12. 切手を裏返さずに分かること
イリスが出してくれた見本帳には、紙より布の方が多かった。厚い表紙を開くと、小さな四角や細い帯が糸で留めてある。端だけが浮き、めくるたびに違う色が隣の頁へ影を落とした。
「こちらだと思ったの」
差し込んであった白紙を抜くと、青い丸と、葉のような形を連ねた縁柄が現れた。リコは昨日の絵葉書を思い出すより先に、これを袖口へ縫ったら、腕を動かすたび丸が順に見えるだろうと考えた。
作業台の一端を借りて、ナギが手帳を広げた。しずく園の交換会で写した古い切手の図は、鉛筆の灰色をしている。植物と周りの線、そのそばに丸。色は「青」と文字で添えられている。リコは別の紙から、昨日、資料展示室で写す許可を受けた絵葉書の図を出した。
三つを並べると、昨日まで頭の中では同じだった丸が、まず違う形に見えた。切手の写しは横に平たく、絵葉書の写しはほぼ丸い。見本帳の丸には、織り糸の角があった。
「これ、丸の幅が違うね」
「僕の写し方の違いかもしれない」
ナギは即座に答え、切手の紙を押さえた。
「こっちは原物を測ってない。昨日の葉書も枠の外から見て描いただけだから、紙に描いた大きさを測っても、元の比べ方にはならない」
リコは、自分が二つの写しを同じ大きさに描かれた物として見ていたと気づいた。どちらも鞄から出てきた小さな紙だったので、手に持った時の近さを信じてしまっていた。
「じゃあ、大きさは今日は分からない」
「うん。何が隣にあるかは見られる」
ナギは定規を出し、余白に区切りを引き始めた。日付と場所、何を写したかを分けるためだったが、見本帳に寄せた定規が、肝心の青い丸を隠している。
イリスはしばらく黙って眺め、それから小さな紙を差し出した。
「仕切りができたら、図案にも席を返してあげて」
ナギが定規を持ち上げた。青い丸が再び出てきたところへ、リコは我慢していた笑いをこぼした。ナギも笑ったが、定規をしまわず、机の向こう側へ丁寧に置いた。
「線を引くことだけは、正確にできるんですけど」
「それはとても助かるわ。服は線の外へ動くけれど」
イリスは見本の帯を頁から完全には外さず、留め糸の間で少し持ち上げた。直線だった葉の並びが緩く曲がる。丸は二つ重なって、一つの細長い形に見えた。
リコは覗き込んだ。昨日、葉書の枠の縁に見た細い線を、この布の葉だと思いたくなる。でも、紙に写された線は途中で切れており、葉の形まで見えたとは言えない。
「切手は植物が見える。葉書は、そのあたりは細い線だけ。布は、この葉の並び」
口に出すと、似ているところより、知らないところが増えた。ナギはそれを欄外へ書いた。最初に描いた線を、見本の葉へ似せて直しはしなかった。
「局の古いポストにも、枝分かれした線があったんです」
リコが言うと、イリスは二人が比べたという部分を聞いた。ミナト輪の局の奥、通路の壁際にある、根の模様のポスト。青い丸はなく、曲がる線も全部同じではなかった。リコは開けたことも中を見たこともないと添えた。
通路に据えられたその投函箱と、保管室の壁に残る紙送りの仕分け口は別物だった。今、二人が比べているのは箱の外側の柄だけで、同じ模様なら紙も同じ道を通る、と確かめたわけではない。
「同じところから来た柄なら、面白いわね」
「そう思うんです」とナギが言った。
「ただ、気に入った柄は人が運ぶでしょう。布を買った人が隣の島で似た柄を頼むこともある。何かに使う決まった印を、飾りに取り込むこともあるわ」
イリスは布の青を指した。
「私が分かるのは、この並べ方なら襟でも途中の形が残りやすいこと。それから、青い丸を一つ抜いても柄として使えること」
ナギは一瞬、言葉を探すように見えた。リコにも少しもどかしかった。昨日は遠い町へつながる糸を見つけたようだったのに、今日は同じ糸の端がいくつもある。
「使う側は、意味を知らなくても使えるんですね」
「私は、この柄の一番初めの意味を知らないもの」
イリスはそう答え、見本帳の端を揃えた。知っていることが豊かな人にも、知らないまま役に立てている形がある。そのことは、リコを安心させるより先に、少し落ち着かなくさせた。頁の柄を照合用に写す許可をもらい、二人はもう一枚の紙に形の並びを描いた。
*
調べる時間は、午前の短い空きに限っていた。次の採寸が始まる前に片づける約束だったので、ナギはまだ開いていない頁へ手を伸ばし、途中で止めた。
「ほかの頁も、別の日に見せてもらえますか」
「ええ。ただ、帳面を全部持ち出すことはできないわ。今も使っているから」
「ここで。日が決まってからで大丈夫です」
リコは三枚を片づけながら、ナギの手元を見た。もっと見たいという顔は残っていた。一度気になる道具を見つけると、いつまでも調べ続ける人だ。今日はどうするのか尋ねたいのに、仕事の予定を管理するような言い方はしたくなかった。
「あとで、見えたところだけ整理しよう。全部の答えを今日出すんじゃなくて」
「書いておかないと、昨日の窓の数も混ざる」
