1. 夕焼けは箱の中で待てない
窓を閉めると、荷受け場から夏が半分いなくなった。
「もう少し。そこの白い筋も」
ピッパに言われ、リコは日よけを引いた。床に落ちていた光が細くなり、やがて箱の手前で途切れる。窓の外では朝の配達車が通り、誰かが荷を持つ順番を相談していた。見えなくなっても、暑さと声は残った。
荷台の箱には、しずく園の晴天祭りを取りまとめていた人の署名があった。
祭りから帰って、七週間ほどが過ぎている。ミナト輪の朝市では青い実が熟れ、リコの腕時計の帯には日に焼けていない跡が残った。コムギ棚への便、局での仕分け、雨で遅れた荷の連絡。その間にも、祭りの案内所に掛かっていた布について、手紙は行き来していた。
最初の返事が来たのは、まだ初夏のうちだった。ユウナギ織町の仕立屋《宵のひだ》から、検査を受けられるのは晩夏になる、それまで洗わずに保管してほしい、と。来年の祭りに使いたい依頼主は、その順番を待つと答えた。先週届いた受入れ日の確認に合わせ、いま、現物が通常の貨物便で局へ届いたのだった。
リコは箱を、自分が祭りから持ち帰った図の隣へ置いた。
梁に掛けて待ち合わせの目印にした、桃色から橙へ筋の走る長い光布だった。日中の光を受けると、日陰でもしばらく自分で光る。祭りの終わりに白くなった端を、洗えば戻るのか、切らずに残せるのか。その相談だけを先に運び、現物は主催の手元で待っていた。
紙で描いた時には小さかった白い端が、中ではどのくらい広がっているのだろう。
「中、見られる?」
「取扱札を先に」
ピッパは返事をしながら、外の紐をほどいていた。短い髪の仕分け係は、リコが局へ来た最初の日にも、荷札の読み方を教えてくれた人だった。今日はその指の横へ、リコも店から来た指示書を広げる。
検査まで、新たに強い光を当てないこと。
布を直接締め上げず、平らな支えごと運ぶこと。
「光をためる布なのに、暗くして運ぶんだね」
「調べる前に、こっちで具合を変えないんでしょう」
脇からナギが答えた。袖を折った藍色の作業着の腕で、空いた板を支えている。青黒い髪の端に、港から来た風がまだ残っていた。
「僕も、修理に持ってきた物を、途中で直されると困ることがある」
「直っていても?」
「直った理由が分からないと、次に何を見るか分からなくなるから」
リコは指示書を立てたまま、窓との間へ回った。薄紙に包まれた細長い布は、それだけでは夕焼けに見えなかった。桃色と橙の筋が沈み、白い端は曇った砂糖のようだった。けれどその真ん中には、雨のあとの案内所で見た折り目がある。
主催から添えられた手紙の末尾を、リコはもう一度読んだ。
来年も、あの色の下で待ち合わせをしたいという人がいます。
検査の依頼書とは別に、そう一行あった。署名の脇には、梁に掛けた時の向きも描かれていた。
*
「夕焼けを包む仕事とは、腕が鳴るな」
からし色の袖をまくりながら入ってきたボンゴは、机を見るなり声を低くした。がっしりした梱包職人の口ひげが、笑うより先に片側へ上がる。
「大声でも色が抜けますか」
「そこまでは、書いてありません」
ピッパが指示書を渡すと、ボンゴは普段の声で、よかった、と言った。
彼が持ってきたのは、布を畳み直すための道具ではなかった。今の支えが箱の中で横へ動かないようにする、小さな枠と柔らかい詰め物だった。リコは初夏にこの人が水槽の箱を整えてくれたことを思い出した。荷物が変わると、同じ手の動きも少し違う。
枠の角を押さえる役を引き受けると、ボンゴが反対側から紐を通した。引いた先がない、と言って首をかしげる。リコが自分の手を見ると、紐ではなく、自分の鞄の細い肩紐まで一緒に握っていた。
「私は、別便にしてください」
「これは二人で持てるか、先に量らないとな」
ナギが真面目に量りの方を見たので、リコは肩紐を離して彼の肘を軽く押した。ボンゴは笑いながら、正しい紐だけを渡してくれた。
覆いを掛ける前に、外装の番号と同封した紙を読み合わせた。しずく園の人が頼んだのは、どこを残せるかの検査と、費用を含めた提案だった。布を新しい形へ切ってよいという返事は、まだない。リコはその違いを店へ伝える欄へ書き、受取る人の名を確かめた。
「イリスさん」
口にすると、会ったことのない人が少しだけ近くなった。
返事の字は細かったが、取扱いを記したところは大きい。同じ紙に、町へ着く時間によって荷を置ける場所と、店が閉まっている時の連絡先が添えてあった。リコがその紙を鞄へ戻すと、ナギは箱を持つ側へ回った。
布そのものは軽い。だが、箱を持ち上げると肘がいつもより外へ出た。重さとは別に、置く場所が要った。
