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10. 包まれたのは見本です

 扉から入ってきた箱には、脚が四本あった。

 前の二本はボンゴ、後ろの二本は港の運搬係だった。二人が床へ下ろすと、箱は開いて、板と角材と新しい厚紙になった。リコは集会所の入口で受取りの印をつけながら、少しがっかりした。


「もう出来上がっているのかと思いました」

「運ぶ時まで大きくしていたら、私の切符がもう一枚要ります」


 ボンゴはからし色の袖をまくった。旧仕分け堂で使う道具を残し、今日の通常貨物便に合わせて来たのだ。見本の中には、保管品のかけら一つ混じっていない。明るい木口と白い紙の端は、窓辺で目が痛いほどだった。


「これは、まだ前菜です」

「箱の前菜」

「中身は空ですから、お腹は壊しません」


 後ろで扉が開き、ピッパが立っていた。すもも色のベストの上に短い外套を着て、黒いボブの毛先を片手で押さえている。ミナト輪の仕分け係は、朝の旅客便で着いたばかりだった。


「お腹の前に、午後の便の時刻が壊れます。帰りまでに、実演の長さを測って帰ります」

「あなたのために、短い説明を用意しました」


 ボンゴが紙束を出した。ピッパは紙束の厚さを見て、腕時計を見た。


「紙の方も量りましょうか」


 リコは笑いながら机を寄せた。ナギが組立の図を床へ広げる。大きな見本は、箱の形をした折畳みの枠だった。背と上は開けたまま、前と左右の面を厚紙で覆う。前の紙だけ低くして、上半分から手元が見える。下の台を固定し、開いた背の側から手を入れて留め具を動かすと、面が順番に畳める仕組みになっている。

 ナギが作った留め具は、明るい青だった。


「この色だけ、見本用。古い品を運ぶ方の無着色の留め具とは、混ぜないで」

「私の舞台にふさわしい色です」

「一本足りない」


 ナギが台の上を数え直した。ボンゴは誇らしげな顔のまま、胸のポケットから一本出した。


「ご紹介のために」

「紹介が終わったら返してください」


 ピッパは言い、返るまで手を出して待っていた。

 枠が立つと、ボンゴの肩より少し高くなった。彼は背の開口に立ち、片手で縁を支えた。正面から見ると、ちょうど彼の腰から下が枠の脚と重なる。上には巻き毛の頭、横には肘、中央にはからし色の胸が見える。


 リコは会場の後ろへ下がった。


「取っ手が、喋ってる」

「職人が説明しているんです」


 ボンゴが答えた瞬間、枠の右側から出ていた手が引っ込んだ。左の手が現れる。頭が少し沈み、別の場所へ出てくる。彼は横の留め具を順に確かめているだけだったが、正面からは、箱がどちらを向きたいのか迷っているようだった。

 リコは笑いを止められなくなった。


「そこ、もう一回」

「どこの説明が分かりにくかったですか」

「説明は、聞こえなかった」


 ピッパが会場の端から見て、眼鏡を押し上げた。


「ボンゴさん。いま右手が、左の取っ手の下にあります」

「それは右側の面を内側から支えているから」

「すると、あの左手は」

「これは右手です」


 ピッパは黙って指を折り、向きを確かめた。彼女が表へ回ると、ボンゴも説明するため顔を向けた。枠の片側だけが人の肩のように動く。


「動かないでください。私が数え直します」

「私の手は二本です」

「存じています。今は箱の方が多いんです」


 ナギは道具を置いて、壁へ背をつけた。口元を押さえている。リコがその顔を見てさらに笑うと、ボンゴは一度枠から離れた。誰も支えなくても、固定した台の上の枠は倒れなかった。急に普通の見本になってしまい、全員の笑いが一拍遅れて止んだ。


「私が要ることは、分かっていただけたでしょう」


 ボンゴは胸を張った。

 最初からそれを見せるつもりだったのか、リコには分からなかった。ピッパが練習記録の上へ、立ち位置、と書き、丸で囲んだ。


 昼前、集会所の管理当番に連れられて、子供が二人見に来た。大人が紙の箱を相手に笑い続けているのが気になったらしい。リコは作業台から離れた椅子を勧め、触りたいなら小さい見本が出来てからと伝えた。一人は近くへ来たが、もう一人は入口脇の椅子を選んだ。

 ボンゴは胸の前へ空箱を構えた。


「では、ここからが正しい包み方です」

「さっきのは?」


 近くに来た子が尋ねた。


「正しい職人の見え方です」

「箱だった」

「なるほど」


 ピッパが淡々と書き留めた。

 ボンゴは小箱を包み紙の中央へ置き、角を折った。今度は指の動きが速く、紙の縁がきれいに揃った。一つ折るごとに、箱が少し立派になる。子供が身を乗り出した。


「触っていい?」

「こちらは新しい見本なので、どうぞ」


 リコが渡すと、子供は結び目より先に箱を振った。何の音もしない。蓋を開いて、首を突き出す。


「何も入ってない」

「包むところをご覧いただく品です」

「包む前に見せてよ」


 ボンゴは一瞬口を閉じた。それから大きく頷いた。


「それは、全くそのとおりだ」


 ピッパの鉛筆が忙しく動いた。リコが記録をのぞくと、空箱を先に見せる、とある。笑いながら見ていた子供が、実演を一つ直していた。

 ボンゴは小箱を机へ戻し、今度は包み紙だけを広げた。何も置かないまま一つ折り、それから箱を探す。リコが渡すと、どこへ置くか考えているふりをして、きれいに出来ていた折り目を開き直した。


