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11. 倉庫の鍵と保管の値段

 マレは椅子に座る前に、外套の裾についたパン屑を払った。


「朝の便が揺れてね」


 それだけ言って、ミナト輪郵便局の局長は鞄を開けた。丸眼鏡の奥の目は、机の上にもう並んでいる紙を見ていた。リコは湯を注ぎながら、局にいた頃の仕事机と、コムギ棚の仮受付の机を重ねて見た。ここには消印を置く定位置がない。そのことを、マレも座ってから一度手で探した。


 向かいにはヴェルがいた。便や充填枠を相談した時と同じ、深い青緑の上着に革の帳面。今朝は別の通常便で着き、管理主任と先に資料を確かめていたという。主任の平たい鍵入れは卓の端に置かれ、誰の手元にも寄っていなかった。

 リコとナギが壁側の席へ着くと、ヴェルは見積りを表へ向けた。


「補修で移す棚の分を、この冬の保管に含めると、今の契約では収まりません。当社が手配する運搬と、管理の人員を増やす必要がある」


 数字の横には棚の列と日数があった。あの堂は大きいから、とリコが考えていた余裕に、これだけの人の勤務が入っていた。


「棚を一つ空けるだけでも、少しは減りますか」


 マレが尋ねた。


「空ける場所によります。点々と隙間ができても、点検する面積は減らない。出口側をまとめて空けられれば違います」


 ナギが旧堂の図を示した。ツバメ号で運ぶ小口の品は、その出口側に寄せる予定だった。ただし、受取先の確認が終わっていないものまで運べる印にはなっていない。


「この列は搬出予定です。重い棚そのものを動かす仕事は、僕たちの分に入れていません」

「そこは当社の見積りにあります」


 ヴェルは二つの紙をずらして重ならないようにした。

 最初の数分は、思ったより静かに進んだ。リコは局へ送った報告が役立っていることにほっとした。だが、ヴェルが次の紙を開いた時、その気持ちは途切れた。


「連絡のつかない品は、今回の期限で次の扱いへ移したい。照会中の品も、回答を受ける締切を同じ日にそろえる。今のままだと、返事を一通待つたびに期間が延びる」


 彼の指した日は、旧堂で最初の照会を出す前から契約にあった締切だった。


「後から連絡先が判明した方には、まだ一便分しかありません」


 リコは自分の紙の端を押さえた。声が思ったより高くなったが、そこで止めず、日付を示した。


「この方へ出した通知は一昨日です。帰りの返答を、締切前にこちらで受け取ることはできません」

「全体の保管期間は、長く取ってあります」

「その人が知らせを読める期間は、まだ始まったばかりです」


挿絵(By みてみん)


 ヴェルが顔を上げた。マレは口を挟まなかった。リコは一枚だけ抜き、発送日と予定便のところを開いたまま渡した。


「この分だけ、期限を分けられませんか」


 今ここで誰かの家の事情を語らなくても、便が着いていないことは示せた。ヴェルは紙を読み、脇に置いた。


「分ければ、その分の照合と保管が続く。誰が受け持つかを、今日決めてほしいんです」

「受け持つ人を消してまで残すつもりはありません」


 マレの声は穏やかだった。


「金額は一つずつ見ましょう。ただ、今の締切で一斉に処分へ進める案は受けられない。権限確認の終わらない品もあります」


 管理主任が鍵入れの隣へ契約の写しを置いた。指で示す範囲は短い。


「委ねているのは、ここにある運搬と管理の手配です。処理の判断は所管窓口の確認後に、管理側の記録で行います」

「そこは承知しています。私が売るという話ではない」


 ヴェルは一度、言葉を切った。


「ただ、判断が終わるまでの費用が、誰の帳面にも載らないのは困る。当社の人間が今日働けば、今日の分が出る。古い荷だからと、古い日付で払ってもらうわけにはいかない」


 リコは黙って聞いた。窓の外を、荷車を押す人が通った。車輪の一つが溝を越え、卓の湯呑が僅かに鳴った。


「この中で、返事を待つ日が決まっているものは」


 マレがこちらへ向いた。

 リコは用意していた三つの束を出した。現在連絡を取り合っている分、手掛かりを調べている分、引取りを望まない返答の先を確認している分。包みの見た目や祝い品かどうかは、束の厚さに関係がなかった。


 薄青の包みの記録には、本人の返答の受付番号がついている。ヴェルがそこを見た。


「これは、引取りがないと決まっているのに残るんですね」

「古い預かり記載の続きが未確認です。女性の返答は受理済み。所管の結果を待っています」

「いつ照会した?」


 リコが日を答えると、主任が次の予定便を添えた。ヴェルはその日だけを自分の帳面へ写した。

 セリの箱と時計は、引渡しの確認が進み、支えの仕上げと運送を待っている。ほかの品は、この二つのついでに積めば片づくというものではない。ナギが荷重と箱の大きさの計画を出すと、ヴェルは荷役の人員を一回分まとめられるか考え、使う港の欄へ線を引いた。


 話が金額の方へ戻った。リコには、局の予算の欄だけでは何を先送りするか分からなかった。マレは鞄から別の紙を出し、ある数字を消した。ためらっているように見えたが、口元からは何も読めない。


