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御子母の惑星─みこものほし─第二部 改訂版  作者: 宮生さん太
第一章 再来の初夏

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第十話 ケガレとモドキ

 穢(ケガレ)は通常、常世(とこよ)の大河にいる。その変容があまりに激しく、もはや従来の方法では祓えなくなっていた。

 そのため御子姫が自身の持つ霊力気力を投じ、常世との間に結界を張った。


 結界を張った御子姫に付き従うことを許されたのは、異形の里の者たちのみだった。彼らは、御子姫と同様、霊力気力とも強かった。


 結界の護りには、御子姫と豪鬼もいた。

 御子姫は、由良姫と宇羅彦の母である。底知れぬ強大な力を持つ『祖還(そがえり)』の人物だ。

 由良姫の父は奏司。宇羅彦の父は、実は、鬼人という異形である豪鬼だった。


 奏司と豪鬼は、母を同じくする兄弟でもある。

 そしてもう一人、同じ母から生まれた兄弟がいた。


 神守(かもり)我央(がお)である。


 我央は現在、ケガレの件で政府中枢に入り込んでいる。輪紋響紋、その二つを併せ持って生まれた、最初の二つ紋。

 血縁上、由良姫と宇羅彦にとっては叔父にあたる。


 ケガレと似たもので『モドキ』というのがいる。

 これは昔から存在する「ケガレのようなもの」である。


 モドキは誰の中にも巣喰っており、気を喰い荒らすことで気枯(けが)れを起こす。

 気が枯れ始めることにより、体が保てなくなりミイラ化が起きる。


 ミイラ化が始まると、もっと早く気を喰らい尽くそうとモドキが一斉に取り憑く。みるみるうちに気枯れて魂の蝕が始まる。

 魂の蝕は、気枯れによってケガレが内に目覚め、魂までも喰らい尽くすことだ。


 そして、ケガレへと変貌する。


 これはもう大層昔からあった。

 モドキはうまく宿主を探す。気を喰らった人からもっと気が満ちた人へ、息を吐いた瞬間に移っていく。

 人が集まるところから、また別の人の集まるところへと。モドキとして形を成しながら増えていく。


 そうやって、知らないうちに体の気を喰い荒らしていくのだ。


 しかし今まで、ケガレ化する者は滅多に現れなかった。

 ケガレの大いなる変容が始まり二十年近くが経つ。とうとう市井の内にモドキからミイラ化、そしてケガレ化を起こす者が現れ始めた。


 現世で起きるケガレ化は、常世の穢(ケガレ)そのものではない。モドキに気を喰われ尽くした人の内側に、ケガレが目覚める現象だった。


 最初にケガレとなった者が出たのは、やはり首都だった。その者は黒い痰のようなものを吐いていた。

 時を同じくして、似た症状の病気が流行りだした。体は重だるくなり痩せていく。


 ある日、入院していた患者が、痩せ衰えミイラのようになっていき、長い時間をかけてケガレへと変貌していった。

 その病院には運良く神守の医師が勤務していた。すでにミイラ化の時点で、患者は隔離された。


 陸上で初めてケガレを祓ったのは神守我央だった。

 彼は、若干十五歳だった。


 モドキ。それはウイルスとは違い、特効薬など存在しない。巣喰っていることさえわからない。気が枯れ始めてやっとわかる。その時にはもう手遅れだった。


 ケガレ。それはモドキが引き起こす、人類の変容としか言いようがなかった。ケガレとなったら祓われる以外に道はない。そして消える。記憶からも。


 ケガレ化を起こすことは、もちろん極秘中の極秘だった。モドキの存在自体も人々は知らされていなかった。

 

