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9. そろった衣装の約束

挿絵(By みてみん)


 紙の上の広場は、リコが知っている広場よりも大きく見えた。人の背丈ほどある掲示用の絵ではない。接客台に広げられる一枚にすぎないのに、中央を横切る桃色の列と、その両側の金色が、奥まで続いている。


「ここで皆さんに振り向いていただくの」


 タエという舞踏会の運営担当者が、絵の真ん中を指した。短い三つ編みの先が肩で揺れる。片腕に抱えた紙挟みは厚く、絵よりずっと多くの紙を挟んでいた。


「最初の曲に合わせて。広場の灯りを少し落とした時、どこから見ても色が続くでしょう」


 リコは、続くだろうと思った。広場に張り出した店の窓まで、服の色が照り返す。夕焼けが地面へ降りてきて、皆の肩のところを歩く。故郷の共同かまどの前にこれほどの人が並んだら、母は一人ずつ名前を呼ぶだけで夜を終えてしまいそうだった。


 イリスも絵を楽しんでいた。光の強さが違う布をどう並べるか、タエの指した位置へ別の色見本を置く。二人の声を聞くうちに、リコは当日までの仕事をもう一つ引き受けたいような気持ちになった。

 ナギが台の空いた部分を指した。


「返す箱は、ここへ入るんですか」


 タエは大きな紙挟みを開いた。華やかな絵の下へ、数量と時刻の並ぶ契約案が出てくる。貸衣装をまとめて運ぶ往路と返却便、保管箱、受渡しの担当。それぞれの料金も分かれていた。


「入口の脇です。ここは通路を残す条件。運送の人にも見てもらっています」


 提示した会社の欄を見て、リコは指を止めた。しずく園の祭りで輸送を請け負ったヴェルの会社だった。以前のやり取りで覚えた名は、紙の上でも少し硬く響く。ここに本人はいない。リコは名を見たままにせず、その下の便の時刻を読んだ。既存の便に衣装箱を載せ、町の保管担当が受け取り、翌日の返却をまとめる。少なくとも、書いてある日程と荷の扱いは、現場で確かめられる形になっていた。


「一軒ずつ衣装を探すのが難しい方にも、ここで選んでもらえます。丈の調整の相談も含んでいます」


 タエはページを送りながら言った。


「借りる方が多ければ、一着ずつの負担を下げられる。運ぶ数が先に分かるので、箱も場所も取りやすい。私たちは、返す日に誰が何を返すのか毎年大騒ぎだから、そこまで付いているのは助かるの」


 イリスが条件の欄に細い指を置いた。


「自由参加の方の衣装は?」

「最初の列に入る皆さんは、こちらの衣装で統一をお願いする案です。そのあとはそのまま踊っていただいて」

「ご自分の服で踊る方は、いつ入るのかしら」


 タエは絵の端を引き寄せた。広場の周囲に薄い灰色で人影が描かれている。中央の色とは違って、そこに服の襞は描き込まれていなかった。


「今の案だと、見物の場所はこちらです」


 リコはさっきまで、自分も桃色の列にいるように眺めていた。急にどこへ立てばよいか分からなくなった。深い青の帯を当てた日の鏡が浮かび、次に、ハナエの古い青灰色の上着が浮かんだ。左袖口を直したら、あの服で踊りに来たいと思うかもしれない。


「直した服を着て来た人は、輪に入れないんですか」


 タエは絵を見る目を上げた。


「入れない、と書くと強いけれど。揃ったところを見てもらいたいのは確かなの」

「私も、見たいです」


 思ったより早く言葉が出た。リコは絵から目を離さなかった。


「これ、きっと綺麗です。でも、貸衣装を借りる予定がない人も、舞踏会へ来るつもりで服を直しています」

「それは承知しています。だから決定の前に持ってきたの。私たちにも、全部を別々に用意できる人手はないから」


 タエの声は少し疲れていた。リコは問いを責める調子にした覚えはなかったが、相手にどう聞こえたかは分からない。黙っていると、イリスが色見本を絵から外した。


「揃える時間と、自由に踊る時間を分けて考えてはどうかしら。紹介の列に入りたい人は借りる。終わってから、ご自分の服の人も中央へ」


 タエは紙挟みから白紙を抜き、すぐには書かなかった。


「最初から全部の客が借りる数で、見積を出してもらっているのよ」


 リコが綺麗だと思った景色には、その数も含まれていた。


 *


 タエは次の打合せへ行く前に、二人と広場を歩く時間を取った。午前の配達を終えたあとで、イリスから預かった店側の質問を確かめに行く。イリス自身は予約の採寸があり、三人で出た。

 広場にはまだ踊るための区画はない。荷を運ぶ手車が通り、その脇で靴底を直す露店の男が客と値段を話している。タエは紙の絵を広げ、入口になる側を顎で示した。


「夕方には台をどけます。昼の子供たちの催しと、大人の舞踏会は別の時間。途中で借りた物を返す人もいるから、着替えの出入りを全部ここへ重ねるのは避けたいの」


 ナギは人が通り過ぎるのを待ってから、足元を見た。水の流れる溝は蓋があり、木の縁が少しせり上がっている。そこを踏んで立ち止まる人がいるか、目で追っているようだった。


