3. 見えない箱を探して
五つ目の印を付けて、リコは鉛筆を止めた。
台の上を、もう一度端から見る。丸い底を支える台が一つ、二つ。細い首のところには、運ぶ間に蓋が擦れないよう、紙が巻いてある。
最後まで数えても、五つだった。
控えには六つとある。
届いた荷箱は二つとも開けて、中の仕切りも持ち上げた。入っていた空の容器に割れや欠けがないか、ネリが一つずつ見たところまでは覚えている。リコは長包みの用具を数え、その間に、包み紙が端へ片づけられた。
「一つ、足りません」
口にすると、部屋の奥の水の音が急に近くなった。
リコは、別の台に並ぶ水槽へ目を向けた。
「中に何か、入れたものは――」
「いま確かめている六つは、全部空です」
ネリはすぐ答え、開いた帳面をリコへ向けた。受け入れた容器の欄には、まだ生き物の管理番号がない。隣の棚の札は別の帳面と対応し、水の状態を見た人の印が付いていた。
「あちらは朝と昼に照合しています。今日の新しい容器へ移したものは、ありません」
リコはうなずいた。空なのは分かった。それでも、預かった物の数が合わないまま、終わりの印は付けられない。
「港の受取係にも、聞いた方がいいでしょうか」
「先に、ここを見ましょう。箱から出した時には、六つありました」
ネリの指が、検品の印を順番にたどった。
その爪の先で止まった最後の印は、まだ少し濃かった。
*
ナギは空の荷箱を傾けず、仕切りの間を上から確かめた。
「底に残ってるわけじゃないね」
リコは広げた紙を一枚ずつ持ち上げた。最初の一枚の下には紐、次の下には留め具があった。その次は、何もない台だった。
ネリは世話に使う棚へ来た補助者へ短く声を掛け、今日の搬入品がそちらへ回っていないか尋ねた。青緑の前掛けを着けた、ミナト輪で会った女性だった。
「新しいのは、まだ受け取っていません」
「ありがとう。こちらで一つ見えなくなってるの」
補助者がこちらを見て、少しだけ口元を緩めた。
「また、窓の前ですか」
ネリも窓を見た。
リコには、窓の前に置いた棚しか見えなかった。
「よくあるんですか」
「私は置いた所を覚えてるので、そうでも。ただ、初めて来た人から、何もない棚を拭いていいかと聞かれます」
ネリはそう答えて、棚へ手を伸ばした。
「今は、本当に何もないですね」
指が木の面へ触れた。リコは笑い、ネリも小さく笑った。
隣の水槽で、小さな尾が動いた。それを見た補助者は、こちらの捜し物には加わらず、自分の帳面を持って世話の通路へ戻った。
探しているのは、透明すぎて背景に紛れた空容器だ。見えなくなる仕掛けがあるわけではない。縁に光が当たる場所へ目を移せば、形は現れるはずだった。
ナギが窓の日よけを少し動かした。
差し込む光の向きが変わり、五つの容器の縁が、順番に白く浮いた。
「横からの方が見やすいかな」
リコも腰をかがめた。丸い線が五つ、その奥に、少し薄い五つ。窓に映った台が向こうへ続いて、十個も並んでいるように見えた。
「足りないどころじゃなくなった」
ネリが言うと、ナギは窓との間へ紙を一枚立てた。奥の五つが消える。
「この紙の向こうは、数えない」
「それは分かるけど、もう一枚の窓にもいるよ」
リコが横を指した。ナギがそちらを見ると、今度は明るい戸のガラスに、白い曲線が重なっていた。
彼は紙を持ったまま、二つの窓を見比べた。
「……壁が足りない」
ネリが吹き出した。リコもつられ、紙を持ったままのナギを見て笑った。
*
光を変えても、増えたのは見えている容器の姿だけだった。
リコは控えへ戻った。
六つを見たネリと、五つを数えた自分。その間に、誰がどこへ手を伸ばしたのか。
「最後の一つは、どちらへ置きました?」
ネリは、台の端を指した。
「そこです。布の上へ。底の台を当て直したかったから、少し離しました」
いま、その布はなかった。
「布ごと、動いたんでしょうか」
「そういえば、荷箱を片づける前に……」
ネリは出口の方を見た。空の台車を外へ戻した職員が、まだ庇の下で綱を巻いている。荷箱を運んで来た時から、右袖だけを高く折っている人だった。
リコは戸口から声を掛けた。
「さっき、こちらの台にあった布を動かしましたか」
「ああ。荷箱を下ろす場所を空けるから、脇へ寄せてって」
職員が中へ入り、右手を上げた。
その手の向いた先を、ネリは反対から見ていた。
「脇って、そっち?」
「この乾いた台です。布ごと、底を支えて移しました。戻した方がよかった?」