     *


 マレが消したのは、今回まとめる予定だった控えの新しい綴じ直しの費用だった。紙の端は揃えたかった。後から照合する職員が、一枚抜けたと心配して自分の机へ持ってこないように。けれど今は、既存の綴りへ索引を足して使うことができる。今朝の便でここへ来るまで、その判断を自分で抱えていた。


 向かいのヴェルは、人員を減らせる時間帯を書き出している。彼が安くなると言わなかった部分を、マレも無償にしてよいとは言えなかった。管理主任の午後の勤務は、別の人が旧堂で代わっている。その人の一日は、今日の議論が終わるまで長く伸びてくれるわけではない。


 壁側でリコが用紙をそろえた。以前、局で彼女の報告を聞く時には、話が先へ走るので、マレが日付を尋ねていた。今日は便の届く日が先に机へ来た。続きを促すための指を、マレは帳面の上へ戻した。


 綴じ直すだけなら、自分が夜にやればよい。その考えが一度浮かび、消した金額の跡に留まった。局の机には今も、そうして持ち帰った紙が積まれている。いつか片づけるための夜は、予定表に一つもなかった。


 マレは、綴じ直しを見送る、と明記した。自分の空いた時間で済ませる、とは書かなかった。頁の角を撫でると、古い針の跡が指に触れた。不便は少し残る。その不便を現地でどう減らすかは、ここで机を使う人と決める方がよかった。


「この索引を、現地の担当が引き継げる形にできますか」


 リコはすぐ頷かず、主任へ目を向けた。使っている区分のままならできると確かめ、二人で引渡しの日を決めている。

 マレは持ち帰る予定だった索引の束を、そのまま彼女の側へ押した。


「では、それをお願い。私の机へ全部戻さなくていいわ」


 言ってから、肩の後ろが急に凝っていることに気づいた。椅子の背へ体を預ける。リコが立って湯を足そうとしたので、手で留め、自分で湯差しを取った。湯はもうぬるかった。それでも喉を通ると、朝のパンを急いで食べた苦しさが和らいだ。


 あと一時間も話せば、帰りの便に余裕がなくなる。局には閉める前に見たい書類があり、明日の朝の当番も待っている。ここで何かを全て解決した顔で帰るより、残す仕事の量を間違えずに持ち帰りたかった。


     *


 リコが卓へ戻ると、マレは新しい枠を引いていた。


「追加照会を四週間。今日からです。この範囲は局の調査費で受け持ちます。期間が終わる時に、残った品を一件ずつ見直す。次も同じ条件で延ばせるとは約束しません」


 ヴェルは、新しい数字で同じ人数を置き続けるのは無理だと答えた。棚の配置を整理し、立会いの予約をまとめるなら収まる。予約が取れないことを理由に閲覧を失わせないよう、管理主任が予備日を一つ確保した。


「一日に無理に集めると、今度は入口に人が残ります」


 ナギが旧堂の見本台の位置を指した。主任はその台を移す必要はないと首を振り、予約の間隔を広げた。その分、一度に扱う件数が減った。


「これで本当に足りますか」


 ヴェルはマレへ尋ねた。


「今の件数なら。新しい照会が増えた場合は、追加を相談します。現場で勝手に引き受けないよう、私からも伝える」

「その文言を入れてください」


 マレは書いた。相手を言い負かしたような空気はどこにもなかった。見積りの合計は最初より下がり、それでもリコが思っていたより大きな数字だった。

 主任が帰着後の棚の区分を読み合わせ、ヴェルが管理の手配に確認印をつけた。恒久的に残す品の費用と、連絡先が最後まで見つからない品の扱いは、次の見直しへ残る。鍵入れは主任の前掛けへ戻った。


 会議を終えると、マレは窓口の時計を見て、ようやく急ぐ顔をした。


「お昼は、ここで買えるかしら」

「港へ行く角に、包んでくれる店があります」


 リコが言うと、ナギが先に外套を取った。荷を運ぶだけの見送りなら、四人で店へ入れる時間がある。

 ヴェルはその誘いには加わらず、港の業務所へ寄ると言った。明朝の便で別の仕事先へ向かうため、今日はコムギ棚に泊まる。リコは、索引が整ったら管理主任を通じて渡すと伝えた。


「便の数は、今日の予定から変われば早めに」

「分かりました」


 それが彼との別れの挨拶になった。

 パン屋の角で、マレは四週間後の見直し日を控えからもう一度確かめた。リコは横で、自分の紙にも同じ日を囲んだ。


「帰ったらポルを見てきますよ」


 局長は包みを受け取りながら言った。


「預かり当番から、布を丸めるのは上達したと聞いたわ」


 ナギは少し笑った。


「戻す方は、してないと思います」

「そこは報告にありませんでした」


 マレは声を立てて笑い、二人に手を振って港へ向かった。その背中を見送ったあと、リコは鞄に残った索引の重さを確かめた。

 明日は旧堂へ戻る。充填を終えた船で昼のうちに出て、翌日は運ぶ品の準備を進める。今日任された束は、それまでに閉じておきたい。全部が軽くなったわけではないが、どれを持って帰るかは、はっきりしていた。


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