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17. 黒い丸の向こうに灯る

 朝の灯りは、昨日描いた線の上にあった。


 リコは作業口に立ち、手すりの柱と、補助灯の脚を見比べた。夜の担当が残した記録を副担当が読み、交替の欄に時刻を入れる。クロマは膝より低い丸みで棚の下にいて、淡い目が作業口を向いていた。

 今日、交換する部品は布を掛けた台の上にある。新しいものがあると知っているだけで、終わりが近く見えた。けれど、台へ伸ばせる手はまだなかった。

 主任が最初に確かめたのは、作業へ入らない人の場所だった。見守り担当が風よけ側へ立ち、誘導容器の控えを持つ副担当と目を合わせる。ナギは作業台の反対側で、点検枠の扱いを主任と確認した。

 リコは下の通路へ出る案内を引き受けた。


「箱の方は?」


 主任に聞かれ、彼女は青い鞄の内側に触れた。


「倉庫で受領してもらっています。動かすのは、運航の返事が出てからです」


 主任はうなずき、階段から上へ声をかけた。高い目印を扱う担当の返事が下りてくる。

 リコは両手を空けた。どこかの灯りが点けば、それを自分だけで出発の合図にしてしまいそうな朝だった。


     *


 風よけの中へ、小さな器が置かれた。

 浅い蓋付き容器の中には、力を蓄えた繊維が巻いてある。副担当は始めの目盛りを読み、今日使う量を控えと確かめた。器の傍らには人を呼び寄せるような灯りを置かず、待機する通路の方だけを補助灯で照らしている。

 主任の合図で、器から弱い力が一定に逃がされた。

 リコはクロマの目を見た。

 二つの淡金色が少し離れ、器の方へ向いた。棚へ掛かっていた短い腕が下がる。体はまだ動かず、縁だけが、床に付いた糸くずのように揺れている。

 ナギも待っていた。しずく園では木の台へ当たり、回り込んできた。ここにも柱がある。彼が記録板へ柱を描くと、リコは目の前の床と比べた。動くとしたら、いちばん広い方へ出てくるはずだと、つい先に線を引きたくなる。

 クロマは狭い方へ向いた。

 縁が柱へ触れ、体が少し平たくなった。淡金色の目が一瞬見えなくなり、反対側に戻る。こちらから見える道の広さと、あの生き物が選ぶものは違うらしい。


「そこ、足は出さないでください」


 リコは後ろの作業員へ静かに言った。相手は横木の内側へ戻り、こちら、と次に来た人を手招いた。声を張らずに済んだことが、ありがたかった。

 黒い体が、棚から離れた。


     *


 風よけまでの短い距離を、クロマは幾度も止まって進んだ。

 リコは自分の指が鞄の紐を探しているのに気づいた。鞄は案内台の上だった。手を下ろし、足の置き場所を確かめる。

 器のすぐ前で、黒い丸はしばらく止まった。短い腕が縁へ掛かり、取扱札の半分を隠す。ナギが顔を上げたので、リコも前の棚で同じことがあったのを思い出した。あの時読めたのは、触るな、の三字だった。

 今は人の手元に同じ札の控えがあった。

 副担当は控えと器を見比べ、残量を読める向きへ自分の立つ位置を変えた。クロマをどかそうとはしない。ナギがこちらを見ると、リコは少しだけ笑い、すぐ通路へ向き直った。


挿絵(By みてみん)


 見守りを交替する人が来る。風よけへ入らずに観察できる位置と、器の使用を終える時刻を聞いていた。

 棚の下には、ようやく金具の脚が二本見えた。


     *


 傷んだ側はすでに供給を切り離してあったが、残った力の確認がもう一度行われた。

 主任が覆いを外し、ナギが点検の枠を記録した位置へ合わせる。副担当は別の担当へ誘導の見守りを渡し、交換部品を取りに来た。部品の札と、台に置いた控えを読み上げる。

 外された継ぎ目には、片側だけ毛羽立った繊維が見えた。古い押さえの縁へ擦れた跡が重なり、その下の留めは、別の規格に取り替えられたことがあった。


「ここが、控えと違っていました」


 ナギが言うと、主任は指を近づけずにうなずいた。


「前に変えた所だ。覆いの方へ書いて、そのままだった」


 誰かを責める声は出なかった。ナギは取り外した側の図を描き、副担当が今日使う部品の番号をその横へ足す。後から来た人が外側だけを見ても、二つの図へたどれるよう、控えの所在も書いた。

 リコは上へ運ぶ空の台を受け渡した。金具に触れる仕事はなかったが、人の歩く道を空け続けるのは、思ったより目を離せない。窓口から再開見込みを聞く有線が入り、副担当が返事をする間、誰が彼女の持ち場へ立つかを確認した。

 ナギの交換作業が終わっても、主任はすぐ覆いを閉じなかった。別の角度から取り付けを見直し、手順の途中で抜けたものがないか、一度口を閉じて確かめた。

 リコには、その黙り方がありがたかった。

 終わったと言うのを少し待てば、それだけで飛べる気持ちになってしまう。今日はその言葉が、まだ小屋の中へ出てこなかった。


     *


 点検枠の糸が、平らな形へ戻っていた。

 継ぎ目の前へ置いても、さっきまでのふくらみが出ない。確かめられたのは、この箇所で漏出の反応が収まったことだった。灯台全体が使えるかどうかは、これから灯りと運航の側で確かめる。

