15. 引き返すところを決める
オルド:空路審査官
39歳、男性。端正な服、角のそろった手帳、よく磨かれた靴。空路評議会の職員で、運航審査を担当する。
郵便局の相談室の窓から、港の旗が見えた。リコとナギは局長のマレとともに、調査の飛行計画を見てもらうため、空路評議会の担当者を迎えていた。
窓の外では、晴れた空へ船が一隻出ていくところだった。リコは最後まで見たかったが、机の上の紙が膨らみ、隣の紙の下へ潜ろうとしている。手を伸ばすより先に、向かいの男性が小さな重しを置いた。
「すみません。これだけ閉めても?」
リコがうなずくと、男性は窓を半分閉めた。紙は静かになったが、今度は書類を結んでいた紐が、彼のそろえた鉛筆を一本転がした。
男性はそれを戻し、紐の輪を畳み、重しの向きを直した。
ナギが無言で、机の端にあった浅い皿を差し出した。
「ありがとうございます」
鉛筆が皿へ収まった。
リコは、二人の間で一つの難事が片づいたような顔をされて、少し笑いそうになった。
男性はオルドと名乗った。空路評議会の運航審査を担当しているという。襟元の整った上着も、よく磨かれた靴も、職員としての名乗りによく似合っていた。
町の人が訪問を受け入れても、船を安全に出して帰せるかは別に確かめる。その計画を審査するのが彼の仕事だった。先日会ったヴェルは会社の設備を割り振る人で、今日は運航そのものの相談になる。
配属から四週目が始まった朝だった。
ナギの中継泊案と、アカリの町の返信、物売りから聞いた往来の控えが、机に並んでいた。
*
「先に、何をしに行く便なのか聞かせてください」
オルドは書類の一枚目を開く前に言った。
リコは用意した言葉を思い出そうとした。調査、照合、受取所。それだけでは、ミチの図を開いた時の気持ちがどこにも入らない。
「アカリの町の人が出した住所調査の依頼に、答えるためです。図と今の道を確かめて、どう受け取りたいかを聞きたい。私たちの船で行けるかも、実際に記録します」
「定期便を始める約束は?」
「まだできません」
リコは答え、町からの返事を彼の前へ置いた。
「今の取次でどれだけ手間がかかっているか、町の側で減らせるものはあるかも聞きます」
オルドは短く記した。
「受入れの返事は、どの期間についてですか」
リコは原本と予定表を並べ、到着を受け入れてもらえる四日間を指した。食料や聞き取り時間などの条件は、返書の下半分にまとまっている。オルドはそこを読み、最後の日付を暦と照らした。
「期間を過ぎる時は、新しい了承を取るのですね」
「はい」
彼は返書を重しの下へ置いた。リコは、何度も開いて柔らかくなった紙の角を見ていた。
「この返事を得たことは、前へ進んだ点です」
オルドが言った。
「では、船を帰すところまで見せてください」
マレがうなずいた。
ナギは次の紙を彼の前へ置いた。
*
ナギの図には、ミナト輪を出てコトリ島で一泊し、翌日アカリの町へ向かう順序が描かれていた。町でも一泊し、帰りはもう一度コトリ島で泊まってからミナト輪へ戻る。コトリ島での二度の停泊に、点検と充填、人が眠る時間を取る。町に使える充填設備があるとは確認できていないため、町へ向かう時には、コトリ島まで戻る分も船に残す。
オルドの指は、町へ着いたところで止まらず、戻る線をたどっていった。
「こちらの停泊で減る分は」
「入っています。その下の欄です」
ナギは図をずらし、重ねた消費の表を見せた。
リコは、町を出る朝のことを思い浮かべようとした。いつも、着いて鞄を持って降りるところまでしか、はっきりと見えなかった。どんな顔で戻ってくるかは、分からない。少なくとも、あの図を描いた人と会った自分でありたかった。
「こちらの紙は?」
下に重ねた一枚には、長い線が往復していた。
「同じ日に戻る案です。コトリ島の往復で約四時間、未知区間と観測を足すと、計画の六時間に収まりません。外しました」
リコが答え、ナギが不採用の印を示した。帰還用の予備を使って延ばす案にもしていない。オルドはその紙を脇へよけた。
六時間は、穏やかな条件でも通常の飛行計画に組み込める時間の目安だった。風が強い日や荷が重い日は、もっと短くする。予備まで予定に入れてしまえば、計画どおりにいかなかった時に使う力がなくなる。
「では、今の案について。コトリ島の棚は、使用できますか」
「局の予備から携帯用を借りる相談中です。まだ設置していません」
ナギが答えた。
マレも、貸出しの調整が終わっていないと補った。
相談室の床には、接続具を入れた小さな見本箱があった。ナギはそれを机へ上げ、蓋を開けた。中の金具は、乾いた布で一つずつくるんである。
「合う型の確認はできます。ただ、現地で棚を固定できる場所と、点検する人はまだです」
オルドは金具に手を出さず、巻かれた札を読んだ。
「着いたお二人が取り付ける予定ですか」
「先に使える状態にする必要があります。到着してから組み立てて、間に合うはずだとは数えられません」
ナギは説明を終えたあとも、金具を持っていた。設置担当の空欄を見て、手帳の頁を一つ戻す。リコは隣から見たが、伏せた掌で文字が隠れた。
「運ぶ人、設置する人、使用前に点検する人を確かめてください。同じ人が兼ねるなら、その日の仕事として間に合うかも」
オルドの鉛筆が止まった。
「誰かがやるという書き方では、船を出せません」
*
マレは、ナギの図を自分の方へ少し寄せた。
「局の勤務も含めて、こちらで組み直します。住民側の都合が合う期間は短い。残りを整えたら、早めに見ていただきたい」
「日程に合わせるために、必要な確認は減らせません」
