11. 箱形の乗り物の町
資料展示室へ届ける布は、光らなかった。展示台を使わない時に掛ける覆いで、角の擦れを直したものだった。リコは入口で受取人を確かめ、包みの紐を解く場所を教えてもらった。壁際に置かれた空の台と布の角を合わせると、継ぎ足したところがちょうど外側へ折れた。
「それなら、開ける時に手を掛けやすい」
灰色の袖を肘まで上げた展示担当の男性が、布の端を少し持ち上げた。使い方を確かめてから受領の印を押す。リコは控えをしまい、部屋の奥へ目を向けた。
織町に来た人のための資料室だと聞いていたので、織機の小さな模型や糸の束を想像していた。それらもあったが、壁には荷札、使い終えた催しの案内、道を描いた紙が、別々の額に入っていた。誰かが捨てずにいた物が、ここでは人を立ち止まらせるために並んでいる。
「見ていってもいいですか」
「もちろん。持ち物は通路へ出さないでください」
次の受渡しまで時間があった。ナギも港からの確認を終え、同行の控えを閉じている。二人は鞄を肩から前へ寄せ、展示を一つずつ見た。
入口側の古い絵には、今より低い建物の間に布が干してあった。リコは、ここに来た初日に見上げた色の道を思い出した。昔も、あの布の下で仕事を急いだ人がいたのだろうか。解説に書かれているのは絵が示す仕事と道具で、誰がどう急いだかまでは分からない。足を止めていたナギが、隣の額へ近づいた。
「リコ。これ」
薄い紙片が、枠の奥へ平らに収めてあった。絵葉書だった。通りの曲がり角に、細長い箱のような物が描かれている。青みを帯びた側面に四角い窓が幾つも並び、その下には黒い輪が見えた。箱の前には人影が一つあり、建物の屋根が後ろへ続いている。
「食堂?」
リコが言うと、ナギは額へ触れずに少し横へ動いた。
「車輪がある」
「食堂に車輪があってもいいと思う」
「それは、そうだけど」
窓はどれも外の通りを向いていた。リコには、並んで食べる人が外を見られる作りに思えた。丸い屋根も、風が強い日に暖かそうだった。ナギは窓の下を目で追い、前後の黒い輪が地面の線に接していると指摘した。
「地面を走る車なら、この向きに進むのかな。帆は、少なくともこの面には見えない」
「進む食堂」
「そこは残るんだ」
リコは額の前で声を抑えて笑った。乗り物だとしても、どこで人が乗るのかすぐには分からない。前に立つ人影は小さく、手を上げているのか、何か持っているのかも曖昧だった。
絵の通りは、不思議なくらい平たく見えた。島の斜面を回るような坂も、係留するための桟橋も、この範囲には描かれていない。建物は通りに沿って角を曲がり、窓の上に張り出した庇があった。その下にいる人へ、リコは自分の影を重ねてみた。知らない町で昼を食べるなら、あの庇の下がよさそうだった。
「どこの町なんでしょう」
展示担当へ尋ねると、男性は手にしていた刷毛を置き、額の脇の解説を示した。
「場所は、まだ確かめられていません。所蔵の記録と、この面を公開してよいという同意はあります。裏側は個人へ宛てた部分なので、お見せしていません」
紙を裏返せばどこかに名前があるかもしれない。思いつくことと、見せてもらえることは別だった。リコは解説を読み直した。年代のはっきりした町の絵の隣にあるから、これも同じ時代だと思いかけていたが、この葉書には同じ年が書かれていない。
「ここへ来たのが、いつかも?」
「受け取った時の記録が別に保管されています。この部屋へ移した時の整理とは分けているので、今ここではお答えできません」
男性は分からないことを恥じる様子も、秘密らしく扱う様子もなかった。リコが額へ目を戻すと、ナギは箱形の車の下ではなく、絵の縁を見ていた。
小さな青い丸がある。隣には、飾りなのか文字なのか判然としない細い線が続く。丸の欠けたように見えるところは、紙が傷んだためか、もとの印刷か、リコには決められなかった。
「あの写しに、あったね」
彼女が言うと、ナギは頷いた。しずく園の交換会で、収集家の許しを得て古い切手を写した紙。丸の青は鉛筆で描けず、文字で書き添えてある。局に戻って、根の模様のある古いポストと周囲の線を並べたが、何の印なのかは分からなかった。
その写しはナギの手帳に入っている。ただ、ここで急いで広げれば、目の前の絵を見るより先に、同じところを探すばかりになりそうだった。
「まず、これだけ写してもいいか聞こう」
リコは言った。ナギが手帳から手を離し、展示担当の方へ向き直った。
*
許可を尋ねると、担当者は受付の机へ案内した。公開されている面を自分たちの照合に使う鉛筆写しなら認められる。ただし、展示番号と写した日を添え、寸法の正確な複製として扱わないこと。展示の枠を開けて測ることは、今日の許可には含まれなかった。
リコは用途を伝えた。手元に別の古い意匠の写しがあり、詳しい人へ似ているか尋ねたい。男性はそれを聞いて、展示番号と公開部分を写す許可を記した控えを渡した。受領の控えとは別にして、リコは鞄の内側へ入れた。
