13. 帰る道の灯りが薄い
灯台の副担当。赤茶の上着を着た短髪の女性で、点検の立会いと作業の連絡を担う。
窓の向こうで、灯りが一つ足りなかった。
リコは前窓へ近づき、地図の端を親指で押さえた。港へ入る手前、山の低い肩に見えるはずの光が、薄い雲へ溶けている。点いた、と思った瞬間に消え、次に見えたものは右へ寄っていた。
「今、二つあった?」
「動かないで見てる。左が弱い」
ナギは操船桿の位置を保ち、速度を落とした。ツバメ号の白い鼻の先に、係留場所を示す短い応答が上がる。彼はその合図を確認してから、中継港の待機側へ船を向けた。
今朝の充填と点検は済んでいた。昨日、休んでいる間にも新しい荷物を追加したくなったリコを、荷重表の決まった数字が引き止めてくれた。乗員、水、工具を含めて四百キロの基準内。いつもどおりの余力が、いつもどおりに残っている。
それでも、この先へ進む理由にはならなかった。
灯台の光は、昼にも空の道の位置を確かめる目印だった。空が見えていても、島々の間にある安定した流れの幅までは見えない。地図の線と実際の道を合わせる灯りが欠ければ、晴れていることと安全に進めることは別になる。
当初の飛行計画は六時間の範囲に収め、途中で風を確かめる時間も取ってあった。その余裕を、灯りの見えない区間へ使い尽くすわけにはいかない。リコは港を示す印へ指を移した。来た道をたどって知っている場所があることを、こんなふうに頼もしく思うとは、出発した朝には考えていなかった。
帆が絞られ、船の下を流れていた景色が遅くなる。リコは青い鞄を客席へ置き、係留の準備へ回った。
「ここから、反対側を通る便があったよね」
「ある。使えるかは港で聞こう」
ナギの返事は短かった。リコもそれ以上、窓の薄い光を数えなかった。
*
接岸の音は、普段より慎重に聞こえた。
港の係員がロープを受け取り、止まった船へ乗降板を渡す。板が固定されたあとで、リコは外へ出た。船体の青い腹に港の陰が入り、橙の帆が冬の空へ細く畳まれていく。
「先の灯台ですか」
係員はうなずいた。
「こちらへ来る船は、今見えた案内で受けています。この先のコムギ棚方向は待機。灯台から返事が来るまで、次の出航時刻は出せません」
リコは荷の受渡し予定を書いた紙を開いた。セリの木箱。その次に時計。どちらも、今日受け取れるならと、家の時間を空けてもらっている。
係員の肩越しに、別の乗組員が窓口へ並んでいた。手には曲がった金具と、荷札を一緒に握っている。自分たちだけが時計を気にしているわけではない。
「別の航路を回る連絡便は、動いていますか」
「今のところ。荷を全部移すほど空きはない。午後に出す郵便袋なら、担当へ聞けます」
リコは即座に首を振りそうになった。欲しいのは荷物の行き先で、紙だけの席ではない。けれど、待っている人へ最初に届かせられるのは、その席に収まるものだった。
「お願いします。受取先の窓口へ、今日の時刻は守れない可能性があると伝えます」
ナギは係留と船の点検を終えてから来た。灯台へ行く道を尋ねると、係員は裏の坂を指した。島の反対へ渡る必要はない。港から手すりの続く道を歩けば、作業口へ出る。
窓口の隣では、ひと足先に待機を決めた乗組員が、宿泊所の空きを聞いていた。さっき金具を持っていた人だった。金具は荷から外れたものらしく、今は袋へしまわれている。
「一泊になりそうなら、先に部屋を押さえたいんだ」
その声で、リコも今夜のことへ戻った。今日飛べなければ、コムギ棚で取ってある部屋へも着かない。荷の予定だけを見ていて、二人が寝る場所を紙に入れていなかった。
ナギが宿の控えを出した。取り消しや変更を伝える窓口を確かめ、こちらの港の宿泊所についても尋ねる。空いている部屋はあった。ただし、何泊になるか分からないからと、いつまでも押さえてもらえるわけではない。
「まず今夜をお願いします。次の日は、夕方の見通しで相談します」
リコが答えると、係員は帳簿の一行へ印を付けた。
窓の外を人が走っていく。あの足を見ていると、自分も急がなければと肩に力が入った。ナギは彼女のそばで、船から持ち出すものを書き始めている。仕事の控え、工具、水。二人が一度部屋へ荷を置けば、そのぶん灯台へ着くのは遅くなるが、夜になってから全部取りに戻る道が減る。
「空の袋も一つ」
リコは付け加えた。
「濡れた手袋を、紙のそばへ入れたくないから」
ナギが書き足した。これから何日ここにいるかは分からない。それでも今夜、乾いた紙と眠る場所を用意できるのは、少し心強かった。
その時、窓口の奥で受話器の鳴る音がした。
*
港と灯台を結ぶ有線は、壁の高い所から黒い線を垂らしていた。
係員は受話器を片耳へ当て、脇の紙へ短く書き付けた。途中で何度か、もう一度、と聞き返す。リコには向こうの声が聞こえなかったが、書かれた黒い丸、という文字だけが見えた。
ナギもその紙を見た。
「設備の近くに、生き物がいるんですか」
係員は受話器を押さえた。
「灯りの蓄力部の下だそうです。丸くて、煤のようなもの。知っていますか」
