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17. 曇りの日の招待状

 朝から、窓の形だけが布に載っていた。

 いつもなら色の深い所へゆっくり明るさが集まるのに、今日は四角い白さが移るだけだった。リコが空を見上げても、雲に切れ目はない。店々の採光窓が並ぶ通りも、薄い灰色の布をもう一枚かぶせたように見えた。


 ナギは同じ時間だけ窓へ出した二つの見本を、台の端へ戻した。昨日の明るさを記した控えも広げる。薄暗い仕切りの内側へ見本を持っていくと、違いはリコにも分かった。今日は目を近づけなければ糸の光を拾えない。

 窓辺で明るく見えることと、そこを離れて布が光ることは違う。今日の弱い光では、見本にためられた分も少なかった。リコは日向の色だけで、大丈夫だと言いかけた口を閉じた。


「窓を替えても、今日の分は足りないと思う」


 彼が言うと、イリスは予定表を見た。光の工程の印が、三つ並んでいる。昨日までに発光の確認を済ませた所と、今日初めて確かめる追加の部分は、同じ衣装の中にもあった。


「雲が薄くなったら、戻りますか」


 リコの問いに、ナギはもう一度窓を見た。


「布が受ける光は増える。でも、いつ薄くなるかは分からない」


 彼はその先を約束にしなかった。リコは見本を仕切りから出し、手の中で広げた。明るい場所で見れば、どちらもちゃんと綺麗な布だった。暗がりで光ることを期待して注文した人に、それだけを言うわけにはいかない。


 イリスは朝から窓へ出していたユラの葡萄色の晴れ着を、台へ移した。紙店で働く短い黒髪の女性が、自分の金で頼んだ新作だ。今日は裾へ加えた部分の光を確認する予定だった。服全体へ同じ光を当てたが、その細い区画だけが暗く沈んでいる。よく晴れた日にもう一度試せればとも思うものの、今の空では確かめようがなかった。


「ここを明るい糸で足すのは」


 言ってから、リコは完成している部分へ目をやった。そこから取れば、別の場所に足りない所ができる。

 イリスは飾りの箱を持ってきた。光るものばかりではなく、つやの少ない細い組紐、色の違う小さな布の葉、平らな留め具が並んでいる。


「ご本人に見てもらいましょう。弱いまま残すか、この部分だけ光らない飾りに替えるか。今の形を見ないまま決めてもらうのは難しいから」


 リコは本人の都合を確かめに出た。遅れるかもしれないという言葉だけが、先に走っていかないよう、何を見せられるかを控えに書いてから鞄を閉じた。


 紙店のユラは、インクの付いた袖を捲り、帳面を閉じるところだった。店番の人に短く話してから、休憩に出られると言った。リコが仕上げの事情を伝える間、一度だけ窓へ目をやる。空を恨むというより、そんなことまで服に関わるのかと確かめる視線だった。


「舞踏会は、やるのよね」

「ええ。曇りでも開かれます。今日は服のここを見て、選んでもらいたくて」


 リコは控えの小さな図を指した。早く安心させようとして、問題は小さいとまで言わなかった。ユラが時間を取り、店まで歩く分も、この雲の影響だった。

 宵のひだへ戻ると、イリスは先に全体を見せた。ユラは何も言わず、二、三歩後ろへ下がる。照明を落とした仕切りの内側で見ると、葡萄色の明るい線が腰から流れ、裾の片側だけ途切れて見えた。


「離れると、分かるわね」

「はい。よく晴れた日に確認を延ばすこともできます。ただ、今の受取日までに、この部分も狙った明るさになると確かめられるかは、お約束できません」


 ユラは裾を指で摘まんだ。光の弱い所を自分の足の後ろへ回そうとし、それをやめた。リコはその小さな動きを見て、早く飾りを見せたくなった。けれど彼女が手を離すまで待った。


「やっぱり、あの日に着たい」


 イリスが頷き、細い組紐を当てる。光のない、少し青みを含んだ灰色だった。次は深い赤の布を折った飾り。最後に、同じ葡萄色でつやを抑えた幅のある縁を置く。ユラは最初の灰色へ戻した。


「光らなくていい。ここの形が、これならはっきりする」


 鏡の前へ立ち、イリスが本人の了承を得て仮止めする。薄暗い所では灰色は静かだった。灯りを戻すと、光る部分と違う滑らかさで裾が揺れた。ユラは片足を引き、もう一度前へ出した。広場の足形を見た夜のことを、リコは思い出した。


「踊る時にも、引っかからない?」

「今の留め方は仮です。完成したら、その動きでもう一度試してもらいます」


 イリスは見本を外す前に、追加と取り止めになる加工の費用を、元の注文と合わせて説明した。ユラは合計を確かめて頷いた。晴れ間を待つ案に印は入らず、飾りの変更に署名が置かれた。

 イリスが控えを作る間、ユラは鏡を見ていた。


「全部、同じように光るのも見たかったな」


 リコは慰めの言葉を探してしまった。けれどユラは彼女の方を見ていない。新しい服の腰の辺りを、両手でゆっくり整えている。


「言っても困らせるだけかもしれないけど」

「困らせていません」とイリスが答えた。「そういう注文をいただいたのだから」


 ユラは頷いた。飾りを選んだことで、がっかりした分をすぐ消さなくてよいのだと、リコも少し息をつけた。鏡の前へ組紐の端が垂れている。ユラはそれを持ち上げ、右へ軽く回った。裾が遅れてついてくると、顔が不意に明るくなる。


