19. 展示の前に休むこと
しまう物を探していると、しまったはずの物まで気になった。
リコは空の用具箱を一つ開きかけ、蓋に付いた札を読んだ。洗った道具、確認済み。箱を持ち上げずに横へ寄せると、ソヨが次の一つを運んできた。
「それで最後です。明日の分は、向こう」
「この列、もう終わったんだね」
手を離した場所が、急に広く見えた。
飼育場の窓の向こうでは、祭りの旗が順番に上がっていた。高い所の人が紐を引き、下の人が引きすぎだと手を振る。旗は少し下がり、隣の色と高さがそろった。
明日、ここにも客が来る。
*
昼までに、ナギと地元の用具係は二つの小会場の枠を据えていた。
ルダにも立ち会ってもらい、台の固定と、奥へ戻る道を確かめた。別の店の軒下では、入口を残して椅子を置く。点検を終えた小型枠と空の見本容器に覆いを掛け、持ち主へ引き渡すところまで済んでいる。
生き物は、まだそれぞれの世話場にいた。今日の作業へ連れ出さずに済んだので、リコの荷は帰りの空箱だけだった。
借りた模型の屋根と木片は、用具棚の箱にそろっていた。リコは借用の控えを見て、明日の午前に持ち出す係へ受け渡す。午後は生体の観察を終えたルダの台へ、同じ見本を運ぶ順番になっている。
短くした午前の時間と、午後の入替えを記した案内も、今日、各入口と中央の案内所で差し替えた。古い時刻の紙は、返却用の封筒へまとめてある。
「屋根は水へ入れず、外に。戻す時は、二つを別々に包んでください」
教えたつもりのリコへ、係の男性が箱の中を指した。
「どちらが下ですか」
リコはトウマが敷いた紙を持ち上げ、木片の置場を見せた。男性は一度包み直し、屋根が壁の上で転がらないことを確かめる。
「家は、ばらして帰るわけですね」
「建てたまま入れようとすると、箱も大きくなります」
二人で少し笑った。リコは箱を棚へ戻さず、明日持ち出す列へ渡した。
*
奥では、ネリが明朝の確認を紙へ書いていた。
用具を持っていたソヨが呼ばれ、棚の前へ行く。青緑の前掛けの補助者も、洗った手を拭きながら加わった。ネリが渡そうとしているのは、夜の片づけと、明日の交替の分だった。
「戻したあと、こちらも一度見て、それから」
ネリの鉛筆が、余白へ出た。
補助者が自分の当番表を横へ置く。同じ時刻に、同じ槽の印があった。
「そこは私も見ることになっています。一緒に見るのは、引継ぎの時だけで大丈夫ですか」
ネリは二枚の紙を並べ直した。
「そうね。今ここで、一緒に見ましょう」
二人が槽の方へ行く間、ソヨは空桶を返す場所を確かめた。もう左右を聞き直すことはなかった。蓋のある水容器には手を出さず、外の札が読めるよう向きだけを示し、戻ってきた補助者に見てもらう。
ネリはその横で、自分の鉛筆を持っていた。
リコには、声を掛けてよいのか分からなかった。
夜の仕事を取り上げれば、この人は気が楽になるのだろうか。何も言わずに待てば、また全部持って帰ろうとするだろうか。
「私が受け持った空箱は、終わりました」
それだけ伝えた。
ネリが振り向いたので、リコは札の並んだ列を示す。数と行先を読み合わせ、次に使う人へ渡したことを報告した。
「これをもう一度開けなくても、どこまで終わったか分かります」
ネリは列の前へ来た。一つの札に触れ、指を引いた。開けはしなかった。
*
ナギが、昼に置いてきた枠の控えを読んでいた。
「気になる所、あった?」
リコが尋ねると、彼は一度紙から目を離した。
「明日、人が座った時のことを考えてた」
「椅子の位置は、今日も見たよね」
「うん。ルダさんと」
彼の指が、二人の確認した欄へ戻る。
その下には、雨が入った時と、地面が変わって見えた時の確認があった。それは明朝、開ける前に担当が見るものだった。
「今から戻っても、明日の地面は見られないか」
ナギが小さく言った。
紙を畳む手は少し遅かったが、道具鞄は開けなかった。代わりに、明日持つ控えの方へ入れる。
「何かあった時に、呼べる所だけ確かめてくる」
「私は、こちらの片づけを渡しておく」
戻る仕事と、残す仕事が分かれた。
*
ネリは当番表から、明日の昼過ぎを指した。
「この一時間を、お願いしたいです」
補助者は顔を上げ、すぐうなずく前に、前後の仕事を読んだ。朝の展示から戻る生き物の確認を終え、中央の午後の受渡しを始めるまで。予定だけなら空いているが、その時に世話が延びれば、まず飼育の当番へ相談することになる。
「ここは私が見ます。いつもの槽は、引き継ぎました」
補助者が自分の名を書いた。
ソヨは見物側の案内と、空用具の受渡しの欄へ印を付ける。
「水や餌の相談を受けたら、そちらへ取り次ぎます。私は勝手に開けません」
「中央の飼育当番も、その時間はいると返事をくれています」
補助者が言った。
ネリは、その連絡先を自分の名前の上へ置いた。休んでいても呼べるよう、という欄を足しかけてから、鉛筆を止めた。
「私がいなくても決められないことは、展示を止めて、当番へ」
声に出すと、補助者が、はい、と答える。
リコは当番表を持つ手へ力を入れた。ネリの一時間のために、明日が一度もつまずかないと約束する人はいなかった。それでも、誰が引き受けるかは書かれていた。
「夜の空桶も、こちらで戻します」