 ナギは同じ場所を測り、主任が別の枠で隣の区画を確かめた。時刻を置いた再確認を挟み、予備灯を点ける。窓から見える光が、白い空の中で揺れずに立った。


 港から最初に返った答えは、上の一部が隠れる、だった。

 リコは窓へ寄りかけた。こちらからは見えている。ナギも図面を見たが、副担当は先に階段を上がっていた。予備の目印を窓の外へ向ける位置が、こちらの足場から見た線へ寄りすぎていたのだった。


「下からは、屋根が重なるそうです」


 副担当が戻って告げる。主任は自分の書いた位置を見て、確認する立ち位置をもう一つ足した。小屋の窓から見えることと、船が使う場所から見えることが、同じ紙の中で一緒になっていた。

 リコは港側の担当が今どこに立っているかを有線で聞き、返された場所を記した。灯台側がその条件で予備灯の位置を調整し、再び見え方を尋ねる。

 今度は、全体が見える、と返った。

 副担当はその言葉を書き、紙を主任へ渡した。ナギが直した継ぎ目には、何も追加で触れなかった。直したところにもう一度手を入れるより、光が届く側の人へ聞く方が役に立つ時がある。

 リコは受話器を持ったまま、続きの確認を待った。最初の返答を聞いた時、残念そうな声を出さずに済んだか気になった。向こうの担当は淡々と、次に確かめる場所を告げた。彼が言い直さずに済むよう、リコは一つずつ書いた。

 リコは喉の奥で、あ、と声を止めた。

 下の港から通常の確認が返る。見える目印の位置と、今使う区間を灯台側で合わせる。その先の夜間運航と、まだ調べ終えていない奥の設備については、止めた札が残る。

 主任は公開する紙へ、昼間の限られた区間を、定めた予備の目印で運航する旨を書いた。風が条件を外れる時は港で止める。再開を決める担当の確認がそろい、有線で窓口へ伝えられる。

 すぐに船が一斉に出たわけではなかった。

 一隻目の担当が受け取った条件を読み返し、港の出航順へ入った。それを聞いてから、リコは初めて鞄の控えを取り出した。

 木箱の受取日は、今日の夕方でもよいという返答がある。ただし、着いてから確かめる。時計は、その翌朝。小さな文字の順が、出発の日と同じではなくなっていた。


     *


 器から力を出すのが止められると、クロマはその脇で少し低くなった。

 細かな金色の粒も薄くなり、風よけの陰に丸い輪郭だけが残る。そこを人が通る予定はない。見守りの担当は、今夜の交替と、翌朝に器を片づけるか判断する人を確かめた。

 リコは生き物へ別れを言いたくなったが、金色の目は床の方を向いていた。眠っているのかは分からない。遠くから片手を上げるにも、何へ向ける手か、はっきりしなかった。

 彼女は見守り担当へ礼を言った。

 ナギは主任へ、使った記録の控えを渡していた。元の棚を全面復旧する仕事は残り、今日の交換箇所も翌朝に再点検する。次の担当名を主任が書き、副担当が受け取った。トウマへ出した照会の返事は、まだ来ていない。返答を受ける窓口を紙へ加えた。


 主任は出航前にもう一度立ち寄るかを尋ねた。ナギの口が開きかけた時、リコは二人の運航表を出した。港で休み、充填済みの部品を受け取り、荷を戻す時間が並んでいる。

 ナギはその紙を読んでから、首を振った。


「今日は、ここで失礼します。次の点検の結果は、窓口へお願いします」


 主任は少し寂しそうに笑い、分かった、と言った。別れの握手で、彼の毛糸の手首覆いがずれた。ナギは工具箱を持つ前に、その手をしっかり握り返した。


「あなたが帰る前に、これも」


 主任が予備灯の図を出した。右の一字だった所に、階段と三本の柱が描かれている。


「私は、もう一度こちらから歩いて見ます」


 副担当が図を受け取った。ナギは手を出さず、見直した後の保管場所だけを尋ねた。

 主任が答えると、彼は工具箱の蓋を閉じた。留め具が一つ引っかかり、いつものように、小さな声が漏れる。


「そこ、今日は帰る方」


 リコは聞こえないふりをせず、笑った。


     *


 港倉庫へ戻ると、預けた荷は同じ場所にあった。

 受領の控えと引出す数を合わせ、二人は外装を係と確認した。紙皿の箱は角もつぶれず、木箱の支えは動いていない。時計を先に取り出しかけた係へ、リコは新しい積み合わせ図を見せた。


「今日は、こちらの木箱を先に下ろせるようにお願いします」


 時計はコムギ棚の地元担当に渡し、翌朝の配達へ回す。荷の取り出し順を変えれば、船の留め方も変わる。ナギが積載と通路を確認する間に、リコは充填の終わった風実の受渡しを港の担当と済ませた。二人の休息を含めて出発時刻を定め、当日の飛行は余裕を残す計画へ戻した。

 連絡便で送った返事が、今、船の中の箱の並びを変えている。

 今日の風なら、昼間の運航を終える時刻までに余裕を持って着ける。途中で待つ場合には、この港へ戻る余力も残した。ナギが最後の予報を受け取るまで、リコは帆を上げる手を待たせた。箱は出発した日より急いでいない。急いでいるのは、届けた自分を想像する方だった。

 係留索を外す前、リコは灯台を見上げた。大きな灯りが全部戻った姿ではなかった。使わない側の窓は暗く、低い方の予備の目印が一つ、確かに見える。


「見えた」


 今度は声にした。ナギが港の合図を確かめ、ツバメ号を動かす。

 白い船体が岸を離れた。リコは前窓の横に立ち、行く先の灯りと、船内の留め具を交互に見た。木箱は、彼女の膝の高さより少し下で、静かに運ばれ始めた。


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