4. 開ける前に聞くこと
二枚の申込札は、並べるとよく似ていた。
一枚には、見たい品の番号を書く。もう一枚には、その品をどうしたいかを書く。リコは見出しを読み、机の上で二枚を離した。紙の色を変えれば分かりやすいだろうか。考えているうちに、隣の受付担当が二枚の間へインク壺を置いた。
「昨日のお客さんなら、まずこちらでしょうね」
外観を確かめる方の札を示され、リコは頷いた。
「本人が、一度持ち帰って考えたいそうです」
「では、書くのは持ち帰る紙のお名前だけで足ります。品の扱いは、まだ」
リコは、もう一枚を引き出しへ戻した。
たったそれだけで机が空いた。
午前の旅客便で、旧仕分け堂の管理主任が来た。藍の前掛けは鞄にしまい、今日は厚い上着を着ている。平たい鍵入れが見えないと、町で買物をする人とあまり変わらなかった。
「移した札の写し、届いていますか」
主任は挨拶のあとで尋ねた。昨日のうちにリコが照会しておいた、セリへ渡せる外観一覧だった。別の業務便で届いた束から、受付担当が封を開く。
木箱の枠は、リコの写した形より少し横長に整えられていた。外から分からないところは空白のまま。後年移された別の品には、別の番号が付いている。
「この封書も、同じ叔母さん宛てですよね」
リコは付属の目録を指した。
「箱の扱いが決まれば、手紙も一緒に渡せるんですか」
「一緒に扱えるかは、こちらで確認しています」
主任は、引き出しへ入れた二枚目の札を出した。扱いの希望を書き、その希望を出せる人かを確かめる札だった。
「木箱についての確認が済んでも、これだけで私信までお渡しすることにはなりません。セリさんが見たいかどうかも、まだ聞いていませんね」
リコは封書の欄を見た。
叔母が亡くなっているなら、残った人が読めばよい。そう思いかけていた。けれど自分が母に書いた手紙を、いつか母の親戚だからという理由だけで誰かが読むところを想像すると、急にペンの先が動かなくなった。
「私は、箱のことだけを聞かれました」
「では、その返事を」
主任は二枚目をリコに預けた。今すぐ書かせるための紙には見えなくなった。
窓の外で、樋を直す槌の音がした。ナギは町の担当に頼まれ、窓口脇へ仮置きされた道具の通路を空けていた。作業する場所と客の通る場所を指さしで確かめ、板を一本、壁へ戻す。
昨日のように名前を呼び合う声が、入口から机へ届いた。書類はどれも人が触れば鳴る普通の紙だったが、リコには今朝から、その一枚ごとに違う距離があるように思えた。
*
昼前、局からの業務便が届いた。
マレの丸みのある字の下に、照会のまとめ方が短く添えられていた。連絡が取れて返答を待つ品、連絡先をまだ探す品、引取りを望まない返答の来た品。全部を同じ未了の欄へ押し込まないように、とある。
局の指示を主任と確かめ、リコは昨日までの控えを広げた。
「三件、進んだ、とだけ書いてしまいました」
「何が進んだかを足しましょう」
主任は古い方の束を押さえた。リコが書き直している間、窓際の紙へ風が入らないよう、手をそのままにしてくれていた。
セリは一覧を見たい。別の連絡先からは、まだ返答がない。もう一つは、宛先の転居先を窓口が探している。
同じ三件が、並べ直すとそれぞれ違う仕事になった。リコは、引取りを断る返事が来た場合にも紙を戻せる場所を空けた。そこを空けておくことが、少しだけ胸に引っかかった。
誰も嫌な思いをせず、全部の箱に行き先が付けばいい。
そう願うことまで、やめたいわけではなかった。
窓口の棚の上には、今日引き取りに来る大きな荷が二つあった。約束の時刻が過ぎても一つが残り、受付担当が置き場所を替える。別の客が受け取った箱を抱えて笑った時、リコはついその方へ顔を向けた。
自分もあの顔を見たかったのだと思うと、少し恥ずかしかった。
主任はその様子を見て何も言わず、書き終えた紙から手を離した。
机を借りている受付担当が、買ってきたパンを割った。
「先に、半分どうぞ。午後は客が増えます」
リコは自分の昼食の包みを見せたが、担当は、これはお昼ではなく味見なのだと言った。
「中に煮た豆が入っています。昨日まで、もっと少なかったんですが」
半分になったパンの断面には、豆がはみ出している。ナギが戻ってきたので、リコはさらに割ろうとした。
「無理だよ。それ以上は」
「端を持てば」
二人で持ったところから、豆が一粒落ちた。主任が書類を避け、皿を滑らせる。豆は皿の縁で止まった。
「その紙に付くと、あとで由来を調べることになります」
主任の静かな声に、受付担当が笑った。リコはパンを皿に戻し、自分の包みからもう一つ出した。
結局、全員が少し早い昼食を食べた。
*
セリは約束どおり、買物の前に来た。
昨日の布袋は畳まれていて、今日は上着の脇から何も飛び出していなかった。リコが一覧を出すと、彼女はまず、紙の裏を見た。誰かの文字が透けていないか確かめるような仕草だった。