「似た生き物を、しずく園の古い充填棚で見ました。クロマという記録があります。ここで同じことが起きているかは、まだ」
係員が先方へ伝える間、リコの背中に冷たいものが下りた。あの金色の目が、黒い体の中で離れていくところを覚えている。膨らんだ高さも、布を握り込んだ自分の指も。
口の中が乾いた。ただ、今は船を止めた後だった。立っている所には手すりがあり、後ろに明るい窓口がある。
「手伝ってほしいという話です。先に作業口へ声をかけてください。上へは勝手に入らないように、と」
受話器を置いた係員が言った。ナギは道具箱を肩へ掛け直しかけたが、リコの手元の荷札を見て止めた。
「荷を渡してから、行こう」
リコはうなずき、時計を見た。灯台のことを聞いた途端、船に二つの大切な包みがあることを、頭の端へ追いやりそうになっていた。
*
港倉庫の受付では、荷受け係が乾いた置台を二つ空けてくれた。
木箱は外側の運搬枠ごと下ろし、時計は天地の札が見える向きに置く。支えを外したり包みを解いたりする仕事はない。二人と係が外装を見比べ、引き受ける数、倉庫の置き場所、受領の時刻をそれぞれの紙へ残した。
紙皿の箱を持った係が、思ったより軽くて一度手を上げた。
「これも同じ棚で?」
「そちらは、つぶれない所へ。祝いの道具です」
言ってから、木箱も時計もそう呼ばれたことを思った。けれど、紙皿が何十年も人を待ったわけではない。リコは札の品名を示し直した。
「食事会で使う紙皿。新しい方です」
「それなら上からものが落ちない台へ」
倉庫の奥では、別の係が荷の間に人の通る幅を残していた。受領印をもらい、鍵の掛かる扉を見届けると、リコの手が急に軽くなった。箱の重さはなくなったのに、胸の辺りへ何か残っている。
午後の連絡便へ託す通知は、窓口の脇で書いた。灯台の不調による待機。荷は中継港の管理下。今日の約束に間に合わないおそれがあり、明朝の便で変更の相談を送る。復旧時刻は未定。
古い荷の遅れに、今日の遅れまで隠れないよう、自分たちが止まった時刻を書いた。
セリの返事を見たくなった。あのくすんだ赤い上着の人が、紙を受けてどう口を結ぶのか、思い浮かべてしまう。書き上げた通知からは、聞きたい答えだけを取り出せない。
リコは封をして、便の担当へ渡した。
*
灯台へ続く坂には、風で倒れた低木の枝が一本落ちていた。
ナギが拾い、道の外側へ寄せる。リコはその先を見た。塔は思っていたほど高くないが、丘の端に立っているため、近づくほど空が広くなる。灯室の下へ設備の小屋がつながり、そこから窓口の黒い線が続いていた。
手すりの内側に置いた補助灯が、石の段を照らしている。昼なのに必要なのかと思い、リコは灯台の陰に入って分かった。上の光が薄いだけで、足元の段差も一つずつ頼りなくなる。
作業口には赤茶の上着を着た短髪の女性がいた。腰に道具を提げ、片手の書類板を胸へ当てている。
「港からの二人ですね。ここをお願いします」
彼女が示したのは署名欄だった。連絡を受けた副担当だと名乗り、二人が手伝える範囲を聞く。ナギは航路の小型設備の点検と、しずく園での観察を伝えた。
「まず、その記録を見せてください。主任が上の灯りを止めています」
リコは明るい方の壁へ寄った。副担当が手の甲で示すところから先には、横木が渡してある。
黒いものは、その向こうにいた。
*
膝ほどの丸い体が、低い蓄力棚の下をふさいでいた。
煤黒の縁が煙のようにほどけ、それでも床から浮いて逃げてはいかない。短い滴形の腕が、棚の脚へ掛かっている。淡金色の目が二つ、狭いところからこちらを向いた。
リコの足は止まったままだった。
似ている、と口にする前に、しずく園で見た個体と同じかどうかも分からないことに気づいた。小さな輪郭を確かめるだけで十分だった。
「布を振ったり、灯りを急に変えたりしないでください。前に、そうした時に膨らみました」
副担当は黙ってうなずき、外にいた作業員へ伝えた。どちらの動きがどれだけ関係したかは、あの時も分からなかった。リコはそのことも付け加えた。
ナギが手帳を開く間、灯台の主任が裏から戻ってきた。成人の男性で、手首へ毛糸の覆いを着けていた。袖との隙間に、乾いた白い跡がついている。長く手を洗う時間が取れていないのか、ただ水が冷たいのか、リコには分からなかった。
「先の船は?」
「港で待っています」
主任は初めて、肩を少し下ろした。道具箱を地面へ置くと、蓋を開けず、ナギの記録へ目を落とす。
「追い出せば灯りが戻る、ということではないんだね」
「前は継ぎ目の傷みがありました。今回も、設備を止めて別に確かめたいです」
主任は副担当へ視線を移した。
「予備灯の箱を、ここへ。先に人の通る方を作ろう」
小屋の陰が一段暗くなる。黒い体は膨らまず、短い腕だけを動かした。そのそばで上の灯りを支える古い金具が、細く鳴っていた。
リコは青い鞄を作業口の外の台へ置いた。荷の控えを内側の留めで押さえ、空いた手で、通路へ出せる案内板を副担当から受け取る。
コムギ棚へ向かう道は、まだ開かない。今はここで、どの道を人に通ってもらうかを決めるところからだった。




