24. お祭りの次の日
ボンゴの荷物は、来た時より小さくなっていた。
宿の一階で、リコは畳まれた平箱を見た。大きな布の花は昨夜の片づけで外され、今は箱の中に収まっている。知らずに見れば、あれほど案内の文字を隠したものとは思わない。
「花びら、全部入ったんですか」
「もちろん。咲く前に戻しただけだ」
梱包職人は短い口ひげの下で笑い、箱へ帯を回した。隣では、こちらで荷の順番を組んでくれた仕分け係のピッパが、帰りの便の控えを確認している。
「その言い方なら、少し水を掛けたくなりますね」
「掛けるなよ」
ボンゴが箱を抱え直すと、ピッパは眼鏡の奥で笑った。
今日の朝の通常便で、二人はミナト輪へ帰る。昨日の閉場まで手伝うという約束どおりだった。向こうで代わりに仕分けをしている人へ、ピッパが仕事を受け戻す日も決まっている。
ナギは、上階でポルの世話をしていた。
出発前に二人と挨拶を済ませ、港への見送りはリコが引き受けた。ポルまで今日の船へ載せる予定にはしていない。
港までの道で、ボンゴが何度か振り返った。飾りを残した軒と、もう外した軒が交互に続く。昨日は列の向こうに見えなかった店の入口が、今朝は正面から見えた。
「帰る方が、荷が軽いといいんですけどね」
ピッパの鞄には、戻しておく控えが増えていた。リコも局宛ての途中報告を一通託す。二人が全部終わらせて戻ったという報告ではなく、昨日までの分だった。
「残りは、自分たちで持って帰ります」
「待っています」
ピッパは封筒を乾いた内袋へ収めた。
乗船する人の列が動き、ボンゴは平箱を胸の前へ立てた。板の上で最後に振り向いた時、箱の角が少し上がった。リコには、閉じた花が手を振ったように見えた。
船が離れるまで見送ってから、坂を上った。
宿の二階では、水の器を置く小さな音がしていた。ナギが戸を開け、彼女の手にある朝食の包みを見た。
「三つ?」
「二人分。真ん中は、半分ずつ」
「同じ大きさに分ける?」
「そこは、得意な人に頼みたい」
ナギは用具を置き、手を洗いに行った。包みの中の焼き饅頭は、まだ温かかった。
*
飼育場の棚には、空の透明容器が並んでいた。
朝食のあと、宿の朝番の女性へポルを引き継いできた。今日の午前も見てもらえるか、昨夜相談して了承を得ている。昨日と同じ世話用品を渡し、費用は二人で出す。昼には宿へ戻ると伝えてから、片づけの場所へ向かった。
棚の前で、リコは一から六までを読んだ。
初めてここへ届けた時、一つを見失った透明な容器だった。いまは外側の札がそろい、乾燥を終えた物には担当の印が付いている。
「六つとも、こちらで受け取っています」
ネリが置場を示した。今日は前掛けに新しい水の跡がある。祭りの魚は昨日の各回のあと飼育場へ戻り、いつもの場所で朝の確認も終えたという。
容器のうち、昨日使った分は洗浄と乾燥を済ませ、使わなかった予備は別に確かめてあった。最初に納めた六個は、これからも地元の搬送と予備に使う。借り物の返却荷へ混ぜるのではなかった。
「帰りは、ここが空くんだ」
リコが初便の控えを見ると、ナギは借りた枠の紙を横へ置いた。
「でも、返す方は、まだある」
窓の下に、小さい空枠と用具が集まっていた。
二つの軒下から戻した物は、持ち主ごとに分かれている。受台に残る湿りを拭き、用具係が外してよい所を示してからナギが留め具をほどいた。リコは包む前の数と傷の有無を、貸出しの紙と合わせた。
ルダの生き物は自宅の世話場にいる。そちらの確認はルダの控えで受け、中央の魚と同じ返却先には書かなかった。
見本水を運んだ専用容器も、返す列へ来ていた。中の残りは昨日の閉場後に回収され、配分係が認めた外の作業床の洗いに使う分と、処理へ回す分に分けてある。飲み水や飼育の水へ戻されることはない。生体側の使用水は、飼育担当が別に扱った。
洗う人が最後のすすぎを終え、容器を乾かす台へ移した。
乾燥が済むまで、リコは受渡し済みの印を付けなかった。用具係がそのあとの確認と返却を引き受け、二人は、もう乾いている枠を飼育場の貸出し棚へ運んだ。
市場へ戻る前に、貸出担当からこの時間の受取りを頼まれたソヨが待っていた。折った袖口の下で、指が留め具を一つずつたどる。
「ここで、合ってますか」
「はい。入口の槽の予備ですから」
リコは枠を見直した。
祭り用に付けた行先の札が、まだ縁へ結んである。ソヨに確かめてからそれを外すと、昨日までルダの軒にあった枠は、ほかの予備と同じ顔になった。
*
トウマの臨時工房へ持っていく箱は、小さかった。
昨夜預けた用具棚から、屋根と木片を借用の紙ごと受け取った。祭りの工具整備のために借りた工房では、ナギの師匠が、今朝も一本の柄を調べている。二人が入ると、触らない方の台を顎で示した。
「家を、お返しに来ました」
リコが箱を置く。
トウマは手を拭き、屋根を取り上げた。角を確かめ、次に無地の木片を見る。欠けも水の跡もないと確かめてから、借用の紙へ返却を記した。
「昨日は、私の知らん家になっていた」
「壁は、この一つだけでしたよ」
「窓が増えておった」
リコは、洗濯物が帆に見えた時の話をした。
話している間に、トウマが木片の上へ屋根を載せた。水のない作業台では、何も動かず、どの方から見ても掌に収まる家だった。
