第三話 神守我央
今日も初音と凛華は揃って大きな街へ出ていた。
ところが、いつもの駅裏は様相を変えていた。壁画前には警官が立っている。
「あかん。場所変えよ。駅前の方行ってみよか」
駅前は、駅裏とはまるで違っていた。
暗いコンコースを抜けた途端、急に華やぐ。大型ロータリーの向こうには、外資系のホテルと、東都でも名の通った百貨店が並んでいた。
表の顔だけが、化粧をするように塗り替えられている。
しかし中身までは、変えようがない。
駅裏は、暗くなるコンコースのように、まだ取り残されていた。
凛華はニッと笑うと、初音の腕を取って地下鉄へと向かった。
「なあなあ、栄の方、行かへん? ずっと行きたかってん」
「凛華は栄で遊びたいだけやん」
この日、駅裏から栄町へと場所を変えた、凛華の勘は、というか、鼻は冴えていた。
栄と呼ばれる場所は、大きな街の中心部にあった。
いくつもの高級百貨店と高級ブランドの路面店が並ぶ緑豊かな大通り。
アミューズメント施設が並ぶ繁華街へと続く大通り。
そして、夜の街として国内有数の歓楽街という顔を持つ一角が、違和感なく当たり前のように混在していた。
凛華と初音は、新栄と呼ばれる地区に新しくできた高級ホテルのラウンジにいた。
大通りを越えると、店の看板も、歩いている人の層も変わる。
新しいホテルの硝子張りの足元に、古い歓楽街の名残がまだ残っていた。
そんなことまで知らない初音は、ホテルのティールームにある有名なアフタヌーンティーセットを目当てに、凛華を誘って来ていた。
偶然にも、パパ活グループの一人、水泳部三年の美由紀がロビーで男性と一緒にいた。
美由紀は首を横に振り、男から一歩離れた。男はまだ何か言っていたが、美由紀は視線を逸らした。男は渋々ロビーから出て行った。
すると、間もなく先ほどより見た目もスマートで、年齢も少し若そうな男性がやってきた。
「へえ、ゴツいなあ。昼間の高級ホテルやで」
「どうせ、待ち合わせだけやろ」
初音が言った通り、交渉が成立したのか、美由紀は後から来た男とホテルから出た。その男の車がエントランスへと回される。高級外車だった。
「初音はよう見てはるなあ」
凛華は感心していた。初音はぐるりと見渡すとため息混じりに呟いた。
「ここのラウンジ、言っちゃ悪いけどそんなんばっかやわ。大人も子供も」
凛華も気になって見ると、何やら黒っぽい靄がかかった男女が笑いあっている姿が目に入った。思わず立ち上がりかけた凛華へ、初音が声をかけた。
「さあ、うちらもいただいたら、路面店にでも行ってみる? うち、寄りたいとこあるねん」
初音は勝手に、ネックレスのチェーン直しに店へ入っていった。
そこでもおねだり中の、パパ活らしい一人に出くわした。
「……コレ、もう臭いレベルやあらへん」
凛華は笑えなかった。高級ブランドの店内は魚の腐ったような臭いがした。
早々に、別のブランドショップへ向かった。そのブランドはJKに絶大な人気を誇っていた。
初音と凛華は、パパ活中らしい女子二人を見つけた。二人は、一人の年配の男と一緒に高級ブランド店へ入っていく。
「うわあっ! マジか!?」
「二人一緒でもええやん。お金持っとるんやったら」
凛華が驚くのに対して、初音はシレッとしていた。
「でも、さっきの店の子からも結構、臭ってへんかった?」
「ごっつう、臭かったえ」
二人は繁華街の真ん中にある公園で、ちょっと休憩しながら話していた。すると、得体の知れない雰囲気の男が話しかけてきた。
「君たち、高校生?」
「そやったら、なんなんです?」
「西の訛りだね。観光客? この公園、夕方になると物騒になるから。気をつけた方がいい」
初音は男の首元に輪紋が見えるのを見逃さなかった。
この真夏に、スーツをきっちり着こんでいた。
「待って下さい!」
男は立ち止まって振り返る。サングラスを外すと、眩しそうにしながら二人を見つめた。
「お互い、紋のせいで。夏なのに長袖着こんで、大変だよね」
男の袖口からは響紋も見えた。
「まさか、二つ紋ですか?」
「だったら、何? 驚いた?」
「いえ、叔母から聞いてます。神守に、少し年上の二つ紋がいてはるって」
「そう、なら話が早い。実は神守にも視える人がいてさ。この街で立て続けにケガレが発生する」