「船の通路には出ない?」
「昨夜、同じ大きさの板で見た。固定する側を空けてある」
ナギは短く答えた。それから、リコが持ち替えるまで待った。
急いでいない時のその間を、リコは以前よりよく見つけられるようになっていた。
*
局長の机には、布の件とは別に、織町の局から来た応援の依頼があった。
舞踏会の前には衣装や材料の荷が増えるという。布を届けたあと、現地の配達を七日間ほど手伝い、帰りの便へつなぐ予定だった。緑のベストを着たマレは、受入れ担当と勤務日を読み合わせてから、紙をリコへ向けた。
「店の方から個別に頼まれることもあるでしょう。その場で引き受けられるのは、こちらと向こうの局で決めた範囲までです」
「増える時は、現地の担当を通します」
「ええ。布をよく知る人と、便を決める人が同じとは限りませんから」
リコはうなずいた。ネリの当番表を思い出す。雨粒どうぶつ園の飼育係には、生き物を運び終えたあとにも仕事があった。今回も、箱が着いたところから始まる誰かの一日がある。
マレは確認を終えた綴りを横へ置いた。
「織町へ行くのは、初めてでしたね」
「はい」
「今の時期は、夕方が長く見えるそうですよ」
リコが思わず顔を上げると、局長は時計を示して笑った。
「時間が増えるという話ではありません。見ていたくて帰れなくなる、と」
ナギも、手帳から顔を上げた。
机の脇で出発の支度をしていたピッパが、二人を交互に見た。
「では、食事の時刻も書いておいた方がいいですね」
「景色を見る時刻は?」
「自分で空けてください」
リコは笑い、勤務表の空欄へは何も書かなかった。知らない町で、まだ知らないものを見る時間を、今から埋めるのは惜しかった。
*
昼の仕事を終えて宿舎へ戻ると、リコは荷袋を床へ広げた。
着替え、雨具、洗面のもの。仕事用の上着の下から、生成りのワンピースを一枚出してみる。いつもの服よりかさばるわけでもないのに、袋に入れるには理由が要るように思えた。店へ布を届けるのだから、職人に見てもらえるかもしれない。そう考え、それから、理由はそれだけでなくてもよい、と畳み直した。
扉の外で、鈴を一度鳴らしたような声がした。
開けると、ナギがポルの籠を抱えていた。丸い白い体に橙色の耳、墨色の足をした風綿獣は、籠へ入れた端布をすべて自分の下へ寄せている。
「これを、乾いた方に替えたいんだけど」
ナギが端をつまむと、ポルはその上へもう片方の足を載せた。
リコが替えの布を隣に広げて待つと、ようやくそちらへ体が移った。ナギの手に戻った布は、小さな山の形のままだった。
「今夜も準備で疲れた顔をしてる」
「僕?」
「ポル」
ナギは籠の中をのぞき、ほとんど任せたのに、と言った。
二人で笑ってから、リコは明日の朝の世話を確認した。中継港では泊まる船で過ごし、織町では動物を受け入れる宿を押さえてある。日中の世話を頼む分は、宿の担当へ別に支払う。それも含め、ナギは私用の小さな袋を荷から分けていた。
ポルの足元に、光る布は一片も入っていない。いつもの乾いた切れ端だけを鼻で押し、何も変わらない顔で眠ろうとしていた。
*
夕方の港では、ツバメ号の白い船体に、係留具の影が細く伸びていた。
箱を載せ、飲み水と食料、工具、二人とポルを含めた積載を確かめる。四百キロの基準まで余裕があっても、通路へ物を足すことはしなかった。途中で泊まる港の充填枠と、その翌日に織町で受けられる点検の時刻も、紙の上だけでなく返答がそろっている。
充填枠は、船を駐める場所とは別に、風実へ力を戻す設備を使える予約だった。浮糸を巻いたその部品は、船を支え、進めるたびに蓄えを減らす。中継港で一晩休むのは、二人だけではない。
リコは荷物の帯を一本確かめ、両手を離した。箱は静かに、その場所に残った。
「あの布、直ったら、私たちも見たいね」
「来年の祭り?」
「うん。今度は待ち合わせる側で」
ナギは箱の方を見てから、窓の外へ目を移した。
「仕事がなくても、行っていいんだよね」
「お客さんなら、たぶん」
言ってから二人で笑った。まだ仕事が決まってもいない来年の休みを、今日の控えへ書くことはできなかった。それでも、そういう行き方を口にしたことだけが残った。
ナギが船の戸を閉める間、リコは港の手すりの内側で待った。空はまだ明るい。橙色になる前の雲を見上げ、明日のこの時刻は別の港にいるのだと思う。
鞄の中では、次に届ける人の名前と、来年を待つ人の言葉が、別々の紙に書かれていた。
リコは鞄を肩へ掛け直し、宿舎へ帰るナギの隣へ並んだ。