ナギはそう言い、表紙を閉じた。イリスが見本帳を棚へ戻すと、台の上はいつもの仕立ての場所になった。青い丸が消えても、針と糸の仕事は続く。
昼の受渡しを終えてから、二人は宿の食卓を一つ借りた。食事の皿を下げ、乾いていることを確かめて紙を置く。ポルは昼の世話を頼んだ担当の女性のところで、許された端布に埋もれていた。籠の向こうから橙色の耳だけが見え、リコが呼ぶと一つだけ動いた。
「いまは寝てるの。朝、だいぶ布を運んだから」
女性が小声で教えた。リコは籠を覗き込まず、席へ戻った。
ナギは切手の写しの下に残る日付と交換会の場所を読み、昨日の展示番号、許可の控えと別々に並べた。どちらの原物も、二人の物ではない。切手は収集家のもと、葉書は展示室の枠の中にある。その違いも書き添える。
リコが見本帳の図を指した。これはイリスが照合に使ってよいと認めた頁から、今朝二人が写したものだ。布の糸目はそのまま写せないので、形の並びだけを描いた。絵葉書の線と、同じに見えるよう一枚へまとめる案を、リコは取り下げた。
「三枚ある方が、面倒だけど分かるね」
「写すたび、僕たちが一人挟まるから」
ナギは鉛筆を指で回しかけ、紙の上へ置いた。
「原物を並べたことにはしないようにしたい」
窓から通りの声が入った。昨日の丸を見つけた時ほど、二人の声は弾まなかった。リコは、似ていた、と誰かに知らせたい気持ちの方が強いと気づいた。故郷の母へ書くなら、動く食堂の絵の話だけで一枚使える。でも局へ出す照会にまで、それを混ぜるわけにはいかない。
「食堂っていうのは、私の想像の欄?」
「それは、この控えにはなくてもいいかな」
「重要かもしれない」
「食べ物が描いてあったら、追加しよう」
リコは笑った。真面目な紙の外に、自分の行ってみたい場所が残っていてよかった。
片づける前にナギが、絵葉書の曲がり角をもう一度指で囲んだ。
「この建物の窓、上と下で幅が違う」
「上の階の方が、よく見えるのかな」
「中から見れば、そうかもしれない」
それは照合のための話というより、知らない宿へ泊まる部屋を選ぶ時の声に聞こえた。リコは曲がり角の内側を指した。
「ここに茶屋があったら、私は窓際がいい。車が来るたびに見える」
「毎回来た方を見るんだろうな」
「だって、初めて見る車だもの」
彼は顔を上げ、今度ははっきり笑った。リコは葉書の町へ一人で行く絵を、最初から考えていなかったことに気づいた。ナギはそこにいて、たぶん車輪の話をする。その話を聞きながら何か食べたい。それだけの場面が、今日分かったことのどの欄よりも鮮やかに浮かんだ。
展示室からの受領記録の返事はまだ来ていない。次に分かるのが、しまってある場所だけなのか、受け取った日までなのかも不明だった。二人は必要な控えを一組にし、次の返事をどこへ受けるかをもう一度確かめた。それ以上は、新しい紙を増やさなかった。
午後、《宵のひだ》では、短い襟飾りを頼んだ客が鏡の前にいた。肘に布を当てた薄茶の上着、膝の帽子。四日前、大きな飾りの見積を断念して、丈夫な端布から小さな形を選んだ女性だ。工房から改めて出た費用と日取りに了承を返し、今日は形の細部を決めに来ていた。
イリスが小さな紙片を襟の下へ重ねている。先ほどの古い見本帳から取った葉の並びが、細い線で描いてあった。青い丸はなく、形も襟の幅に合わせて省いてある。
「この縁に、一つだけ刺してもいいと思って。店の見本の柄です。今のまま何も足さない仕上げと、こちらと」
追加する手間と料金を先に示すと、客は鏡の中で二つを見比べた。リコはその少し後ろに立った。謎の紙を見つけた人として解説したいわけではない。ただ、午前の帳面にあった物が、人の首のすぐ下に来ているのが面白かった。
「その葉、私の方じゃなくて、外へ向けられる?」
「こちら向きに?」
イリスが紙を返した。客は顎を引き、帽子をかぶった。
「そう。自分へ刺さってくるみたいなのは、落ち着かないから」
ナギが脇で小さく息を漏らした。リコは、今朝、線の向きを細かく照合していた彼が何を思ったか尋ねなかった。客は意味も来歴も知らず、自分の顔の向きに合わせて葉を変える。それで、この襟の形はよくなった。
「こっちで。追加の分も、お願いします」
イリスは客が選んだ向きで下絵を札へ留めた。店の見本帳の頁も書き添え、葉先が外へ向くよう矢印をつける。リコは客の受取予定を控え、工房へ返す次の便の束へ入れた。
客が帰る時、短い襟飾りの下絵をもう一度見て笑った。
「大きいのだったら、帽子と喧嘩したかもしれないね」
イリスも笑った。リコは、四日前に膝まで指を下ろした客の手を思い出しながら、鏡を元の場所へ戻した。
閉じた見本帳を棚へ戻す時、イリスは頁に白紙を挟んだままにしておいた。リコたちがまた見る時のためだった。ナギは礼を言い、鞄の内側の三枚を確かめた。
棚の中で、使い古した表紙は新しい注文札の隣に立った。リコには、遠い町の線より、鏡に向かって首を傾げた客の仕草の方が、今ははっきり見えた。




