞こえてくる。長い髪の毛を二十分くらいかけて手入れし、由良姫がやっと居間に現れた。
「えーっ!! いいなあ、新プリでアフタヌーンティーなんて」
机の前に座ると、凛華が振り向きざまにこう言った。
「そうそう、万里依さんに報告せなあかんと思うんやけど。例の、由良姫たちから聞いてた、パパ活女子グループ? 消えたで」
「消えた?」
「うん。街のそれらしいところ行ってみても、なんやろ、気配がないねん。ごっつう臭うてたで、もしかして祓われたかも知らん」
「凛華、どういうことや」
近くで扇風機を独り占めしていた宇羅彦が尋ねた。
「どういうことも何も。なあ、初音」
凛華は説明に困ると、よくこうやって初音を頼った。
五感を使って感じ取る力は、凛華の方がはるかに上だったが、伝える術は、圧倒的に初音が上だった。
「実はな、あんたらから聞いてた、高校のパパ活してはるらしいグループの話。だいたいの活動場所はわかってて、毎日追いかけてたんよ。それが……」
初音にしては珍しく言い淀んだ。そして眴の方をチラリと見て話し始めた。
「うっかりしてたうちも悪いんやけど。眴さん、神守我央って人、知ってはる?」
眴の表情が急に険しくなった。宇羅彦がすかさず間に割って入ってくる。
「ほんで、その人がどうして出てくるんや」
「新プリの裏手の方へ行ったところで会うたんやけど。ケガレ対策室とかいう、警察手帳みたいなん持ってはった。それでケガレが発生するけど、うちらでは危ないから近寄らんようにって」
「ってことは、その人は、おまえらが追いかけとったパパ活女子を見失った辺でケガレが出る言うたんやな」
「まあ、そうなるんかな」
「で、パパ活女子グループが見当たらんと言うことやな」
初音は頷いた。宇羅彦が眴の方を見る。眴の眼差しは険しいままだった。
由良姫がわらび餅を持って、凛華のそばへ寄っていった。
「凛華はどうなん」
「うちは、その子ら全員祓われた……思う」
凛華は小さな声で呟いた。
その声は宇羅彦の耳に届いていた。
初音は気にも留めず、眴へ我央のことについて話していた。
「眴さん、知ってはるんや。その人、うちらに、あんまり危ないことせんようにって」
「そうですか。そこまで気が回らなかった私の落ち度です。確か、新プリへ行かれたんですよね。あそこは少し南に行くと、急に危なくなりますので。できればもう行かないで下さい」
「へえ、眴さんは常世の眼ぇだけやのうて、現世の眼まで持ってはるみたい」
初音が驚きながら、まさにその辺りで神守我央と会ったことを話した。
その区域では、ここ数日、ケガレが発生していた。東の首都から、神守たちが隣県の大きな街へ来て滞在していることは、眴の耳にも届いていた。
「お二人には、行ってはいけない場所を地図にマークつけますから。持ってるガイドセンターでもらってきた地図を出して下さい」
眴はいつになく厳しい口調で言いつけた。初音と凛華は、いつもおっとりやさしい眴の変わり様に、驚いて地図を渡した。
由良姫と宇羅彦も寄ってきて見ていた。
駅裏から西の方と中心街から新町の南の方、丁寧にブロックごとに細かく赤く色分けされた。
そこは、街の裏側だった。表の光が届かない場所。
大きな街のダークサイド、違法な行為が平然と行われている、そんな地区だった。
昼間でさえ、一本路地裏へ入ると日本語が通じない。
見た目は雑居ビルなのに、ラブホ代わりの多目的なレンタルルームが建ち並ぶ。
明るい新開発地区から取り残された、闇の部分だった。
「えーっ!? なにこれ。予備校ってこんな際どいとこにあるん?」
「そのちょっとの差が、危ないんです。一本入ったら闇ですからね」
予備校に隣接する先には大きな結婚式場。教会で式が挙げたい人用に造られたチャペル。華やかな場所が続く。
しかし、その裏手は薄暗いビルばかりで、一気に人通りが途絶える。
他にも、劇場の裏から運河へ抜ける料亭街。運河沿いにはキャバレーとバーが並ぶ。
どの通りも、一本横へ入れば昼間でも空気が変わる。
表通りは華やかな街並みに囲まれていて、一筋内側に入ると街の表情が変わる。
「神守我央さんが、こちらまで来たということは、余程のことです」
眴は少し間をおくと、軽くため息をついた。
まだ、奏司との約定が生きているのだろう。都会での祓いまでは要求されていない。
「明日は大きな街まで行くのはやめて勉強しましょう。お二人も夏休み中の課題など、勉強も見てほしいと言付かっていますし」
「えーっ!? マジか……」
凛華がげんなりとした顔をした。明日は昼から芥見へ行くまで四人揃って勉強となった。
芥見本家へ集まった面々は、その報せをすでに受けていた。
今や、東の首都を中心とする神守の中でも、絶大な影響力を持つ家筋となっていた。
神守我央が現れた。
「今の神守は、国まで動かせる」
芥見の主人は低い声で一言漏らした。
テレビでは、今日から大都市中心に、夏休みならではの、未成年者への一斉補導が強化されるというニュースを流していた。
大きなニュースにはならなくとも、大都市の裏側では、昨夜は数カ所のホテルなどで異臭騒ぎが起きている。件数は多くはないが、確実にケガレが祓われている。
「大都市の夜の繁華街で、中でも治安のよくない場所やで、そういうとこは神守にやってもろたらええんや。わざわざ関わらんでよろし」
万里依から報告されたケガレの事件は、とても高校生では太刀打ちできないものばかりだった。
しかし、そんな大都市の真ん中で起きている規模と変わりのない事件の火種が、この離れた田舎でくすぶり始めていた。
時として話題は、派手で大掛かりなものへと注目を集めやすい。お盆に行われる大都市での祭りについてもそうだった。
『ザ・祭り』は、全国からダンスチームが集まってくる、一大イベントへとなっていた。
皆が集まって話をしている最中、ちょうど鹿野神家から、お盆は五山の送り火があるから帰ってくるよう連絡が来ていた。
今年の夏は、西の首都は、国家元首が戻られたとあって、一際賑やかさが増しているようだった。
「お盆かあ、お盆はなんやワサワサして苦手やわ」
「ご先祖様のように、良え者ばっかが帰ってくるわけやないさかい」
お盆には、常世の大河との境の堤では夜通し篝火が焚かれる。なるべく闇をなくし、闇に潜むものが憑いて来ぬよう。
また贄となった先祖の御魂を供養するためでもある。
「今年は、奏司さんの初盆ですから、御子姫殿の元へ行きますよ。忘れてないでしょうね」
眴が由良姫と宇羅彦に念を押した。
座敷の奥からは芥見の主人が、眴を見据えていた。
眴には視えていた。
ここにも、大きな闇が潜んでいる。
光と影。
その狭間で、一族は静かに揺れていた。