「いえ、私が場所まで言わなかったから」
壁際の台には、洗った用具を乾かすための白い布が広がっていた。その手前に、もう一枚の布がある。端の縫い目だけが、二重になっていた。
木の台は、先ほどから見えていた。空の台座を寄せたのだと思い、リコの目はその上を素通りしていた。
今度は手を出す前に、横から顔を近づけた。
上向きの小さな口が、見えた。
首から肩へ落ちる細い線。その先の丸い底には、布の皺が大きく映っている。下には、木の台もちゃんとあった。白い壁の明るさに溶け、正面からでは、その形を見落としていた。
「あった」
リコは体を起こし、手を上げた。
ナギが顔を上げ、リコの少し右へうなずいた。
「こっち」
リコが呼ぶと、彼の目が本物の方へ戻ってきた。右には窓に映ったリコがいて、同じ手を上げている。
「そっちも、見つけた顔をしてた」
「私と同じ働きなのに、給料は増えないんだね」
ネリが笑いながら近づいた。
「二人分で数えたら、また合わなくなりますよ」
容器は動かさず、その場でネリに状態を見てもらった。擦れや欠けはなく、布も乾いたままだった。職員が底を支えて台へ戻し、リコは改めて六つを数えた。
ようやく、最後の印を付けられた。
*
「このままだと、また同じことをしそうです」
リコが言うと、ネリは自分の帳面を見た。
「私なら、この台に置いたのは未使用だって分かるんです。でも、今日は人も台も、いつもと違うから」
「私にも、見て分かるようにできませんか」
リコは荷箱に付いていた札を取り上げた。二箱とも外装の番号はある。中から出した一個ずつには、まだ何も付いていなかった。
「外した後にも、何番か分かる札があれば」
「水に触れる所は、避けたいですね」
ネリは容器の縁を見た。
ナギが、底を受ける台の脇へ小さな紙を当てた。帯を掛ける場所とは離れ、手で持つ所も塞がない。
「ここなら、運ぶ台に付けられそう。でも、容器だけ外した時には、台と入れ替わる」
リコは紙をもう一枚取った。
ネリと相談して、容器側の外の取付け部にも同じ印を付けることにした。水の中へ垂れず、蓋の開閉にも触れない位置を、ネリが選んだ。
リコは一から六までを書いた。
最初の一枚は、少し細かくなった。離れて見たナギが首を傾けたので、書き直す。
「読める?」
「うん。もう一歩下がっても」
彼は本当に一歩下がり、後ろにいた職員へ軽く謝った。
札を付け終わると、ネリが帳面に番号を控えた。今日の搬入品の印だと分かる見出しを付け、生き物の管理札とは別の欄にする。
リコは六番を、隣の台へ移してもらった。別の場所へ置かれても、今度は六の字が先に見つかった。ナギが台の番号を読み、リコが容器の札を読む。二つとも同じだった。
「戻す所にも、あった方がいいですね」
職員が言った。綱を巻き終えた手で、空いている棚を示す。
ネリが、清潔な未使用品を置く段を選んだ。使い終わった物を置く棚とは離れている。そこにも札を付け、どの段かを帳面へ書く。リコは片づけの場所を教わった時、ネリの指先ばかり見ていたのだと気づいた。次に来た時には、その指がなくても探したかった。
*
用具の長包みも数え終わると、ネリが受取の記録をそろえた。
届ける仕事が、ようやく今日の向こう側へ渡った。
リコは控えを鞄へ入れ、空の荷箱をたたむのを手伝った。包み紙の山が小さくなると、台の端から、食事に使った杯が一つ出てきた。
「これは、何番にします?」
ナギが持ち上げた。
底にはネリの名前が書いてあった。
「そこは、もう困っていないので」
ネリは受け取って、笑った。
リコは、自分の杯も休憩場所へ戻した。ここへ来る前から、名前の要る物はあったのだった。
戻ると、ネリは棚札を少しだけ傾けていた。
「横の道からも見えるように。明日は別の人が、この段を使うので」
リコも隣へ立った。たしかに、入口からは番号が並んで見えた。ナギが戸口でこちらを向く。今度は、本物の彼だとすぐ分かった。
仕事を終えて外へ出ると、広場の向こうから木槌の音がした。
朝から組んでいた大きな枠に、横木が一本加わっている。人が離れたところに、雨粒の丸い輪郭が、夕方の雲を薄く映していた。
「明日は、見失わないと思う」
リコが言うと、ナギはその大きさを見上げた。
「うん。僕たちの方が、小さく映りそう」
二人はしばらく、誰もいない水槽の前に並んだ。まだ水の入っていない底の向こうで、広場を帰る人たちの靴が、少しずつ形を変えて通り過ぎていった。




