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24. 明日の店を開けるために

 三つ目の空箱には、まだ昨夜の匂いが残っていた。

 香りを移すために入れたものではない。着た人の髪や、会場で飲んだ甘い物や、外へ出た時の夜風が、布と一緒に閉じ込められていたらしかった。リコが蓋を支えると、貸衣装の担当者は内張りを持ち上げ、忘れ物がないか確かめた。


 衣装の状態を一着ずつ見たあと、十二着が三箱へ戻る。リコが読むのは、まとめた箱の番号と行き先だった。昨日の列で誰がどの色を着たかを全部覚えていなくても、今朝の仕事はできる。


「こちらは、ここで受取りをお願いします」


 担当者が紙を渡した。ナギが荷台の留め具を確かめ、リコは三つ目の印を照合する。箱は決めた通常便の荷受けへ移った。二人のツバメ号へ積んで持ち帰る荷ではない。

 タエが、片づけの終わった広場から来た。短い三つ編みに、紙くずが小さく一片付いていた。リコが教えると、彼女は指で取り、掌を見て笑った。


「昨日、散らした分。全部回収できたと思ったのに」


 修正した数量と代金を、取次担当の控えに合わせる。貸衣装十二着の二百十六リン、往復の運送六十リン。二百七十六リンという合意の総額が、実際に使った数と一致した。衣装の貸出し分と運営の運送負担は、別の欄で精算される。

 タエは受取確認のある控えを紙挟みの内側へ入れた。厚かった束が、少し薄くなった。


「次も同じ形にするかは、まだ決めないけれど」

「昨日の絵は、残りますね」

「ええ。二枚とも」


 リコは頷いた。どちらの絵にも、見ただけでは分からない問い合わせや、断った返事が挟まっている。タエは紙挟みを抱え直すと、自分の休憩へ向かった。


 *


挿絵(By みてみん)


 《宵のひだ》の仕上げ台は、しずく園の縁飾りのために空けてあった。

 桃色から橙へ続く筋が、長い一枚の時より近く見える。擦れて白くなった端を外し、中央の残せる部分へ縁を付けた。掛ける箇所に同じように力が集まらない形で仕上げられ、取扱いを記す札と、留める向きの図が横にあった。


「持ち上げてもらえる?」


 イリスに頼まれ、リコとナギが両端を支える。引っ張らず、途中が床へ垂れないよう、イリスが中央を受けた。布は前より短いのに、部屋の中へ色を広げる姿はよく知っていた。


「また、あそこに掛かるんですね」

「使う時までの扱いも、渡しておきましょう」


 イリスは布を下ろし、手入れの紙を読み合わせた。受けた光は徐々に弱まる。強く光らない部分が残ること、保管では無理な折り目や擦れを避けること、洗う前には添えた方法を確かめること。新しく光らせれば古い糸の傷みまで戻る、という約束はしない。

 来年の夕焼けを今から閉じ込めて送るのではない。使う日にまた光を受けさせるため、丈夫な部分を残して形を整えた品だった。リコは手入れの紙を箱へ添え、現地で飾る人にもその違いが渡るようにした。


 リコは依頼主の了承をもう一度見た。縁飾りにする案、料金、舞踏会翌日の発送。どれも同じ注文の中にある。作り終わった品を見てから、これでよいかと初めて尋ねるのではなかった。


「白いところも、入っています」


 ナギが別の袋を示した。切り離した端は返してほしいという希望があり、加工中も分けて保管していた。元の筋と見分けられるよう札を付け、完成した縁を支える包みとは別にして、同じ箱へ入れる。


 リコはその袋を一度掌へ載せた。最初に見た時は、傷んだところを取り除けば仕事が終わるようにも思えた。依頼主がこれをどう使うかは、まだ知らない。来年の飾りに縫い足すとも、全部捨てるとも、二人には決められなかった。

