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11. 届かなかった招待状

「郵便局の方ね。そこの掛け金を上げて入って」


 戸口から顔を出したルダは、袖を肘までまくっていた。濡れた手を布で拭き、リコの後ろにネリがいるのを見ると、奥へ声を掛けかけてやめた。


「三人? どうしたの」


 リコは門を閉めてから、鞄の留め具を外した。


「展示の日程のことで、主催の方からお知らせを預かっています。それと、私からもお話を」


 ルダの手が、まだ湿った布を折った。

 ネリが宛名を確かめて通知を渡す。ルダは受け取り、そこで開いた。短い紙だった。読み終えるまでの間に、屋根の雨樋から、一滴だけ水が落ちた。


「初日は、組み立てに来る日になったのね」

「はい。展示を開けるのは、点検を終えた翌日以降という案です。ご都合はまだ伺えていないので、日にちまでは決まっていません」


 ルダは紙を裏返した。裏には何もなかった。


「都合を聞いてから、遅くするか決めるわけではないんでしょう」


 リコはうなずいた。


「初日に開く準備は、今の計画では入っていません」


 庭先の小さな台に、風が通った。新しい布の角が持ち上がり、ルダが指で押さえた。その上へ通知を置くことはしなかった。


     *


 リコは、返す板を両手で差し出した。


「これも、お返しします。預けていただいていた、台の寸法です」

「ありがとう。そこへ」


 ルダが示したのは、戸口の乾いた棚だった。リコは角をぶつけないよう置いた。紙の図と違い、板には持ち主の手が触れてできた艶がある。


 ネリは餌を入れた包みを別の台へ置いた。札を読み合わせ、ルダが受け取ったことを確かめる。二人が日程の紙から目を離した間、リコは庭先を見ていた。

 小さな展示台はある。だが、水槽を留める枠と、日よけを広げる足の部材は、まだ来ていなかった。張る位置を示す紐だけが、屋根の柱へ巻いてある。


「座って話しましょう。そこに立たれると、出入りしにくいから」


 ルダは椅子に置いていた仕事着を取り、戸口へ掛け直した。ナギがもう二脚を出す場所を尋ね、言われた隅から運ぶ。リコは座ってよいのか少し迷い、それから膝の上へ鞄を置いた。


「古い棚の件で、予定していた組が使えなくなりました。代わりの費用を、周りの会場に回す案もあったんです。その場合は、中央を小さくして――」

「中央を選んだのね」

「はい。私も、それがいいと勧めました」


 ルダは何も言わなかった。


「大勢が見られると思いました。こちらの当番を代わってもらったお話も、書いていたのに。日が変わってから、また相談できると考えていました。すみません」


 謝る声は、広場で案を勧めた時より小さかった。

 ルダの指が、通知の端を一度なぞった。


「相談は、できますよ。できるけれど、同じ返事は出せません」


     *


 奥の棚から、ルダは一枚の案内状を取ってきた。


 晴天祭りの、開幕の案内だった。紙の上の方には傘が描かれ、その下に、会場を手伝う人たちにも見に来てほしいと書かれている。封筒の宛名はルダ。予約席の番号はなかった。


「届いた日は、これを持って隣へ行ったの。初日の夕方だけ、こちらの見回りをお願いできないかって」


 ルダは案内を通知の横へ置いた。


「その代わり、翌日は私が隣の分を見ることにした。向こうにも出かけたい用事があったから。初日は自分の仕事を済ませて、午後にここを開けて、夕方は私も中央へ行くつもりだった」


 リコは椅子の脚の間を見た。石の継ぎ目に落ちた水が、細くつながっている。


「お隣の予定を、変えていただくのは」


 そこまで言って、口を閉じた。

 ルダは閉じた口を見てから答えた。


「頼めるかどうかは、私が聞きます。でも、今度はあちらが一緒に出かける人にも、頼まなければならないでしょうね」


 ネリが、主催からの紙を指した。


「初日の設営は、朝から順に回る予定です。西へ着く時刻は、まだ出ていません」

「だったら、ここを空けて待つわけにもいかないね。取り付ける位置は私が確かめるし、終わった後の世話もある。受付へ行って、次の回まで待って、という外出は組めない」


 ルダは、案内状を自分の側へ少し寄せた。


「翌日にここを開けるなら、今度は隣の分と重なる。私だけいればいい仕事でもないから、手伝う人にも聞き直すことになります」


 リコが預かった通知は、間違いなく届いていた。

 先に届いた、来てくださいという言葉も、ここにあった。

 二枚を並べた台の上で、ルダが出かけられる時間だけが見つからなかった。


     *


「私たちの船で、小さい物だけでも先に――」


 言葉と一緒に、運べる荷の形が浮かんだ。

 台の幅。枠の長さ。帰りの余力。量って確かめることなら、二人でできる。


 リコは、その先を言う前にルダを見た。

 彼女は舟の図を求めていなかった。膝に載せた手をほどき、片方で爪の間の土を見ている。先ほど拭いた手にも、少し残っていた。


「……先に、伺っていいですか。ここで、どんな展示をしたかったんですか」


 ルダは顔を上げた。


「大きい所に出すつもりなら、初めからそちらを申し込んでいます」

「はい」

「この前話した、店を一人で開けている人。あの人、ここの水槽をちゃんと見たことがないの。通るといつも、私は裏にいて。今度は椅子を出すから寄ってね、と言ったんです」


 ルダの目が、空の展示台へ向いた。


「仕事の合間に寄って、戻れるくらいでいい。何十人も並ばなくていいの。この辺りにも、こういうものがいるって、見てもらいたかった」


 見せたいものがある人の声だった。

 リコは膝の上の鞄から手を離した。


「今、少しだけ見せていただけますか」


 ルダはネリと目を合わせた。


「一人ずつなら。中は狭いから、荷物はここに置いて」


     *


 奥の世話場では、水の浅い槽に葉が重なっていた。庭の低い展示台とは別の、普段から世話をする場所だ。祭りのためにここへ客を集めるのではなく、枠と日よけがそろえば、選んだ生き物を短い間だけ庭先で見せる予定だった。


