↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
90/100

15. 祝いの日を選び直す

 朝の食堂には、まだ焼けていないパンの匂いがした。


 リコは入口の札を見直した。朝食の時刻は合っている。席へ着くと、係の女性が湯を注ぎながら、パンはもう少し、と言った。


「粉の荷が一つ、こちらへ回ってこなくて。ある分を先に焼いています」


 窓から見える船は、昨日より一隻増えていた。

 リコは急いで食べたいと言えず、かといって、遅れの話なら自分も、と口を挟みたくなかった。連絡便へ出す紙を卓へ広げ、湯の輪がつかない所で押さえる。

 ナギが階段から下りてきた。薄黄色のスカーフはきちんと結ばれていたが、片側の髪だけが寝ぐせで持ち上がっている。


「右」


 リコが言うと、彼は椅子の右を見た。


「髪。あなたの右」


 ナギは手で押さえ、席へ着いた。紙に目を落としてから、これ、読んでいい、と尋ねる。リコはうなずいた。

 荷の到着が遅れることと、お詫び。その下には、会に来る日と、品を受け取る日を分けて返事できる欄を作ってある。予定どおり食事会へ来ても、荷は後でよい。届く日に家へ届けることもできる。見通しが立ってから改めて選びたいなら、次の連絡を待ってほしい。

 書いていると、最初の案が一番よく見えた。すでに準備している会に人が来てくれる。空席が増えず、紙皿が無駄にならない。だからリコは、その案に付けていた、せっかくですから、の一言を消した。


「これなら、返事が違っても書ける」


 ナギは紙を戻した。二枚の返答用紙は同じだったが、一枚には木箱、もう一枚には時計と記してあった。


     *


 通常の連絡便は、朝の郵便袋を積んで出た。

 不調の灯台を使う区間から離れ、運航可能な別の航路を回る。便の担当が経由する港を地図で示すと、コムギ棚までの線はひどく長く見えた。リコが初めに考えた迂回は、その半分もなかった。


「向こうで配って、返事を集めたら、夕方の便に載せられるか確認します。宛先の人がいれば、です」


 窓口の担当は、そう付け加えた。

 リコは二人が家にいるかを考えた。今日届く荷がないと知って、用事に出ているかもしれない。受取りのために空けた時間を、ほかのことへ戻すのは当然だった。

 出航を知らせる鐘が鳴った。船は港を離れ、青い腹を見せて向きを変える。リコの紙はその中にあった。

 返ってくるまで、どんなに字を直したくなっても、もう手が届かない。


 窓口へ戻ると、昨日の連絡便で変更を知らせたコムギ棚の宿からも、受けたという控えが来ていた。部屋の予定は窓口で調整し、到着の見通しが立ったら知らせる。リコは自分たちの名が書かれた二行を見た。客として待ってもらう時も、相手の帳面には場所を取る。

 担当が、新しい白紙を一枚差し出した。


「追加の連絡があれば、次の袋へ入れます」


 リコは受け取りかけ、手を止めた。もう一言、安心してほしいことを書ける気がしていた。箱が無事であることも、時刻が決まらないことも、すでに書いてある。


「今は、出した分の返事を待ちます」


 白紙は担当の手元へ戻った。リコは、何も足さずに窓口を離れる方が難しい朝なのだと分かった。


「昼に一度、灯台からここへ連絡します」


 窓口に居続ける用事を、リコは自分で終えた。倉庫に寄って預けた荷の外側を係と確認し、扉が閉じられると、坂へ足を向ける。今日は昨日より空が澄んでいた。澄んでいるのに飛べない日というのもあるのだと、窓からはよく見える畑を眺めた。


     *


 灯台では、副担当が倉庫から受け出した部品を、台の上で照合していた。

 まだ故障している方へは取り付けない。ナギは数の控えと札を比べ、主任が離れて確かめる灯りの反応を、図の端へ記した。リコが来た時、ちょうど三人の意見が合わないところだった。


「これを使うと、元の覆いが戻らないんです」


 ナギが示すと、主任は短く、使ったことがある、と答えた。


「その時の覆いを探しましょう。こちらの番号では、違います」


 副担当が控えを持って外へ出る。主任は部品を回しかけ、手を止めた。


「どこへ収めたかな」


 誰にともない声だった。ナギが代わりに探しに行く前に、リコは外の台へ水の差し入れを置いた。係がそれを持って、中へ入る。自分は人の案内へ戻った。

 途中、町から来た運搬人に、もう直りますか、と聞かれた。


「交換するものを確かめています。再開の時刻は、まだ出ていません」

「昨日も同じ返事だったな」


 リコは返す言葉を探した。昨日より進んでいると、説明したくなった。でも、この人が聞いたのは、自分が何日足を運んだかでも、ナギが何枚図を描いたかでもない。


「そうですね。時刻が決まったら港へ届きます。ここまで来なくても、窓口で確かめられるようになっています」


 運搬人は帽子を取り、額の汗を拭いた。寒い坂を上がってくると、内側だけ汗ばむ。


「では、明日は港で聞く」


 その背中を見送り、リコは手すりへ一瞬だけ手を置いた。怒鳴られたわけでもないのに、胸の底が固かった。


     *


 昼、灯台から港へ有線電話をかけた。

 返答はまだ届いていなかった。

 リコは受話器を戻し、副担当の机へ通知の控えを置いた。紙の上には、会、受取日、次の連絡、と短い見出しが並んでいる。全部書いた時は、仕事の大半を済ませた気でいた。その三つの間を、別の人が今、歩いてくれている。

