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御子母の惑星─みこものほし─第二部 改訂版  作者: 宮生さん太
第二章 夏の盛りは

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第四話 モドキからケガレへ

 我央はずっと立ったまま、従業員の後ろからモニターを見つめていた。

 まだ、完全ではない。だが、部屋の隅に沈んだ濁りが、少しずつ呼吸を始めていた。


「最初に言った金額じゃ払えないな」


 男は条件を変え始めていた。

 二人は顔を見合わせる。逃げたいのに、逃げられない。

 男の声が低くなるたび、部屋の空気が濁っていく。


 我央の目が、モニター越しに細まった。


「……来る」


 男の背後に、黒い揺らぎが立ち上がる。それは欲望そのものではない。

 濁りが共鳴し、増幅しただけのものだ。

 ケガレは、こういう場所を好む。


「残りは?」


「終わった後に決まってるだろ」


 二人は顔を見合わせた。

 一人がスマホを握り直す。もう一人はバッグの持ち手を強く掴んだ。

 それでも、どちらも立ち上がらなかった。


 男の指が、テーブルを叩く間隔を早めた。

 唇の端が引きつり、呼吸が浅くなる。自分でも苛立ちの置き場がわからないまま、男は二人を睨んだ。


 臭いが強くなる。


 ほんの少しのことだった。

 だが、二人の中に巣喰うモドキには、それで足りた。二人の手のひらにも、じっとりと汗が滲み始めていた。


 部屋の中は、冷房が効きすぎるほどなのに、二人はそれでも暑さを感じ始めていた。


 一人の女子が喉を押さえた。

 奥から、何かが押し出されるようにせり上がってくる。

 体を折り曲げた瞬間、黒い海鼠のような塊が吐き出された。

 吐瀉物の中でそれはくねり、細く伸び、男の方へ這った。


 もう一方の女子も、口元を押さえた。

 唇の端から、黒いヒルのようなものがゆるゆると垂れる。

 それらは一度床に溜まり、一つにまとまると、男めがけて跳ねた。


 二人の女子から、とめどなくモドキが溢れ出した。

 床を這い、跳ね、黒い筋となって男の体へ集まっていく。


 男の体が急速に痩せ衰えた。

 皮膚の下で、何かが忙しなく動き回る。そのたびに、男の手足が奇妙な角度で跳ねた。


 次の瞬間、モドキは一斉に男の体を離れた。

 今度は、二人の女子へと降るようにたかっていく。蟲が飛びかかるように、あっという間に顔を覆い尽くした。

 黒いものが、皮膚の下へ潜っていく。


 さらに、部屋の濁りそのものから湧いたかのように、モドキが増えた。

 三人を取り囲み、渦巻く。


 三人の肌は急速に乾き、色を失っていった。

 指先が痩せる。頬が落ちる。眼窩が深く沈む。

 口が裂け、顎が突き出してくる。


 空気が裂けるような音がした。


「……共鳴が早い」


 我央は低く呟いた。


 黒い揺らぎは、互いの身体を媒介にして絡み合い、一つの塊へと凝縮し始めた。

 まだ完全なケガレではない。

 だが、もう誰も、自分の体を自分のものとして動かしてはいなかった。


「ううう……うあおお……ぎゃぎゃぎゃぎゃ……」


 人のものとは思えない声がした。

 喘ぎとも、雄叫びともつかない。

 乾ききった三体は、互いに喰らい始めた。

 常世の穢(ケガレ)が共喰いをする様子に似ていた。

 

 容赦なくかぶりつき、肉だか何だかわからない黒いものを食らっている。


 とんでもない臭気が、従業員の控え室で待機していた我央の元にも届いた。

 ケガレ特有の生臭さだった。


 我央は従業員へ、誰も三階へ来させないよう念を押した。

 それから一人で、三人がいる部屋へ向かった。

 