「これは?」


 小声で尋ねられ、リコは首を傾げた。


「さっきの、ちゃんと出来るところが好きです」

「失敗した方が面白いかと思いまして」

「箱になって見えたのは、ちゃんとやってた時です」


 ボンゴは枠の方へ目を向けた。少し考え、新しい紙を一枚広げる。今度は指がためらわなかった。折った角がぴたりと重なると、入口にいた子供まで椅子から身を起こした。


「もう一個できた」


 その声を聞いたボンゴは、口上を足さず、出来た小箱を高く見せた。紙の張った面が窓の光を拾う。リコは手を叩いた。笑わせる前に、見せたくて作っている手がある。その一瞬を本番でも見たいと思った。

 入口の子供へ、リコは小箱を持っていった。手を出すまで待つと、その子は蓋を一度開け、閉じ、紙がどう余っているか見ている。


「ここ、ぐしゃってなる」

「余りを中へ入れるの」


 リコが教えると、ボンゴが横から、小さい折り返しを作るときれいだ、と示した。子供は見たとおりに折ろうとして、逆の角を押した。紙が破れそうになる前にボンゴの手が動いたが、すぐ引っ込んだ。


「その形なら、こっちを下にすると立ちますね」


 歪んだ箱は、たしかに立った。子供は自分で机の端へ置き、笑った。ボンゴはその箱を見本の一つにしようとしたが、持って帰りたい、と言われると包み紙の端を仕上げて渡した。


「一箱、減りました」


 ピッパが記録を直す。


「一人、増えました」


 ボンゴが返すと、彼女は鉛筆を一度止めた。


「当日の予約は、別にしてください」


 管理当番が笑い、子供たちを昼食へ連れ出した。


 弁当を広げる時間になった。机を畳めることを説明していたボンゴだけが、紙の大きな円を手にしたまま立っていた。ピッパは椅子を引き、弁当箱の隣へ小さな札を置いた。

 休憩中。


「それも説明札ですか」

「実行札です」


 彼女自身も腰を下ろした。朝の便の中で食べたからと昼を延ばしかけていたが、管理当番が渡してくれた椅子はもう引かれていた。ナギが湯を注ぎ、リコは四人の机の真ん中へ林檎を置いた。

 ボンゴの弁当は大きな箱の中に小さな箱が並んでいた。リコが蓋の枚数を数え始めると、彼は食べる方を急ぎたかったらしく、全部一度に開けた。


「実演は?」

「腹が減った職人は、口上を省きます」

「これを本番に使えないかしら」


 ピッパが真顔で言った。

 午後、リコは包み終わりに貼る札を持って、ボンゴの横へ立った。彼が箱の縁を胸へ引き寄せ、正面を示す。リコは「壊れもの注意」を差し出した。青緑のつなぎの胸にちょうど手が届き、そちらへ貼りそうになった。


 ボンゴは紙を受け取り、自分の胸で一度見せてから、箱へ貼り直した。


「私は、こちらで」


 懐から出した別の札には、梱包実演、とある。長すぎて、彼の胸から左右にはみ出した。ピッパがそれを見て、鋏を手に取った。


「切ります」

「私の紹介を?」

「余白を」


 余白が減ると、今度は短い札が見えにくくなる。リコが箱へ近づけると、職人と見本の紹介が重なった。ピッパは立て札を二枚用意し、見本の左へ一枚、ボンゴの左へ一枚置いた。ボンゴが移動すると、リコが札を追いかけて動かす。何度目かにピッパも札を持ち、二人とも箱の同じ側へ来てしまった。

 ナギが言った。


「紹介する時だけ持てば?」


 三人が止まった。

 ピッパは札を机へ置いた。ボンゴは枠に片肘を掛けず、まっすぐ立った。リコだけが手にした札を下ろすのを忘れていた。


「それ、今は僕を紹介してる」


 リコの札には、空の見本、と書いてあった。

 ナギは自分の胸を一度見下ろし、肩をすくめた。リコは札で顔を隠し、笑いが収まるまでそこから出られなかった。


 午後の旅客便の時刻が近づくと、ピッパは用紙を一枚にまとめた。枠の向き、紹介をする位置、空箱を最初に見せること。見せ場が増えたのに、朝の紙束より薄い。


「当日は、もっと少なくていいと思います」

「私の話す場所は残っていますね」

「はい。林檎が焼けるまで」


 ボンゴはそれを真剣に考え、台所の方を見た。


「火加減も打合せに入れましょう」

「料理の当番に任せてください」


 ピッパは外套を着て、来た時と同じ便路で帰っていった。会の当日は、また朝の通常便で来る予定だった。

 残った三人は見本を畳み、集会所の道具置場へ入れた。大きな箱が消えると、窓から入口まで床が見渡せた。紹介札はまだ置き場所が決まらず、ボンゴが一束にして自分の鞄へ入れた。


 リコは、入口の子供が座っていた椅子を戻した。その下に三角の包み紙が一片落ちている。新しい紙はよく跳ね、拾う指からすり抜けた。ナギが靴の脇で止め、彼女が拾うまで待った。


「本番、笑っちゃいそう」

「もう笑ってた」

「違う、助手の仕事を忘れそう」

「札は、紹介する時だけ」


 彼がそう言い、二人はまた笑った。ボンゴが道具置場から顔を出し、今度はどこが面白かったのか聞きたそうにした。リコは答えようとして、何を言っても長くなることに気づいた。


「当日、もう一回見たいです」


 ボンゴは満足そうに扉を閉めた。


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