 配達のために他人の足を待つのは、自分が歩くより時間が遅かった。

 クロマは風よけの前にはまだ来ていなかった。低い棚の下で、膝丈より少し小さくなっている。誘導容器の事前確認が終わり、移す先の台車も片づいたが、修理と誘導を同時に始める支度は揃っていない。

 リコが見ていると、黒い体の縁が一度持ち上がり、下の床が細く見えた。金色の粒が一つ、落ちるより先に薄くなる。

 この生き物には、食事会を待つ人の気持ちなど分からない。

 自分だって、ここへ来るまで主任の今日がどんな日か知らなかった。リコはその先を考えず、食堂から届いた昼の包みを案内台へ移した。ナギと副担当の分はすぐなくなり、主任の分が一つ残った。


     *


 夕方便の鐘を、リコは港の窓口で聞いた。

 同じ島の灯台から着信を待てばよかったのに、荷の確認もあるからと自分で下りてきた。袋が開けられるのをのぞき込まない位置で立ち、担当が呼ぶまで、手袋の縫い目を指でなぞる。

 返答用紙は二枚とも戻ってきた。

 セリの紙には、会は予定のまま、とあった。木箱は遅れてもかまわない。会の前日に間に合うなら夕方に受け取れるが、運航が決まってから知らせてほしい、と添えられている。

 もう一枚は、時計が届く日に家で祝いたい、と書かれていた。品が来るまで誰かを待たせず、自分の都合を整えてから茶を飲みたい。会には出席しない。翌々日までにコムギ棚へ来る場合でも、配達はその次の朝にしてほしいという、時刻の希望が続いていた。

 リコはその行を二度読んだ。

 二人に同じ案を渡して、違う返事が来た。頭では予想していたのに、集会所の席が一つ空くのを、体のどこかが先に惜しんだ。


 セリの返答用紙には、一か所だけ書き直しがあった。届いたら行きます、と書きかけたらしく、その前半が細い二本線で消されている。次の行には、会へ行きます、とあった。

 リコは、その書き直しを写し取る必要はないと分かっていた。それでも目が止まった。箱を待つことと、人に会うことを、セリも紙の上で一度離したのかもしれない。本人に確かめたいとは思わなかった。返ってきた答えだけで、今日の表は変えられる。

 時計の客の字は、時刻のところだけ大きかった。朝ならよい、という曖昧な返事にせず、家にいる間を囲ってくれている。リコは自分の控えへその数字を移した。声を聞けなくても、その人が選ぶために使った時間が、紙の形へ少し残っていた。


「返答を、届けてくれてありがとうございます」


 リコが言うと、便の担当は手袋を外しながらうなずいた。


「向こうの窓口の人も、よかったと言っていました。次の袋は、明日の朝です」


 彼にはまだ下ろす荷があった。リコは机を空け、受け取った二枚を順に鞄へしまった。

 時計を見に来た灰色の外套の人の手を思い出す。鳴らさずに飾りたい、と落ち着いて言った人だった。家で静かに祝うという返事も、その声で聞こえた。

 リコは出席の数を一つ変え、食事の担当へその変更を届ける袋を確かめた。自分が寂しいことを、その人へ伝える欄はなかった。


     *


 灯台へ戻る時には、坂の手すりが冷え切っていた。

 外の作業は終わりに向かっている。リコは修理の机へ配送表を置いた。ナギが図面の上の工具を脇へ寄せ、その紙を見た。


「返った?」

「二人とも。違う日にしていいって」


 彼の顔に、ほっとしたものが浮かんだ。そのあと、書かれた日付を見て少し曇る。


「ここまでは、まだ約束できない」

「うん。これは受け取れる日の希望。飛べる日を決めた表じゃないよ」


 リコはセリの欄を指した。再開後に確認。そして時計の欄。コムギ棚へ着いてから、本人の希望する翌朝の配達担当へ。


挿絵(By みてみん)


 ナギは紙を持ち直した。自分へ渡された締切ではないと分かるまで、少し時間がかかったようだった。


「会に来てくれる人は、減った」


 リコが言うと、彼は答えずに聞いた。


「それが、ちょっと嫌だった。書いてある返事は、その人らしくて、いいなと思ったのに」


 ナギは使いかけの鉛筆をしまった。


「時計の人、鳴らさないでって言ってたよね」

「うん」

「朝、鳴ってる別の時計を止めてから、古い方を見るのかな」


 リコは思わず笑った。そんな家の朝を、見たわけではない。けれど、集会所の席が一つ消えた場所に、別の卓が現れた。


「その朝は、私たちがいなくてもよさそう」


 副担当が残した片づけを終えるまで、二人は外の台で待った。ナギはリコの紙を修理の記録とは別に畳み、胸元へ入れた。

 宿へ帰る坂で、風がリコの肩掛けの端を持ち上げた。彼が一度、そこへ目を向ける。リコは自分で襟を閉じ、彼の歩幅へ追いついた。

 先の道はまだ暗い。足元の灯りで見える分を、二人は並んで下りた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。