 モドキが厄介なところは、体内にいる時は祓うことができなかった。

 モドキを見つけ、体内から取り出し、それからしか祓えなかった。それができる者も限られていた。


 モドキは人の体から出ると、すぐさま新たな宿主を探さないと消滅してしまう。だから、鋭くまとわりつく。

 そうしてどんどん、黒い波が広がっていく。


 モドキを大量に宿し、気を喰われ続けた者は、生きながらやがて魂の蝕へ至る。


 それを察知し祓えるのが、魂の蝕を祓うことができる、次世代のケガレの祓士。


 輪紋と響紋を併せ持つ、二つ紋の者たちであった。




 由良姫と宇羅彦は、宇宙依から聞いていた「昼頃学校で起きるケガレ発生」は片がついたと思い込んでいた。

 シャワー室での祓い後、二人はロボコン班と体育館でロボットの試行に熱中していた。


 その頃、音楽準備室では、美咲へのレッスンが続いていた。

 日曜の校舎は、音楽だけを閉じ込めたように静まり返っていた。

 朝九時から始まったレッスンだった。最初は、狭い部屋の中でめぐみと二人きりだった。


 美咲の声は素直だった。

 東の首都、東都の講師に一度見てもらったと、さっき無邪気に言っていた。その言葉が、まだ残っている。


 めぐみは、ここなら自分が一番だと思って来た。

 佐藤先生の元カノ。OG。実習生。肩書きで立っていられる場所。

 だが目の前の十七歳は、肩書きなしで未来を語る。


「めぐみんみたいになりたいです」


 憧れは、時に残酷だ。


 めぐみの胸の奥で、音が外れた。

 胸の底に沈んでいた焦りが、黒く膨らんでいく。


 黒いものが、床の近くを漂っていた。

 校庭側の窓は閉め切られ、エアコンが効いている。

 めぐみが咳き込んだ。その拍子に、大量のモドキが撒き散らかされた。


 モドキは今では、常世の大河から漏れ出る澱(よど)を含んでいる。

 欲望そのものではない。濁りが共鳴すると、増える。ただ、それだけだった。


 佐藤先生の周りは濃い。

 美咲の周りも、細い糸みたいに絡まっている。

 そして、めぐみ。


 めぐみはもう満ち満ちていた。気枯れの調べが始まった。


 佐藤先生が来た時から、彼に巣喰っていたモドキがめぐみに群がっていた。エアコンが効きすぎだと言いながら何度も咳をしていた。

 しかも佐藤先生は、リクライニングチェアに座った途端、崩れるように横になった。その目は見開かれたまま固まっていた。


 美咲は気分が悪くなり、外へ出ようとして扉を開けかけて倒れてしまっていた。肩で息をしようとするたびに、モドキが飛び出していった。


 モドキがめぐみに寄っていく。最初は糸を引くように。最後はまるで雨のように降り注いだ。


 めぐみは立っていた。立っているのに、立てていない。

 ふらふらと揺らいでいた。その揺らぎもモドキが動くたびに大きくなる。


 姿勢がわずかに崩れていき、目の焦点が合わなくなってきた。

 口を開けたまま、息をする音が乾いている。


 モドキが気を喰らい尽くす。

 めぐみの肌はみるみる色を失い始めた。乾いた紙が裂けるみたいに、ひび割れの気配が走る。

 輪郭が、人の形を保てなくなる直前の、あの段階。


 気枯れによるミイラ化。

 魂の蝕が始まっていた。


 その時、体育館の外で、ケンがギャッと一声鳴いた。


 鳴き方がいつもと違う。軽い呼び声ではない。警告に近い。


「……なんだっ!?」


 宇羅彦の声の温度が上がる。

 終わったはずの、あの気配が舞い戻る。


 由良姫は鼻の奥が、ツンと痛むのを感じた。

 あの臭い。気づくはずのないものに、気づいてしまう痛み。


 ケンは非常階段へ走った。

 二人も追う。四階まで一気に駆け上がる。

 廊下へ入る扉が開いたままだった。音楽準備室の扉も、薄く開いているようだった。


 開いているのに、空気が重い。


 由良姫が思い切り扉を開けた瞬間、室内の熱が、押し返してくる。

 音楽が流れている。受験課題曲が流れている。その音量が妙に大きく感じる。大きい音で、隙間を埋めているみたいに。


 中には三つの気配があった。

 佐藤先生、安田美咲、そして樋口めぐみ。


 ミイラ化した体は美しかったろう髪を振り乱し、口には鋭い牙が生えていた。乾いた肌は鱗がめくれ上がっていた。


「行くで、由良姫。大丈夫か?」


「全然オッケー!」


 輪紋と響紋が、掌の奥で鳴る。


 二人は音楽準備室へ飛び込んだ。めぐみを取り巻いていたモドキが、一斉に飛びかかる。

 めぐみへ向けて、迷わず術を放った。モドキも光に呑まれる。


 光は派手じゃない。

 ただ、重なった瞬間に、黒が落ちる。濁りが、床に沈む前に消える。


 めぐみは、人の形を保ちきれていなかった。

 もう、祓うしかない段階だった。


 次の瞬間、そこにあったものは消えた。


 音楽の余韻だけが、止まる理由を失って続いていた。


 美咲は震えていた。何を見たのかまでは覚えていなかった。

 佐藤先生は汗をかいている。自分が何から逃れたのか、理解できないままだった。


 教育実習生、樋口めぐみは、この日ケガレとして祓われた。黒い影だけが一瞬揺れ、そして消えた。


 祓われたと同時に、その存在は人々の中から抜け落ちる。


 ただ、祓いを行った者の記憶には、ケガレとして残っていた。

 ちょうど昼頃のことだった。


 由良姫は一瞬、視線を落とした。

 昨夜のギョロリとした、生きていた目を思い出す。昨夜と違う。今日は、完全にケガレだった。


 だから、祓えた。それでも。


 室内の熱が、少しだけ引いた。音楽だけが、やけに遠く聞こえる。音量だけが虚しく大きい。


「どうする? 篠さん、呼ぶ?」


 由良姫が言う。宇羅彦は頷いた。

 二人は音楽準備室の扉を閉めた。いつものように。何事もなかったように。


 ケンを伴い体育館へ戻る二人の足取りは、驚くほど平坦だった。


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