ソヨが続けた。
「ネリさんは、明日の早い方ですよね。私は、今夜は決めた時刻まで。残りは夜の担当へ渡してから帰ります」
ネリは当番表を見たまま、少し黙った。
「じゃあ、今日はここまでで」
腰の前掛けの紐へ手を回した。結び目が固くなっていたらしく、ほどけるまで少しかかった。
誰も代わりに引っ張らなかった。
ネリは脱いだ前掛けを腕へ掛け、机の端に残った案内へ目を向けた。
「それ、私にも一枚もらえますか」
「係の分なら、鞄へ入れてありますよ」
ソヨが答えると、ネリは首を振った。
「お客さんに渡す方。水を戻す道が書いていないのを」
リコは配布用を取り出した。折る前の紙を受け取ったネリが、見出しからゆっくり読む。担当の時刻ではなく、見られるものの名前へ指が止まった。
「こんなふうに書いたんですね」
午後の小展示には、葉の裏を探す案内がある。ネリはそこを読んで少し笑い、裏面へ返した。屋根の下の演奏や、市場の店を示す小さい印もあった。
リコは、どこへ行くのか聞かなかった。ネリが一度開いてから、自分の順で折り直すのを待った。
鞄へ入ったのは一枚だった。
いつもの分厚い控えより、取り出しやすい、いちばん手前の所だった。
*
外へ出ると、旗の下に小さな店ができていた。
まだ売り始めていない焼き菓子の前へ、札だけが立っている。リコがのぞくと、並べていた男性が笑った。
「それは、明日の分」
「今日は匂いだけですか」
「匂いは、先に出てしまった」
ナギが横で笑った。
ネリは店の奥を見ていたが、通りかかった知人に呼ばれ、明朝の時刻を一言確かめて別れた。リコたちとは違う道から、早番のために借りた宿へ戻るという。
「明日、よろしくお願いします」
ネリが言った。
リコも同じ言葉を返した。その声が仕事だけを頼んでいるのか、明日の楽しみも一緒に置いていくのか、うまく分けられなかった。
宿では、ポルが布を丸めたまま待っていた。
祭り当日の朝は、ピッパもボンゴも早く出る。前もって宿主へ相談し、朝の部屋回りをする女性に、その間の世話を頼んであった。腰の鍵束を外へよけて、彼女は籠の前へ座る。
ナギが水と餌の場所、確認する時刻を一緒に見て、リコは二人の戻る予定と連絡先を渡した。世話を頼む分の費用も、二人で出す。昼に帰宿した側が引き継ぐことまで確かめ、明朝も出る前に声を掛けると約束した。
女性の手が布の端を整えると、ポルはそこへ前足を載せた。彼女が引かずに待つ間に、白い体がくるりと向きを変える。
「ここでいい、と言われたのかしら」
「いつも、言い終わるのが早いんです」
リコが答えると、ナギが籠の向こうで笑った。
*
ネリは、部屋の戸を閉めてからも、しばらく立っていた。
祭り前後の早番に合わせて取った、小さい宿の部屋だった。窓の下には街路があり、向かいの軒に付ける飾りを、二人がかりで持ち上げている。片側が下がるたび、もう少し、という声が聞こえた。
その声へ返事をしかけ、自分が呼ばれたのではないと気づく。
前掛けを椅子へ掛けた。
何か足りない、と手が腰へ行った。鉛筆は鞄にある。鍵も、布も、全部持っている。なくなったのは、次に開ける槽の順番だった。
卓へ一枚、紙を置いた。
妹の名前を書く。明日、という二文字のあとが続かなかった。いつもなら、どの展示へ魚を出すか、どこからなら働いている自分が見えるかを書いていた。
去年、妹は遠くから手を振った。
ネリも濡れた手を上げ、あとで、と口を動かした。そのあとを覚えている。妹が食べたものを話し、ネリが片づけの途中で見た屋根の色を話した。二人とも楽しかったのに、同じ場面の話にはならなかった。
妹の持ってきた包みには、菓子が一つ余っていた。半分にしようとすると、持って帰る途中で片側だけ潰れていた。妹はそちらを取ったが、ネリも同じ方へ手を伸ばし、結局、皿の上で粉まで分けて食べた。
あの時間も、好きだった。
ただ、どの店で買ったのか、どうしてそこで足を止めたのかを、あとから聞くだけで終わりたくなかった。
案内を広げ、演奏の場所へ指を置く。妹が座りたいと言っていた屋根がある。時間が合わなければ、別の所でもよかった。隣で、今のを見た、と言い合えるものを見つけたかった。
明日の昼過ぎ、中央の案内所の横で。一時間、私も客になれます。
書いたあとで、なれたら、と直したくなった。
それでは妹は、待っていてよいのか分からない。ネリは線を引かず、集合する時刻を書き足した。変更があれば、そこへ連絡を残す。何を見るかは、会ってから一緒に決めたい。
窓の外で、飾りが上がった。
歓声のすぐあと、誰かが結び直すためにまた少し下ろした。ネリはその様子を最後まで見てから、札を折った。
階下の受付へ行くと、町内を回る夕便の袋が、まだ閉じられていなかった。いつもの切手を貼り、宛名と届け先を確かめて預ける。係が控えを渡すと、ネリは受け取って、すぐには手を離さなかった。
「今日の分に、入りますよ」
そう言われて、礼を返した。
部屋へ戻り、鞄を置いた。
まだ、何かできるだけの明るさがあった。椅子の前掛けへ手を伸ばさず、窓の近くへ椅子ごと寄せて座る。下の通りでは、明日の店を組む人が、今夜食べるための包みを開いていた。
ネリも、夕食を頼める時刻を確かめに行こうと思った。