 覆いを掛ける前に、イリスが布の端を整えた。新しく付いた縁が、彼女の指からゆっくり離れる。


「送り出すの、惜しくなりませんか」


 リコが聞くと、イリスは少し笑った。


「なりますよ。だから、店に全部残っていたら困るの」


 箱を閉じる音は、ミナト輪で最初に包んだ時より軽く聞こえた。支えの入れ方が変わり、残った隙間には柔らかい詰め物がある。リコは手入れの紙が入っていること、依頼主の宛先、箱の番号を順に読み、ナギが控えと照らした。


 予約した便の荷受け口では、係員が取扱札を読み、箱を指定の棚へ移した。受領の印をもらっても、リコは注文の完了欄へは印をつけなかった。今度この番号を見るのは、使う人が受け取ったという返事の上になる。


 午後、店へ戻ると、イリスは会計の帳面を開いていた。

 舞踏会の最初の構想どおりに注文が集まった場合の数字と、実際の売上は違っている。取消した服、追加を断った補修、仕上げの日を後へ移した品。ひとまとめに失った金として扱わず、それぞれの控えへ戻って確かめる手つきだった。


 リコは、局へ返す配送の費用のところだけを読み合わせた。店の全部の帳簿を受け取るわけではない。現地局からは、遅配の報告を受理し、店との費用の照合を終えた控えも戻っていた。取消客への返金済みの記録と合わせ、双方の担当が処理を確かめる。リコは報告者の欄にある自分の名を見た。個人で代金を払って話を終わらせず、ここへ残した名前だった。イリスは控えを別に綴じ、失った売上の欄はそのまま残した。それが済むと、織機の調整に払った四十八リンの領収を引き寄せた。


「その分は、戻りましたか」


 聞いてからリコは、売れた額と残る額が同じでないことを思い出した。イリスはすぐに、戻った、と言わなかった。


「材料の支払いを済ませても、次の月へ回せます。大きく余るほどではないけれど」


 店の奥には、調整した小型の織機があった。新しい工場ができたわけではなく、昨日までと同じ台が、今日は次の小さな柄を織るために空いている。


「しばらくは、この仕事の数でやってみるわ。少なすぎたら、また考える」


 リコは帳面の空白を見た。全部が注文で埋まれば嬉しい、と今も思う。でも、その全部をイリスが夜中まで縫うところまで、一緒に願う気にはなれなかった。

 午後の客が来たので、イリスは帳面を閉じた。新しい上着を注文する客だった。舞踏会には間に合わせなくてよいという。イリスは、いつ着るのかを尋ね、見本を二枚出す。リコは返却の空箱を持ち、次の仕事へ向かった。


 翌日には、短い襟飾りを選んだ客へ、完成品が渡った。

 薄茶の上着の襟に、外向きの小さな葉が載っている。客は帽子をかぶり、鏡へ横顔を向けた。最初に頼もうとした長い飾りの話は出なかった。帰り際に戸口で振り返り、畑へ行く日にも使う、と笑った。


 その次の日、リコたちは担当を休む半日を取った。現地局の人へ控えを渡し、船の必要な確認を朝に済ませてから、宿の近くで遅い食事をした。ナギは工具の店の前で足を止めたが、入る前に、今日は見るだけのつもりだと言った。リコは、その言い方ほど確かな予定もないね、と笑い、一緒に棚を覗いた。


 短い柄に丸い先の付いた道具があった。何に使うのか尋ねると、布へ跡を強く付けずに折り目を押さえる物だと店主が答えた。ナギは先端の裏へ目を回し、使ってよい見本か確かめた。渡された端切れを台へ広げ、小さな折り返しを作る。


「私にもできる?」

「押すだけなら。折る線は、先に決めた方がいい」


 道具を受け取ると、リコの一度目の線は途中で少し曲がった。力をかけたのは同じつもりだったのに、端の方だけ深くなる。ナギが手を出しかけたが、リコはもう一度、と自分で布を広げ直した。