 ケガレが、間もなく生まれようとしていた。


 ケガレは喰い合ったところから繋がり、融け合い、一つの醜い怪物へと変わり果てていた。


 指先には鰭のような膜が張った腕が、何本も生えている。

 顔の一つは腹の中心にあり、二つの頭が小競り合うように髪を振り乱していた。

 腐った魚の臭いは、ポロポロと剥がれ落ちる鱗からも漂っていた。


「そんなことまで覚えたか」


 我央は一歩だけ踏み込み、輪紋と響紋を重ねた。

 光は広がらなかった。部屋の中だけを満たし、逃げ道を塞ぐように閉じていく。


「ウ、ウギ、ギヤャァァアアッッ!!」


 ケガレは祓われる瞬間、まるで人のように断末魔の声を上げていた。


「人間三人分の塊か……」


 放っておけば、部屋いっぱいに広がった瘴気はエアダクトを伝い、他の部屋へ流れこんでいた。

 祓うのが、あと少し遅れていたら。


 ならば、もっと早く祓えばいい。

 理屈だけなら、そうなる。


 しかし、気枯れを起こしているミイラ化した人間は、まだ人として扱われる。首都では、その段階でも言葉を発した者がいた。

 人の言葉を発するものを、国の組織はケガレとして処理できない。


 だから現実には、完全なケガレと見なされてからの方が、処理は早い。


 由良姫や宇羅彦には、まだ知らされていない事情だった。

 眴には伝わっていた。


 けれど眴は、高校生になったばかりの二人に、本格的な祓いの仕事をさせるつもりなどなかった。

 だから、危なくなったら祓えばいい、としか言わなかった。


 その代わり、ケガレとは何かだけは、幼い頃から叩きこんでいた。


 ケガレとは、どこか遠くからやってきたものではない。

 昔から、すぐそこにあった。

 ただ、時代とともに形を変えてきただけだった。


 だが、今のケガレはどうだ。

 人のような顔がつき、腕の先には鰭(ひれ)のような膜が張り、指が生えていた。魚のような尻尾で、現世を歩こうとしている。

 

 出来損ないの人魚のようなものが、ミイラ化した人同士を共喰いさせ、融合し、常世(とこよ)ではなく現世(うつしよ)で強大な力を得ようとしている。


 いったい何のために。

 

 二十年ほど前、常世では最後の大きな戦があった。

 その後、これ以上、常世の大河へ出て戦はできないと、時の輪紋衆総代と響紋衆頭領は、結界によってケガレを封じこめた。


 だが総代は、いずれケガレは大河から上がってくると告げていた。


 奏司は真白の男神(おがみ)の依代(よりしろ)となった時、遠い昔のケガレの姿を見ている。

 尾鰭の途中から生えた後ろの鰭が、まるで足のように地に立ち、歩いていた。


 祖還(そがえり)を起こそうとしているのは、輪響紋衆だけではなかった。

 それよりも早く、そして強く祖還をするのはケガレだろう。


 奏司は難しい腫瘍と闘いながら、ケガレとケガレモドキに起こり得る変化をレポートに残した。

 変異、変容、変貌。

 あらゆる視点から、次に起こることを見ようとしていた。


 そして、願わくばと。子らの行く末を案じた。


 御子姫の結界がいつか力尽きることも、その時までに人が変われるかどうかも、奏司は見ていた。

 結界が解かれた時、この惑星(ほし)はケガレに覆われる。

 

 けれど、その中で最も危惧していたのは、もっと近くにあるものだった。


 モドキの脅威。

 体内にいる間には祓うこともままならない。知らぬうちに人の気を喰い荒らし、ゆくゆくはケガレへと変化させていく。


 モドキこそが、昔から人のすぐそばにあったケガレの正体だった。

 そのモドキにもまた、現世(うつしよ)での変容が始まっていた。


 モドキがこのような経緯で人をケガレにするのはわかっていた。

 しかし、その変容の速さは予測できなかった。


 常世の穢(ケガレ)などよりも、昔から人とともにある、モドキが人に巣喰う方がどれほど危険であるか。


 それを奏司は最も案じていた。

 なぜなら、由良姫と宇羅彦が対峙しなければならないものは、まさしくソレだったからだ。


 由良姫と宇羅彦たち、若い二つ紋の前に、神守我央が現れた。

 それは、奏司の予測より五年も早かった。


 奏司は生前、神守我央と一つの契約を交わしていた。

 これだけは譲れない、という。


 由良姫と宇羅彦は、十八歳になり、再び御子姫と会い、成人として、戦人として認められるまでは、国の組織では動かさない。


 次世代の輪響紋衆が、国家の手駒にされることだけは、奏司は避けたかった。


 贄(ニエ)は、もうたくさんだった。


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