男は、凛華たちがパパ活女子たちを見かけた辺りを指差していた。
「君たち、もしかして、知っててここに来たの?」
「そうやったら、何かあるんですか?」
「今回は場所が場所だから、こちらに任せてもらえないかな」
「ええですけど、その女の子ら、ケガレになるんですか?」
「お知り合いか何か? それとも、藤吉の二人が通う高校と同じとかかな」
「いや、ええわ。さっきの子らは直接関係あらへんし」
初音の丁寧な対応に比べ、凛華は由良姫たちのことが出た瞬間に会話を切った。
「芥見の方々に、よろしくお伝え下さい。神守我央といいます」
我央は、初音と凛華に、警察手帳にも似た身分証を開いて見せた。
「内閣府ケガレ特別対策室の身分証です」
我央は身分証を上着の内ポケットへしまいながら軽く念を押した。
「いずれは皆さんの元へも、保護者を通して連絡が行くと思います。その時までは、あまり危ないことに首を突っ込まないよう。気をつけて下さいね」
サングラスをかけ直し、我央は街の奥へ歩いていった。
「なんやアイツ。ほな、行こ。たしかに、この辺ちょっと色が違うわ」
凛華は初音と腕を組んで、表通りへ足早に向かった。
──さっきの男。魂の色が同じやった。由良姫や宇羅彦と。
ケガレの気配を色濃くまといながら、神守我央は一切の浸潤を許していなかった。
白と黒が、歩いている。凛華には、そう見えた。
凛華は離れてからちょっとだけ振り返る。
よく見ると公園では、女が一人で立っているのが増えてきていた。
どこの街でも、そういう溜まり場みたいなところはあるものだ。
二人に会う前、神守我央はすでに一件、ケガレ化した男女を祓っていた。
我央にとっては、この日一件目の処理にすぎなかった。
レンタルスペースには、女子高生らしいピンクのエナメルミニバッグと、水色のブランドショッパーだけが残されていた。
公園を後にした神守我央は、さきほどの男女三人が入っていったカラオケボックスへ向かった。
我央は若干二十三歳で、ケガレ特別対策室の室長に任じられていた。
我央は最初の二つ紋として政府の息がかかる者の手で育てられ、十五歳で最初のケガレを祓った。
以来、彼は祓いの現場だけでなく、提携医療機関で人がケガレへ変貌していく過程を見続けてきた。
どうせ、この現象は止められない。
それならば、どのように人がケガレになるのかを一つでも多く見届け、祓うことで、自分の中で蓄積を作る。
祓う側は、決して忘れることはない。
我央はカラオケボックスへ到着すると、カウンターで身分証を見せた。
従業員の話では、どう見ても未成年らしい女二人と、年配の男だった。
三人は三階の一室を借りていた。同じフロアには似たような部屋が並んでいる。
我央は三階の他の部屋を空けさせた。
それから従業員と一緒に、廊下のカメラ映像を見ながら待機していた。
東都では、ケガレが原因だとしか思えない事件が多発していた。
ケガレ対策室の身分証は、地方都市ではまだ通りにくい。しかしこの街では、すでに県警にもケガレ特別対策本部が置かれていた。
部屋では、男性が二人に対して難癖つけていた。
カラオケボックスの部屋なのに、誰もマイクを取らない。メニューも見ない。曲も入れない。
三人は、ただ話ばかりしていた。
部屋の中は、なぜかやけに冷えていた。
「全額前金はダメだって言ったろ」
男はソファに深く座り、テーブルを指で叩いた。
「逃げられたことあるんだよ」
二人は黙っていた。
「ちゃんとやれば、ちゃんと払う。順番守れ」
声は怒鳴っていない。むしろ静かだった。その静けさが、重い。
一人が小さく言った。
「……残り、ちゃんともらえますよね」
「疑うのか?」
空気が、ぴたりと止まる。男の視線が細くなる。
部屋の隅に、見えない濁りが溜まっていく。
すでに彼女たちの内に巣喰っていたモドキが、その濁りに反応しかけていた。
男の苛立ち。焦燥。支配したいという歪み。
それは欲望そのものではない。濁りの質が似ているだけだ。
けれど、モドキは区別しない。
「早くしろ」
低く言った瞬間、片方の女子の呼吸が浅くなった。
テーブルの上の水が、かすかに揺れる。
防犯カメラ越しに、我央の視線がわずかに鋭くなった。