それが、急に惜しかった。
もう一度持って行って水の向こうへ置けば、昨日と同じ窓になる気がした。しかし光も、干してある布も、座る人も違う。
「ここで見ても、昨日を思い出しますね」
ナギが言った。
彼は持ち帰る工具を確かめ、師匠に最後の受渡しを尋ねた。リコは箱から手を離した。屋根を借りた時より、戻したあとの箱の軽さがよく分かった。
工房を出る前に、旧い充填棚の担当が来た。
地元の小舟用の設備で、漏れ出した力に黒い生き物が寄ってきた、あの棚だった。修理に使った工具を返し、残った点検の紙をトウマと読み合わせる。
「始業の確認は、こちらの当番で続けます。接続部を開いて見る日は、週ごとにこの欄へ。最初の担当も決まりました」
トウマが曜日と担当欄を見た。地元の設備係が、今回の交換箇所に合わせて決めた手順だった。変化があれば使用を止め、確認を頼む先も書いてある。
ナギは自分の控えと合わせ、ツバメ号の帰り便には港の通常設備を使う予定を変えなかった。ここをいつから全部使うかは、引き続き設備側が判断する。
棚の話が終わると、トウマは木の屋根を、工房の町の隅へ置いた。
リコは戸口から、そこだけもう一度見た。
*
昼に宿へ戻ると、ポルは敷布の中央で丸くなっていた。
朝番の女性から様子を聞き、二人で世話を受け戻す。食事を済ませたあとは、ナギが宿に残り、リコだけが主催の机へ向かった。返却の控えは、鞄へきちんと収まる厚さになっていた。
中央の会場では、椅子が背中合わせに並んでいた。
運び出すための形だった。水槽は生き物を戻したあと、担当が水を抜き、洗って乾かしている。広場に据わっている大きな槽は、そのまま残る。運ぶのは席と日よけの部材だった。
輸送を請け負った事業者のヴェルは、主催の男性と向かい合っていた。革の帳面の脇に、搬入と引上げの受取が重ねてある。
「こちらは予定の分まで。変更の手配は、この欄で合っていますね」
リコは机の端へ、担当から預かった実際の受渡し時刻を置いた。主催の男性が金額と比べ、ヴェルが読み終えるまで待つ。
中央の昼回をやめて荷が減った分と、手配を変えるためにかかった分は、別々に残っていた。西側へは地元の台車を使ったので、ヴェルの追加便の欄は空欄のままだった。
承認した範囲の支払いを主催が済ませ、双方が精算の控えを受け取った。リコが預かるのは、配達と連絡に関わる写しだけだった。
「次も、同じように分けるんですか」
ヴェルが尋ねた。
リコは、まだ分からないと答えた。小さい所へ運ぶ人も、水を受ける人も、また同じ時間にそろうとは限らない。
「分かった時に、区間ごとにいただければ」
彼は帳面を閉じた。帰り際に見上げたのは水槽ではなく、外し終わった日よけの束だった。部材を受け取る自分の係へ、声を掛けに行った。
次の控えには、昼回から別の回へ移った協賛先の名があった。
希望して振り替えた分は実施を確かめ、振替を選ばなかった相手には、未実施分の返金と受領の返事がそろっていた。担当の男性が一枚ずつ綴じる。昨日来て、魚を見られず帰った客の名は、その紙にはなかった。無料席の客に、返す入場料はない。
「次の案内を欲しいと、書いてくださった方はこちらです」
男性が別の紙を示した。リコは開催印のなくなった連絡先と重ねた。今回は出られなかった小会場の返事も、そこに残した。
支払いの紙には、終わりの印が増えていく。
それとは別に、来年まで置いておく紙があった。
*
夕方までに、乾かしていた用水容器と残りの用具も持ち主へ戻った。
受領の控えを受け取り、リコは生き物の返送先、設備、費用の綴りを分けた。どれか一つにまとめて、全部終わりと書くことはできないと思っていたが、もう分ける手は止まらなかった。
広場の端で、ネリが空の見物席の跡を見ていた。
リコが隣へ立っても、しばらく話さない。地面に残った四角い乾き跡へ、細い紙切れが風で寄ってきた。
「昨日、ここに座ってた人、もう帰ったんですね」
「たぶん。帰りの船を気にしていた人もいました」
ネリは前掛けの紐を指に巻きかけ、ほどいた。
「妹は、あの脚の話ばっかりしてました。いつも説明を終えたか気にして、同じ物をこんなに見てなかったんだなって」
リコは葉の裏を思い出した。姿より先に、二人が並んでいた肩が浮かんだ。
「また、見に行けそうですか」
「休みの相談をします。次は、祭りの当番表じゃなくて」
ネリは少し笑い、空の広場をもう一度見た。すぐには背を向けなかった。リコも先を急がず、紙切れが乾き跡から転がり出るのを見ていた。
宿へ帰ると、今度はナギが港の確認へ出た。
リコがポルの水を替え、敷布を直している間に、明日の帰路の受入れと充填の控えを持って戻ってきた。人と籠、世話用品、食料と帰りの荷を含む積載を改めて確かめる。出航前の天候を見る仕事は、明日の朝に残した。
夕食の席で、リコは二人分の杯を並べた。
隣の椅子へ、ついもう一つ置きそうになって手を止める。ナギは何も言わず、そちらに広げていた荷の紙を畳んだ。
「明日の朝も、あの店、開くかな」
「饅頭の?」
「うん。今度は、二つにする」
ナギが少し笑った。
階下から来る夕食の匂いの中で、リコは空いた椅子を机へ寄せた。