 小豆ほどの生き物が、葉の裏へ細い脚を掛けている。リコは入口の決められた所から顔を近づけた。背は枯葉のような色で、水の光が動くと、どこにいるか分からなくなる。


「います?」

「さっきは、見えたんですけど」

「右の葉。その下」


 指された葉は動かなかった。

 じっと待つと、裏から小さな脚が一本出た。続いて体が少しだけ向きを変え、腹の脇の淡い筋が見えた。


「あ、いた」


 思わず声が出た。

 ルダは短くうなずいた。


「初めて見る人は、たいていそう言うの」


 さっきまで平らだった口元が、少しだけ動いた。笑いきるほどではなかったが、リコもつられて、もう一度葉の裏を見た。


 槽の脇には世話の道具が並んでいた。リコ一人が立つと、後ろを通るルダの肘が近かった。ここへ見物の列を入れるわけにはいかない。


「いつもは、ここの奥にいるんですね」

「ええ。だから祭りには、外の台まで出したかった。枠と日よけがそろって、ネリさんと状態を見てからね」


 リコは入口へ戻り、ナギと場所を交替した。

 彼は中をのぞく前に、戸に手を置いてよいか聞いた。ルダは乾いた側を示し、リコへ教えたのと同じ葉を指す。しばらく返事がなく、それから小さく、あ、と聞こえた。


 リコは庭で待った。

 自分が見つけた時にも、あんな声だったのだろうか。中央で聞いた歓声よりずっと小さかった。けれど、ナギが戸口を離れるまでの時間は、短くなかった。


     *


 ネリが戻る時刻を確かめたので、リコは椅子から立った。


「予定どおりに開けるという返事は、今日はできません。でも、中央へ来れば代わりになる、と書くのはやめます。ここで見せたいというお話を、主催の方へ持ち帰らせてください」


 ルダは通知を二つに折った。


「持ち帰るだけで、終わりにはしないでほしい」

「はい」


 返事のあとに何かを足したくなったが、リコは鞄を開けて、明日の予定を確かめた。


「まず、この辺りで、もっと小さいものを置ける場所と、そこへ来る道を調べ直したいです。ここを候補に残していいですか。まだ開催のお知らせにはしません」


 ルダは一度、返された寸法板を見た。


「調べるのは構いません。けれど、置けると言う時には、片づけるところまで一緒に考えてください。夕方、私が出るなら、その後は誰かに頼むのだから」


 ナギが、台の方へ顔を向けた。


「今、外から見られるところだけ、教えてもらえますか。道具を持って確かめるのは、時間を決めてからにします」


 ルダは台の脇を空けた。足元の段と、水を運ぶ時に通る側を示す。リコは近所から来る人が、どこで立ち止まるかを聞いた。

 門からまっすぐ歩けば台に着く。だが雨が降ると、そこには樋の水が落ちる。屋根沿いへ回れば濡れずに済むが、用具の出し入れとぶつかる。


「晴れてる日にだけ見に来ると、ここを描き忘れるの」


 ルダは樋の先を指した。

 リコは大きな四角を描かず、門からの線を一本引いた。その途中へ、水が落ちる所、と書く。


 通りの先にも屋根は見えた。あちらに置く場合は、誰へ聞けばよいか。それはルダから近所へ尋ねてもらい、二人が勝手に庭へ入ることにはしなかった。


挿絵(By みてみん)


     *


 帰る前に、リコは次の連絡の時刻を確かめた。


「明日の昼までに、主催の方と話したことをお伝えします。場所を見に来る日が決まらなくても、その連絡はします」

「雨なら、外を測るのはやめてね。こっちは濡れていても仕事があるけど、二人まで濡れることはないから」


 ルダは立ったまま、リコの描いた線を見た。

 紙を返す手は、通知を受け取った時ほど固くはなかった。それでも、もう気にしなくていいとは言わなかった。


「今日は、知らせを持って来てくれてありがとう」


 リコは礼を言って門を出た。

 ナギが続き、ネリが掛け金を戻す。振り返ると、ルダは新しい布の端を折り、風で汚れないよう内側へしまっていた。台から外しはしなかった。


 帰りの坂で、リコは描いた紙を開いた。

 葉の裏の小さな生き物は、描いていない。門と樋と、用具の道だけだった。まだ見せられる形にはなっていないその紙を、中央の図の下へ入れず、同じ所へ並べた。


 その夕方、主催の机で、リコはルダの希望を自分の言葉へ縮めずに伝えた。すぐ使える費用も人も増えなかったが、小さい形を調べ直すことは認められた。

 ネリが飼育の持ち場へ戻った後も、ナギは横で紙を押さえていた。リコは明日の昼の欄へ丸を付け、返事をする相手の名前を書いた。

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