「紹介を終えたらすぐ返す必要は、ありますか」

「今の条件なら、その夜は着ていていい。だから、踊る途中で返す窓口を増やさなくてすむ」


 リコは質問の控えへ線を引いた。自由にすれば何もかも簡単になる、と店の中で思いかけていた。けれど入口が一つ増えるだけでも、そこに立つ誰かが必要になる。


「紹介が終わって、着替えたい人がいる場合は?」

「その人数も聞いておく。今は、できると言い切れないわね」


 タエは自分の紙へ書き込んだ。彼女がさっきから、返事の横へ次に誰へ聞くかも書いていることにリコは気づいた。こちらが一つ希望を口にするたび、タエの午後が埋まっていく。


「わたしたちの方で、店へ来る人には聞けます。着る服を決めているかと、紹介の列へ出たいか。店の注文を増やすための聞き方にはしません」

「着る物がまだ決まらない人の声も欲しい」

「それも、分けます」


 タエは紙の角をリコの方へ向けた。質問を四つに絞ると、どの答えも次の判断につながる短さになった。ナギが最後に、当日の受取窓口は現地局との分担がまだ必要だと言い添える。二人の滞在時間を無制限に使える案にはしなかった。

 広場の端で、修繕を終えた靴を履いた客が両足を交互に踏んだ。タエがその動きに目を留める。


「前にもね、貸衣装があったから初めて来られたと言う人がいたの。自分の服を直す当てがなくて」

「借りられるのも、残したいです」


 リコが答えると、タエは初めて、肩の紙挟みを抱え直さずに笑った。


「そう。だから、減らせばいいだけでもないのよ」


 リコは絵をもう一度見せてもらった。桃色と金色の列は、少し短く描いても美しいはずだった。灰色の人影には、それぞれ別の服を想像した。想像しただけでは、箱数も料金も決まらない。それでも、この絵に自分の好きな帯を描く余地は欲しかった。


 午後の店では、ちょうどユラが見本を確かめていた。紙店で働く、短い黒髪の客だ。袖に残るインクの跡は今日も洗いきれておらず、葡萄色の晴れ着の見本に触れる前に、指を手巾で包んだ。

 リコはタエから預かった質問をした。新しく注文した服を本番前に受け取る約束は変わらず、これは会場の装いについての相談だと先に伝える。


「借りた服がいけないって話じゃないのよね」

「ええ。紹介の列を先にして、そのあと自分の服でも踊れる案です」

「私は、これを着て行くために頼んだの。来年ならって言われても、今の楽しみがなくなる」


 ユラは見本の端を押さえた。昨日、工房で古い色の難しさを見たばかりのリコには、その指に同じくらい重い希望が載っているのが分かった。


「統一をやめたら、私の分が先に仕上がる?」

「店の仕上げ順は、この案では変わりません」


 イリスが返した。ユラは少し口を尖らせたあと、分かった、と頷いた。その短い不満を、誰もたしなめなかった。

 別の客は貸衣装の紹介なら見てみたいと答えた。ただし、列へ出るより先に手触りを確かめたいという。イリスは試着できる時刻を相手側に聞く欄を足す。リコは二人の返事を別々に記した。同じ紙へ書いたからといって、一つの賛成にはしない。


 客の途切れた時、ナギが契約案の返却欄を指で辿っていた。汚れの確認をする人と、箱を受け取る人が別に書かれている。


「ここは、分かりやすい」と彼は言った。


 リコは向かい側から紙を読んだ。


「私、会社の名前を見た時、嫌な気持ちが先に出た」


 ナギは指を離したが、紙を伏せはしなかった。


「覚えていていいと思う。今の条件も読めば」

「うん。でも、入口で服を変えてくださいって言うのは、やっぱり嫌」

「そこを変えても、箱の受取りは頼めるかもしれない」


 イリスは二人の話を聞きながら、接客台の端の糸を拾った。


「頼みたいところだけ残して、料金は同じにしてください、とは言えないでしょうね」


 リコは頷いた。残したいものが増えるほど、誰かの手間も増える。そのことを思うと、もう一度統一案を読む必要があった。表紙に戻り、費用へ含まれる作業に細い印をつける。ナギが横から、そこは運送だけの額だと教えた。


 棚の光布が、窓の光を受けて桃色に透けていた。リコは読む手を止めて一度見上げた。こういう布をたくさん着た人の間に、自分も入りたい。綺麗だと思った最初の気持ちは、読み終えても消えなかった。


 夕方、タエが控えを取りに戻った。試着の仕切りの中に客がいるので、接客台の端を借りる。統一案と紹介案を横に置き、数が減った場合の料金、入口の人手、着替えの場所、返却の手間を、一つずつ相手に問い合わせる形へ整えた。


「今日、こちらに決めてほしいとは言えないわね」


 タエは比較案の紙を持ち上げた。


「まだです」とイリスが答えた。「店でも、これから聞く方がいます」


 リコは、タエが絵を丸めるのを手伝った。紙は内側へ強く巻こうとし、桃色の列が一瞬で見えなくなる。リコが片端を押さえている間に、タエが紐を回した。


「あの絵、描き直すことになったら、残しておいてもらえますか」

「気に入った?」

「はい。揃ったところも見てみたいので」


 タエは紙筒を軽く叩いた。


「私もよ。まず、何人がその列に入りたいか、聞いてくる」


 戸が閉まったあと、リコは見本棚の青い帯を探した。まだ自分の物ではない帯は、ほかの色の間に細く折られている。棚から出さずに、橙の縁だけを目で辿った。

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