14. あいている桟橋、あかない予約
空いている桟橋で、人が働いていた。
船のいない係留場に二人の整備員が膝をつき、外した接続具を布の上へ並べている。片方が新しいものを取り出し、もう片方が古いものの番号を控える。通路をふさぐ鎖には、次の船の準備中と札が下がっていた。
リコはその前を通り、ミナト輪の港にある事業者の業務窓口へ向かった。今日は遠くの受取港へ飛ぶのではなく、そこにある設備の予約を相談しに来たのだった。
鞄にはアカリの町から来た返事の写しが入っている。到着を受け入れてもらえる四日間は、手帳の同じ頁に収まっていた。指を挟んでおいたので、何も見ずにそこを開ける。
会ったことのない人の筆跡なのに、何度も開いたせいで、行の終わりの細いはねまで覚えてしまった。
会いに行ってよい。
その言葉に、来てくれるなら暮らしのこの隙間へ、という具体的な場所ができていた。リコはそこへ、船の日程を合わせたかった。
ナギが入口の脇で書類の角を確かめた。
「説明は僕からでいい?」
「充填のところはお願い。町の都合は、私から話したい」
二人で窓口の職員へ名乗った。
局が問い合わせていたのは、コトリ島の住民が取次に使う隣島の受取港だった。そこにある事業者の充填棚を借り、停泊して休み、点検を済ませてから調査へ向かう。帰りにも同じ港へ戻れれば、未知の区間を一日の長い往復に詰め込まずに済む。
ナギは往路と復路の充填を、対になる二つの印にしていた。相談した候補は、どれも一方の印しか空かない。接続具の型と人員の欄にも、細かな付箋が並んでいた。
奥の机から、深い青緑の上着を着た男性が立った。短く整えた灰茶の髪。手にした革の帳面は、背の部分だけが柔らかくなっている。
「ヴェルです。当社の便の手配と、充填設備の割り振りを担当しています」
声は低く、よく通った。
リコは挨拶をして、差し出された椅子へ座った。ナギが船の規格を書いた紙を置くと、ヴェルはまずそこを読んだ。
*
予約帳の、相談していた週は、細い線で埋まっていた。
ヴェルは他社や客の名前が見えないよう別の紙をかぶせ、相談に関係する時間帯だけを示した。
「この受取港の棚は、当社の継続便に使います。船が着く前後の作業も含めて押さえてある。今週の相談では、その部分を外せません」
「日をずらしても、難しいでしょうか」
リコは町の受入れ期間を伝えた。
ヴェルは三日目を指し、次に四日目、その次をたどった。指の動きは速かったが、同じ所へ戻って確かめることはなかった。
「この日なら、町へ向かう前の充填に隙間はあります。ただし、町から戻る日の分がない。こちらの日程は逆です。往復の充填を一組として約束できる空きではありません」
ナギが自分の紙へ小さく印をつけた。
「停泊だけなら?」
「係留場所は港の担当へ聞いてください。私が決められるのは、うちの棚と人員です」
ヴェルは帳面を閉じなかった。
断って話を終わらせるのではなく、何が断られたかを正確に分からせようとしている。その丁寧さが、リコにはかえってつらかった。話す場所はあるのに、通れる所は増えない。
「少しだけ、作業を前へ詰められませんか。町の方では、この期間を空けてくださっているんです」
言ったあとで、表の整備員の姿が浮かんだ。
鍋を抱えて順番を待っていた、故郷の女性の姿も。
ヴェルは窓の外へ顎を向けた。
「あそこも、次の入港まで船は来ません。それでも空きとは扱わない。人が点検し、食事をし、次へ渡す時間です。遠い港でも同じです」
「はい」
「約束した便を遅らせれば、荷主だけでなく、向こうで受ける人の仕事も遅れる。その便があるから整備員の給与も払える。調査の一回だけ、というお願いを全部引き受けるわけにはいきません」
リコは膝の上で手を開いた。窓の外に、工具を布へ戻す人の肘が見えた。
