7. 傷を包むための箱
セリは、箱より先に台の下を見た。
「持ち上げても大丈夫ですか」
予約した旅客便の切符を布袋へ戻し、くすんだ赤の上着の袖を折っている。海のない港から来たのに、冬の風を含んだ髪は潮に当たったように乱れていた。耳に掛けた黒髪が何度も落ち、彼女は少し煩わしそうにもう一度押さえた。
照合机の脇の台には、叔母宛てだった茶色の道具箱が置かれていた。窓口から届いた確認に従って、今日は外側と、以前から空であると記録された内側を見られる。別に保管されている封書は棚に残したままだった。
「底をこの板ごと支えてください」
ボンゴが両手の位置を示した。くるり包み店の職人は、いつもの大きな口上をひとまず畳み、細い木片を台の端に並べていた。セリが板の両端へ手を添えると、リコは横に立って箱の傾きを見た。
「思ったより軽い」
「今は中が空です。使う時に重いものを詰めるなら、先に底を支えたいですね」
セリはそのまま胸の高さまで上げるつもりだったらしいが、台から少し浮かせただけで下ろした。側面の下端に指を近づけ、途中で止めた。
「ここが傷んでるんですね」
端の木が薄く欠け、台の光を受けて明るく見えた。蓋には、それよりずっと小さい、斜めの擦り傷がある。リコは一覧の絵を思い出した。図にすると傷はどれも一本の線になる。セリが黙って見比べる時間に、ようやくその線の違いが見えてきた。
「蓋は少し整えると、ずいぶん見栄えが変わります」
ボンゴが隣の新しい板に指を滑らせた。
「色を合わせて、こちらの筋を目立たなくすれば」
「その筋は残っていていいです」
セリは蓋の傷から目を離さずに答えた。
「置くと毎日見えるでしょう。気になりませんか」
「私の棚も傷だらけですから。これだけぴかぴかだと、困る」
ボンゴの指が板から離れた。怒ったようには見えなかった。口ひげの端が少し動き、彼は新しい板を裏返した。
「それなら、見えないところへ仕事を入れましょう」
セリは初めて彼の顔を見た。
「できるんですか」
「入れ物の中へ、もう一つ浅い骨組みを入れます。箱へ無理に留めず、取り外せるように。中身の重さを受ける底板を、その骨組みで支える」
ボンゴは実物には触れず、木片を四角く置いた。上から見れば細い縁だけになり、真ん中へ薄い板が渡る。作った指先ほどの隙間へ、自分の指を入れようとして引っ込めた。
「実物は、もちろん指の入る大きさです」
「指を入れないと外せませんものね」
セリの返しがあまりにまっすぐだったので、リコはつい笑った。ボンゴも笑い、内枠を取り出すための場所を図へ描き込んだ。
蓋を開くと、古い木の匂いがした。劇的に何かが現れることはなかった。片側へ寄った小さな仕切りと、色の濃淡が残る底があるだけだ。セリは肩の力を抜いた。
「繕い物を入れたいんです。いま、食卓の端に置いていて。糸が一本でも転がると、食事のたびに探すことになる」
「この仕切りが邪魔なら、枠の形を替えられます」
「いえ。糸と針入れを分けられそう」
彼女は布袋を開け、糸巻を包んだ布を出した。青、焦茶、白。それぞれ残った量が違う。箱へ入れる前に管理主任へ目を向け、主任が頷いてから、包みごと内側の寸法に当てた。
「もう少し余る」
セリの声が柔らかくなった。
糸巻の布を畳もうとして、セリは一つを外へ転がした。リコが受け止める。白い糸の先が袖の縫い目に引っ掛かり、巻から細く引き出されていた。
「いつも、これです」
セリは糸をほどき、短く巻き直した。指は慣れていて、困っている人を見かねて誰かが助ける間がない。
「針入れは別なんですか」
「小さい缶に。そっちは蓋がきつくて、食事のあとに出すと爪を使うでしょう。だから、つい出しっぱなしにしてしまう」
ボンゴが内枠の図へ缶の場所を描いた。
「仕切りを一つ足して、缶が動かないようにすることもできます」
セリはしばらく考えてから、余計な仕切りは要らない、と答えた。
「糸が増えたら並べ方を替えたいし。いま困ってるのは、毎回、全部をどこかへ移すことなんです。ひとまとめに持てれば」
ボンゴは描いた仕切りを消し、四角い枠へ戻した。セリは消す手元を見ていた。その線がなくなってから、木箱の縁へもう一度指を添えた。
「このままの方が、私には使いやすいと思います」
「ええ。中の並べ方は、お任せします」
ボンゴが答えた。物をきれいに収める彼の図には、道具一つずつの居場所が作られる。セリの欲しい空きには、今はまだ入れるものが決まっていなかった。
リコは木箱を彼女の家へ運ぶところを、初めて具体的に思い浮かべた。これまで頭にあったのは、箱を抱えた人の正面だった。扉の向こうに棚があり、鍋を置く卓があり、食事の時だけ追い払われる糸巻がある。そこにこの茶色が加わる。
「棚は、どのくらいありますか」
「靴箱よりは狭いです」
「靴箱にも、いろいろあります」
ナギが言ってから、少し困った顔になった。セリが口元を押さえる。
「ええ、そうね。今の答えじゃ何も分からないわね」