 次の線は、さっきよりまっすぐだった。


「買う?」とリコが尋ねた。

「持って帰ったら、布より木の継ぎ目へ使ってしまいそう」

「怒られるかな」

「誰に」


 店主が笑い、どこへ使うかは買った人のものだが、この丸みを傷つける使い方なら向かない、と教えた。ナギは道具を見本の場所へ戻し、礼を言った。何も買わなかったのに、店を出てからも、指であの丸みを確かめるような動きをしていた。


 リコが自室へ戻ると、椅子の背に青い帯が掛かっていた。特別な箱を買うことはしなかった。広げて汚れと折り目を見て、いつもの服の隣へ置く。今度着る時は舞踏会でなくてもよい。そんなふうに思ってから、母への手紙の続きを書いた。


 さらに一日、通常の配達があった。前より涼しい朝、布を乾かす区画へ出入りする人が上着を着ていた。コウの工房から出る小口には、それぞれ別の色見本が付いている。まとめられる準備はまとめても、客へ届くまで同じ色にはならない。リコは包みごとに番号を読み、次にいつ確認するかを受取人へ伝えた。

 待っている間に、町は止まらなかった。


 発送の四日後、しずく園の主催から返事が届いた。

 箱の番号、受け取った日、縁飾りと切り離した端の袋を確かめたこと。そのあとに、取り付けの図と手入れの紙を、来年の担当へ一緒に渡すと書いてあった。箱を開けた時に、その場の人たちで一度広げたという短い報告もある。


『真ん中の筋を、皆が覚えていました』

 イリスはその一行をリコに読ませた。絵もなければ、実際に掛けた姿もない。それでもリコには、誰かが布の端を持ち上げ、別の誰かが、そちらではなくこっちだ、と笑っているところが浮かんだ。


「届いたね」


 ナギへ言うと、彼は番号を確かめてから、うん、と答えた。

 イリスは受領の返事を注文の控えへ綴じた。料金の扱いも取り決めどおりで、依頼はここで閉じられる。リコは局へ返す報告の完了欄を埋めた。初夏から行き来していた紙が、最後に一つ、同じ束へ収まった。


 客が来るまでの短い間に、イリスは次の休日の掲示を書いた。受取りに来る客の時刻と重ねず、前もって出す。リコが戸へ掛けると、風で少しだけ裏返りそうになった。紐を短く結び直し、表が通りへ向いたことを確かめた。


 *


 その日の店を閉めたあと、イリスは窓辺の椅子へ座った。

 帰り際、ナギは明日の受取札を店の束へ戻していった。地元の担当へ引き継いだ分を、また自分の鞄へ入れはしなかった。リコは最後に夕方の回廊を歩きたいと言い、彼を誘った。イリスが見送った二人は空の手で並び、明るい方を指してから、通行の札を確かめて歩いていった。


 新作の下絵を膝に置いていた。注文の図ではない。肩から一筋だけ明るい色を流し、背の方で止める。全部を華やかにしたい時にも、途中で色を止めたい時にも、まだ描いている間なら試せる。

 壁へ一枚貼ると、隣には明日の補修札が並んだ。舞踏会で着た自分の服は、もう私物の箱へ戻してある。来訪客の顔を思い出して少し笑ったが、ペンを持つ手がそのまま速くなるわけではなかった。


 机には、次の月の支払いと仕入れの控えがある。明日、どちらを先に返事するか考える必要がある。イリスは忘れないよう紙の角へ印をつけ、いまは伏せた。

 窓の外を誰かが通った。新作の絵に目を留め、少しだけ足を緩める。すぐに歩き去ったので、何を思ったかは分からなかった。


 イリスは椅子へ座り直し、まだ温かい茶を飲んだ。空になった杯を置いてから、もう一度下絵を見た。明日も、この店の戸を自分で開けるのだった。

3章(3巻)まできてやっと書きたいことが書けている感じ

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