机へ戻る途中、展示担当は床の小さな糸くずを拾った。先ほど二人が広げた覆い布から落ちた物らしかった。リコが手を出すと、彼は自分のごみ入れに落とし、入口側の古い町の絵を見た。
「あちらは、見ているとよく話しかけられます。あの店はこんなに広くなかった、とか」
「描いた人が、広くしたんですか」
「そうかもしれませんし、話している人の知る頃には狭くなっていたかもしれません。今は両方の話を残しています」
リコは、自分の故郷を絵にするところを考えた。共同かまどは、きっと大きく描く。島の外から来た人なら、舟を寄せる場所を大きくするだろう。同じ町だと分かっていても、見た目は違うかもしれなかった。
「この葉書の町を知っている人は、まだ来ていないんですね」
「私が聞いた範囲では」
担当者はそれだけ答え、机へ戻った。ナギは絵の上と下にどれだけ余白があるかを確かめていた。リコもその横へ立つ。描かれた町を、頭の中で勝手に広げる前に、ここにある小さな通りを覚えておきたかった。
ナギは絵葉書の正面に立ち、まず長い箱の外側を描いた。窓を一つずつ置き、そのあとで車輪を足す。リコは通りが曲がるところと、建物の庇を別に見た。絵では端が額に隠れている箇所もあり、線の続きを想像で足さないよう、途中で止めておく。
「あれ、窓、一つ多い?」
リコが言うと、ナギは鉛筆を上げた。数え直すと、窓と窓の間に立つ人影のような暗い部分を、窓の縁に混ぜていた。彼は消し切らず、どちらの線が見えたものか分かるよう訂正を添えた。
「食堂なら、あそこは給仕口かも」
「乗るところかもしれない」
「給仕口から乗ったら、叱られるね」
ナギは笑いながら鉛筆を持ち直した。答えが分からなくても、見るものは減らなかった。車の周囲の人影に、近くの庇、窓の並び。リコは小さな四角い紙が、こんなに多くの立つ場所を持っていることに驚いた。
青い丸は輪郭を写し、色を言葉で添えた。丸のそばの線は、見えた部分だけを置く。実物を測っていないことをナギが欄外へ書いた時、リコは紙の曲がり角と目の前の通りを見比べた。
「この道、歩いてみたい」
「どこか分かればね」
「そこからか」
ナギが頷いた。二人とも、何日船に乗れば着くかは知らない。通りの先に港があるかさえ、葉書は教えてくれなかった。
写し終える頃、別の見学客が入ってきた。リコたちは額の前を空け、机で控えを揃える。展示担当が戻ってきて、古い受領の帳簿は旧仕分け堂にまとめて保管されていると教えた。
かつて郵便を行き先ごとに分けていた建物で、今は古い荷や台帳を預かる倉庫だという。この展示室の奥に帳簿が積まれているのではなく、別の管理先へ問い合わせる必要があった。
「整理の予定を管理側へ確かめます。記録の公開範囲も、その時に分かると思います」
「私たちが見に行けば、早いですか」
リコは口にしてから、相手の返事を待った。
「今日は入れません。こちらでも、取り出す手続が必要です」
「では、照会の返事を待ちます。連絡先は現地局で」
滞在の担当先と日程を記して渡した。急いで旧い建物の戸を叩く用事はできなかった。代わりに、展示室の名と番号、二人が見た面を指せる紙ができた。
帰り際、リコはもう一度、箱形の車の前で止まった。今度は食堂の椅子を数えようとしなかった。窓の中には、絵の小ささのせいで顔にならない濃い点がある。そこに人がいるようにも、外の建物が映っているようにも見える。
描いた人は、分かると思って描いたのだろうか。それとも、受け取った人が不思議がることを楽しみにしていたのだろうか。裏側を見なくても聞きたいことは幾つもあった。いずれも、今日の展示担当へ答えを求められるものではなかった。
外へ出ると、布を載せた普通の手車が目の前を横切った。リコは思わず車輪を見た。ナギも同じ方を見ていて、二人で笑った。
「こんなふうに引っ張る人が、絵の外にいたかもしれないね」
「描かれてない方に、道具があることはある」
「中で煮込みを作ってることも?」
「それは君が食べたいだけだろう」
リコは否定しなかった。昼食にはまだ早く、次の配達へ行く道は、焼いた粉の匂いのする通りを横切る。朝、通常便の窓口へ預けたイリスの封書は、もうほかの手紙と一緒に仕分けられている頃だった。リコが扱ったのは宛先と料金と封だけで、中の一行も知らない。知らずに運べることと、見える物を知りたくなることが、同じ鞄の中で少しも喧嘩していなかった。
店へ戻って控えを渡したあと、リコはイリスへ公開部分の写しを見せた。まだ次の客までに余裕がないので、今日は紙の端を一度眺めてもらうだけにした。
イリスは青い丸の文字注記のところで目を止めた。
「この組合せ、見本帳にもあったかもしれないわ」
「車が?」
「丸と、そばの細い線の方」
ナギが手帳を引き寄せかけた。奥から予約客の声がして、イリスは立ち上がる。
「明日、帳面を出しておきましょう。似ていないかもしれないけれど」
リコは紙を畳まず、折れないよう控えの間へ戻した。長い箱の車は、鞄に入る前に一度だけ、窓から差す光を横切った。