ナギは箱の幅を測り、三十二センチと読み上げた。奥行は二十二、高さは十五。リコはその横へ、外寸、と書いた。内枠をつけても、外の大きさは変わらない。家で蓋を開ける高さは、さらに必要になる。
「棚へ置いたまま開けるなら、ここも測ってください」
ナギは横から見た箱を描き、蓋の開く線を添えた。セリは図の丸みをしばらく見たあと、首を振った。
「使う時には卓へ出します。棚の上で縫うわけじゃないから」
「だったら、取り出す指の幅を残せばいい」
「玄関は?」
リコが尋ねると、セリは少し驚いたようだった。
「そんなに大きく包むんですか」
全員の目がボンゴへ集まった。
「私が何も言っていないうちから」
彼は胸に手を置いた。
「今回は運ぶために必要な厚みだけです。晴れ舞台は別に用意します」
「別にあるんですか」
「まだ私の頭の中に」
リコは、食事会の相談を始めたら伝える、と言った。ボンゴの顔がたちまち明るくなったので、順番を間違えたかもしれないと思ったが、彼は自分で木片の方へ戻った。
セリが費用を尋ねた。ボンゴは材料と作る手間、運送の梱包を分けた見積りを差し出した。蓋の見栄えを整える分は含めない。セリは最初の金額を指で隠し、残った欄を読み、翌月に考えていた買物のことを短く口にした。
「それを後にすれば、こっちは今できます」
誰もその買物を尋ねなかった。
セリは見積りの紙を端から読んで、最後の欄に戻った。
「箱を引き取るのをやめたら、この相談の分は?」
ボンゴは、今日の外観確認で話せるところまでは依頼の範囲だと答えた。新しい材料を切り出す前に、支えの仕様と見積りに了承が要る。セリはそれを聞くと、急いで印をつけるかわりに、図の裏へ自分の棚の形を描き始めた。
右に柱が出て、奥に少し段がある。広そうに見えた場所が、線になると狭かった。リコは、測ってから改めて知らせていい、と伝えた。
「内枠は、この形でお願いします。棚に入らなければ、別の置き方を考える。でも、外の大きさは今のままなんですよね」
「はい」
返事を聞いて、セリは印をつけた。何も考えず欲しくなったのではないと、自分で確かめるような遅い動きだった。リコは紙を受け取り、まだ空いたままの棚の寸法欄を、次に埋める場所として残した。
ほかに照会されている品の一覧も、彼女はもう一度読んだ。布包みの絵のところで長く止まったが、木箱の欄にだけ小さく印をつけた。
「今日はこれだけで。ほかの物は、今の部屋には置けません」
「残る方のご希望も、窓口へ渡しておきます」
リコは別の受付票を取った。主任が処理の番号を示し、セリは帰りの便までに返答をまとめられるか確かめた。急に決める必要のない部分は、そのまま残った。
ボンゴが、枠を入れると使える深さが少し減る、と付け加えた。セリは糸巻の包みを改めて置き、蓋が当たらない高さを自分で見た。大丈夫です、と言った声には、誰かを安心させるための急ぎがなかった。
旅客便までの待ち時間に、三人は入口の小さな机で茶を飲んだ。管理区画に食べ物を入れないため、セリが買ってきた焼き菓子はここで開いた。袋から出たのは四個だった。ボンゴが用具を片づけて遅れて来ると聞き、セリは彼の分を紙の上へ残した。
「普通の旅客便で来られるんですね。もっと、誰かに乗せてもらわないといけない場所かと思っていました」
「港までは。ここは、便の人に道を聞けます」
「帰る頃には道を覚えました。行きは、あの大きな扉が入口だと思って」
旧荷役口の方を示した。人の背をはるかに越える扉は、外から見ると堂の正面に見える。リコたちが使っている入口は、その隣の小さな戸だった。
「あちらには入れないんです。受付の札、坂から見えましたか」
「曲がると消えました」
リコは自分の帳面を開いた。これは明日直せる。門の向きに合わせ、港から来る人へ見える案内を出すことを主任に相談しようと思った。
セリは菓子を二つに割ったが、すぐに食べず、断面の実を見ていた。
「箱、もっと困るかと思っていたんです」
リコは湯呑を置いた。
「受け取ることですか」
「見たら全部欲しくなるとか、逆に、何も持ち帰れないとか。今日は、棚を測ればいいと分かって、少し楽です」
それきりセリは菓子を食べた。叔母の話へは続かなかった。リコも、自分が想像していた受取りの場面を語ることはしなかった。茶を足そうとすると、セリは半分だけ、と指で示した。
帰る前に、彼女は寸法を書き込む紙を折り、切符と一緒にしまった。明日、家の棚と玄関を測って受付へ渡す。それが次の便でこちらへ届き、支えと梱包の仕上げに使われる。
ボンゴは見送りから戻ると、台の上の新しい板を手に取り、裏側へ大きく線を引いた。飾りをつける余地があった端から、細い枠の部材を取っていく。
「目立ちませんね」
リコが言うと、彼は定規をずらした。
「目立たないように作るのも、案外うまいんですよ、私は」
その声が誇らしげだったので、彼女は安心して笑えた。
古い箱は閉じられ、主任の手で棚へ戻った。蓋の浅い傷に、午後の光が一度だけ引っ掛かった。