「でも、これ。こんなふうに動くんだ」

「そこが、今回の裾で見てほしかった所です」


 イリスの声まで嬉しそうだった。リコはその一瞬へ言葉を重ねず、ぶつからないよう横の椅子を引いた。ユラがもう一度回れる場所を作る。仕事の休憩が終わるまで、まだ少しあった。

 リコは控えを受け取った。そこに選択という立派な文字がなくても、紙を持つユラの指はさっきより軽かった。


挿絵(By みてみん)


 ユラが仕事へ戻ったあと、別の客が来た。短い肩掛けを頼んでいる成人の男性で、使うのは舞踏会ではなく、その後の集まりだという。彼は弱い光の見本と、代わりの飾りを並べてもらい、やはり光る方を待つと言った。


「布が気に入って頼んだから、そこは待ちたい」


 予定は翌週までに再確認。天候によって仕上がりを確約できないことも聞き、彼は了承した。すぐ使う必要のない人を、急がせなくて済む。リコは表から今日の完成印だけを外した。変更の三角を付け、本人へ渡す紙には連絡する日を書く。

 客は台に並ぶ光らない組紐へもう一度目を留めた。


「あれは、あれでいいね」

「選んだ方へ伝えても?」


 イリスが尋ねると、彼は照れたように手を振った。


「名まで出さなくていいよ」


 今日は誰も、空を晴らしてくれとは頼まなかった。それでも店の予定が楽になるわけではない。ユラの変更で新しく縫う場所が増え、待つ客のための保管場所も必要になった。イリスが棚を開けると、リコは品名の札を読み上げ、積み重ねる順を一緒に替えた。


 新しく光る品を棚の奥へ入れる時、リコはしずく園の記念布を確かめた。作り直す縁はまだ途中で、返す白い端も同じ依頼の袋にある。主催が了承したのは、残った筋を使うことだった。こちらの心配から勝手にもっと強い光へ変える理由はない。イリスは中央の橙色を一度撫で、また包んだ。


 午後の便の中に、イリス宛ての小さな封筒があった。

 店の注文に使う紙より薄い。リコは宛名と差出しの表示を確認して本人へ渡し、ほかの受領控えへ戻った。封の破れる音がしても振り返らなかったが、イリスがしばらく動かないことは分かった。針を入れる時の静けさより長かった。


 嬉しいのか、違うのか。どうしても気になってしまう自分に、リコは鞄の留めを閉じたり開けたりしていた。ナギは窓辺の見本を片付け、必要な結果だけを記している。二人の間に、いつもより紙一枚ぶん大きな隙間があった。


「遅い時間なら、都合がつけば来られるって」


 イリスが自分から言った。

 リコは顔を上げた。「よかった」と言うには、まだ少し早い文面だった。それでも何も言わないのも違う。


「返事、来たんですね」

「ええ。来たわ」


 イリスは同じ言葉を返し、手紙を折った。読み直す前に一度だけ指が止まったが、そのまま自分の袋へしまった。誰からなのか、なぜ遅いのかは話さなかった。


「席、空けておきましょうか」


 リコが言うと、彼女はゆっくり首を振った。


「まだお願いしなくて大丈夫。相手にも、当日にならないと分からないことがあるから」


 イリスの声はいつもの接客の声より低く、小さかった。薄いショールを肩へ戻す手つきだけは同じだったので、リコはそれを見てしまう。何でも上手に言えるように見える人が、同じ仕草で、言い切れないことを抱えている。

 店が静かになった時、イリスは自分用の衣装を作業台へ戻した。以前、しまったままになっていた裾だ。リコはその脇から業務の紙を除ける。


「来られると決まってから、仕上げるのかと思ってました」

「決まってからだと、私は間に合わなくなるわ」


 イリスは針へ糸を通そうとして、一度外した。


「それに、もう着たいの」


 その短い言葉を聞いたあと、リコは手伝いましょうかとは言わず、湯を替えるため奥へ立った。縫うことは出来なくても、台の上へ次の注文を差し出すのを少し待てる。客が来れば取り次ぎ、誰も来なければ、湯が冷めるまでこのままでよかった。


 ナギが記録を閉じた時、リコは自分の湯飲みを持って窓へ寄った。まだ雲は厚い。晴れるのを待って、なんとなくよい時が来たら、自然に一曲の話になる。自分はそんな天気を待っているのかもしれなかった。


「寒い?」


 ナギが窓を少し閉めようとした。


「ううん。そこまでじゃない」

「じゃあ、これくらい」


 指二本ほどの隙間を残す。風が弱くなり、机の上の小さな三角が動かなくなった。リコは彼へ言いたい言葉を思い浮かべたまま、湯飲みに口を付けた。明日の担当はまだ固まっていない。本番の仕事の区切りも、これからだ。そういう理由なら幾つも口にできるのに、そのあとに続く自分の希望のほうが難しかった。


 夕方、ユラの飾りの見本が留まったまま、衣装は作業台に掛けられた。灰色の線に光はない。店の灯りを入れると、葡萄色の下でその線だけがすっと形を取った。イリスは自分の裾を一針進めてから、ユラの注文札へ戻る。


「これ、明日は仮止めの続きを見ましょう」


 リコは頷き、閉店の時刻を確かめた。空が一度も明るくならなかった日にも、店には仕上がりを待つ色が増えていた。


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