「減らしてほしいとは言っていません。返事を待つ時間にも、人の仕事があるということです」
リコはマレを見た。
声は普段の窓口と変わらず柔らかかった。それでも、オルドがすぐには返さない間があった。
「ヴェルさんの設備が使えないのも、一回の都合では予定を崩せないからでしょう」
オルドは言った。
「続けられる裏付けがなければ、受け取る側に新しい予定だけ作らせることになります」
「それは分かります。ただ、今の受取所に集まれば済むという説明は、私は受け入れていません」
マレは鞄から薄い綴りを出した。
コトリ島で、リコが許可を得て持ち帰った記録の写しだった。
「舟を出す人、取りに行く人がいます。局の予定に見えなくても、その人たちの時間は使われています。調査を延ばすなら、その状態が続くことも判断に入れてください」
オルドは、すぐには綴りを受け取らなかった。
「手間があることと、その便で減らせることは、別です」
「ええ。だから調べます」
今度はマレが黙った。
オルドは紙の角をそろえなかった。マレも、差し出した綴りから手を離さずにいた。
やがてオルドは綴りを開き、日付と、記録を取った人の名を見た。
「この写しは、比較資料として預かります。調査で聞いたことも、誰が、いつ、どの仕事について話したかを残してください」
マレは了承した。
母の字が、計画の隣に置かれた。マレは指を引き、眼鏡を押し上げた。
*
風で行けなくなった日の話になると、リコは町の返事へ指を置いた。
「延期を知らせることは、先に伝えてあります」
「知らせが届く前に、次の船を出すことになったら?」
オルドの問いに、彼女は返事の続きまで指を動かした。
「了解してもらった期間の中だけにします。外れる時は、新しい返事が来るまで行きません」
「中継で止まった場合、局はどこまで来たと分かりますか」
そこには、すぐ返せなかった。
島同士でいつでも声を届けられるわけではない。普通の連絡便に載せれば、その便が飛ばない時は知らせも遅れる。
ナギが手帳を開いた。
「コトリ島からの連絡を、どの便に預けられるかは確認します。知らせが遅れた時、局がどう扱うかも決めたいです」
オルドはそれを書き留めた。便の手配だけでは足りず、待つ場所と、水や食料の余裕、延期後も中継棚を扱う人がいるかまで続いた。
リコはふと、自分の鞄を見た。
今日の昼を入れた包みは、二人で食べれば終わる大きさだった。旅先で一日余計に待つことは、予定表に一行足すだけではなかった。
「町で急に、もう一晩泊めてくださいとも言えませんね」
オルドが顔を上げた。
「先の区間へ出る前に、戻れる見込みを確かめる必要があります。それでも変わった時にどこで待てるかは、相手の了解が要ります」
リコは町側の確認欄を引き寄せた。
せっかくもらった返事に、また質問を送る。町の人が次の舟へ封筒を預けるまで、何日かかるだろう。初めて読んだ時から知っている細い筆跡を見て、リコは新しい紙を取った。
「住民との確認は、私がやります。コトリ島も、町の方も。母が代わりに全部決めることにはしません」
マレがうなずいた。
質問の順番はまだ決まっていなかった。彼女は紙の上端へ、町の宛先を書いた。
*
最後に、ナギはコトリ島から先の線へ印をつけた。
「コトリ島を出てから先へ進むのは、初回は九十分までと考えています。町まで九十分で必ず着くという意味ではありません。帰りの消費と予備を残せなくなる前、目印が確かめられない時は、もっと早く戻ります」
オルドは計測の控えと比べた。
「風と荷重に応じた中止の条件も必要です。この数字は、まだ相談中としておきます」
ナギが候補と書き添えた。
リコは線の先を見た。あそこまで行けば見えるかもしれないと思う場所で、引き返すことになる。その時も今の字を読めるようにしておかなければならない。
「あと少しでも、戻るんですね」
「あと少しだと分かる記録が、まだありませんから」
オルドの返事は冷たく聞こえた。
窓の外の船が、雲に隠れた。リコは、見つけかけた屋根を置いて戻ることになったら、この人の言葉を嫌いになるだろうと思った。
「その時、どこまで見えたかは残したいです」
「ええ。引き返した地点も、次に使う記録です」
彼女は九十分の脇に小さく印をつけた。
相談を終えると、オルドは書類をそろえ、未確認の項目を記した紙を一枚ずつ二人へ渡した。
「これを整えて、もう一度見せてください。運航の許可は、その確認のあとです」
判のない紙が、リコの手に残った。
オルドは立ち上がり、椅子を戻しかけて、ナギの開いた見本箱に気づいた。椅子を少し脇へよけ、金具を布へ戻す場所を空けた。
細かい人だと思った。
けれど、そこを空けてもらうと、ナギは金具を一つずつ確かめて片づけられた。
*
廊下へ出ると、仕分け場から昼の音が聞こえた。
引き出しを閉める音、手を洗う水の音、誰かが椅子を余分に一脚引く音。リコは朝から持っていた包みを出した。
ナギは窓辺で、もう手帳を開いていた。
「先に食べよう。金具は食べられないから」
「それは知ってる」
「ずっと見てるから、知らないのかと思った」
彼はようやく顔を上げ、小さく笑った。
ナギは窓辺の腰掛けへ座り、手帳を開いたまま膝へ置いた。リコも隣へ座って包みを開く。手帳の角に青い鉛筆で、小さく設置の二文字があった。その下に、もう一本、予定の線が伸びていた。
彼女は何か言いかけたが、ナギが空いた手でパンを受け取ったので、まず自分も食べた。
朝に買ったパンには、まだ香草の匂いが残っていた。
ナギはパンを半分食べたところで、また手帳へ目を落とした。