「持って帰れるんですね」
「はい。外から見た形と、今分かっている傷みです。詳しい状態を見る相談先も、こちらに」
主任を紹介すると、セリは小さく会釈した。
「箱だけ、気になっています。道具を入れるようなものですか」
「古い申告では小さな道具箱です。実物を見て、大きさも確かめられます」
「道具は、入っていますか」
主任は目録を見て、今回知らせられる確認範囲を指した。
「今日のこの写しで、中身まではお約束できません。予約の日までに、見られるところをはっきりさせます」
セリは頷き、木箱の四角を見た。
「使えるなら、繕い物を入れたいです。今の糸は、机に出しっぱなしなので」
リコは、それまで見えていなかったセリの食卓を思い浮かべた。器を置くたびに糸を寄せ、食べ終えたらまた出す。その家へ運ぶのだと考えると、箱の大きさを確かめる仕事が、急に分かりやすくなった。
「棚に置けるか、測っておくとよさそうですね」
リコが言うと、セリは上着の中から鉛筆を出した。
「先に箱を見てもいいですか。家を測って待って、無理だったらがっかりするから」
「もちろんです」
リコは笑った。自分の順序と違っても、相手の暮らしにはそちらの方がよかった。
外観確認の札へ、セリが名前を書いた。
書き終えると、彼女はすぐにペンを戻さず、机の隅のもう一枚を見た。
「これは?」
「品をどうするか決めたい時の札です。誰が申し出られる品かも、担当が確かめます」
主任が答えた。
「今日、一緒に出す必要はありません」
「手紙のことも書いてありますね」
リコは返事をしようとして、主任が話すのを待った。
「木箱とは分けて保管しています。内容の確認を希望される時には、その条件を別にお知らせします」
セリの手がペンから離れた。
「今日は、そちらはいいです」
声が少し低くなった。その理由は尋ねなかった。
主任は机の上から札を引き、外観の予約だけを受け付けた。四日後の旅客便に合わせて来られるか、窓口から返事をする。セリは一覧を縦に折りかけ、木箱の絵に折り目が付くのを見て、端から折り直した。
「袋に、入りますよ」
リコが小さな紙袋を差し出す。
セリは、自分の買物袋を広げた。
「今日は、まだ空なので」
紙が袋へ収まった。昨日リコの机にあった木箱の絵は、ようやくそこを離れた。
帰り際に、セリが主任を振り返った。
「見るだけでも、保管の料金を払うんでしょうか」
「今回の外観照会に、それまでの保管料を付けて請求することはありません。運ぶことや手入れを頼む時の費用は、決める前にお伝えします」
「先に聞けてよかったです」
セリは袋を肩へ掛けた。リコはその返事を聞きながら、一覧に描いた箱の外側に、まだ自分が描いていないものがあったと気づいた。旅客便の切符も、持ち帰る日の都合も、この人は自分で用意する。
主任の帰りの便が近づくと、机の上の仕事が二つに分かれた。
旧堂へ持ち帰る予約と確認。町へ残す控えと、来訪を待つ紙。リコは主任の鞄へ渡す束に、織町から照会していた衣装の外観写しも添えかけ、手を止めた。
「これは、イリスさんへ送る方でした」
「そうです。店からの返答は、保管の担当が受けます」
主任は、衣装の今後の確認を受け持つ窓口をもう一度書いた。外底の札が一覧と合ったこと、布の見える部分の色と傷み。それ以上の相談は、いつも衣装を縫う人が一人で引き受ける仕事ではない。
リコは織町行きの業務便へ封筒を預けた。イリスに見せたい晴れた景色もあったが、それは自分の手紙へ書けばよかった。
*
夕方、ナギが戻ると、机には木箱の絵がなくなっていた。
「渡せた?」
「うん。四日後の便で、見に来られるか相談します」
「そうか」
彼は椅子へ腰掛け、指先に付いた細い木屑を取った。今日は新しい部品を買っていない。午前中に片づけた通路も、午後には樋の作業が終わり、仮の板ごと撤去されていた。
「何も残ってないと、変ですね」
リコが言うと、ナギは自分の手を見た。
「木屑なら、まだある」
「そういうことじゃなくて」
笑いかけた声が少し疲れていた。リコは鞄の留め金を閉めようとして、挟んだ紙に気づく。明日、エダへ届ける通常の便の控えだった。
「明日は、あそこへ寄ります」
「エダさん?」
「はい。受取りの時間を聞いてあるので」
ナギは港へ戻る道の時刻を確かめた。昼食のあとで旧堂側へ出る予定なら、急いで訪ねなくてもよい。リコは控えを鞄の手前へ入れた。
閉める前、受付の人に机を返した。
確認を待つ紙は、鍵の掛かる棚へ移された。引取りを決めた印は、まだ付いていない。それでもセリの一覧は家へ向かい、衣装の写しは織町へ向かっている。
リコは机を一度拭いた。昼に落とした豆の跡が、ほんの小さく残っていた。
「由来、書いておきますか」
ナギが言った。
「拭けば落ちます」
今度はリコも笑えた。布を返し、椅子を寄せる。受付の人が表の戸を開けると、直った樋の下を、客が一人通っていった。