「分かりました。今ある予約を、無理に空けてほしいとは言えません」
それでも、もう一つ聞いた。
「次に相談できる時期は、教えてもらえますか」
ヴェルは翌週の頁を開いた。町から了解を得た期間の外だった。リコはそれも控えた。今度こそ空くと決まったわけではなく、別の予定として問い合わせられる候補にすぎない。
そこまでなら、悔しくても、仕事の話として持ち帰れた。
*
「そもそも、その町に別の共同受取所が要りますか」
ヴェルはリコの控えにある町名を見て言った。
「住民の舟が通っているなら、今の集約受取所へ来てもらえばよいでしょう。登録のない所へ細かく伸ばすより、便をまとめた方が長く続く」
「来るために、仕事を抜けている人がいます」
「往来のついでに受け取ることはできますね」
リコは、紙へ近づけていた鉛筆を止めた。
「ついでになる日もあります。荷物を受け取るために舟を出す日もあります。うちの島では、受取所へ鍋を運ぶのに、ほかの人を呼んでいました」
「それぞれの島内の工夫までは、こちらの運賃に含められない」
「含まれていないから、なくなる手間ではありません」
声が、思っていたより硬く出た。
窓口の職員がこちらへ目を向け、すぐ手元へ戻した。
ヴェルは鉛筆を横に置いた。
「必要な手間だから、皆さんやっておられる。それを全部便の側へ移せば、誰が払うのです」
母は、なんとかなると言う。
リコは、それを今この人の口から聞いた気がした。
「だから調べに行くんです。どこまで一緒にできるか、向こうにも聞きたい。今の受け取り方を続けていいかも」
「その調査のために、既存の便の枠を譲ることはできません」
リコは鉛筆を置いた。さっきまで空いている欄を探していた目で、もう予約帳を見られなかった。
「私の母も、何とかしていると言います」
ヴェルは待っていた。先を促す顔ではなく、話の終わりを待つ顔だった。
「でも、母に会うと、お茶を一杯飲む時間まで、隣の人に鍋を頼んで作るんです。そうしている人に、今できているから、で済ませたくない」
自分の母の話ばかりしたくはなかった。町の人に会っていないことが、今はひどくもどかしかった。あの人たちなら何と言うか、リコにはまだ代わりに話せない。
ヴェルの指が、閉じかけた帳面に止まった。
「それは郵便局へ相談する話です」
「しています」
ナギが隣で、返される書類を受け取る手を止めた。
リコは息を一つ吐いた。
「予約についての回答は、局へ持ち帰ります」
紙をそろえてから、顔を上げた。
「でも、受取所へ来ればよいというところには、同意できません」
ヴェルは短くうなずいた。賛成した顔ではなかった。
返された規格書をナギが受け取り、二人で礼を言って席を立った。
*
表では、整備員が片づけを始めていた。
布の上に並んでいた部品は箱へ収まり、代わりに食事の包みが出ていた。片方が腰を下ろす前に、もう一人へ手洗いの場所を指した。
リコはそれを見ないふりができなかった。
窓口で頼んだことが、喉の奥へ戻ってきた。整備員は食事の包みを膝へ広げ、こちらを見ていなかった。
門を出てから、リコは歩く速さを落とした。
「じゃあ、その棚の予約を待たずに、こっちから直接――」
口にして、途中で止まった。
頭の中で、コトリ島までの二時間に線を引く。その先を伸ばせば、帰りにも同じだけ線が要る。知らない道で目印を確かめる時間を、線の長さから抜くこともできない。
「帰る分が残らないね」
「うん。その案では行けない」
ナギは、言い直す余地を残すような返事をしなかった。
「怒ってない時なら、私も計算するのに」
「今も、言いながら計算してたよ」
リコは彼を見た。ナギは日陰にある腰掛けを指した。
「続きを、座ってしよう」
腰掛けの向こうは、手すりを隔てて空だった。
白い雲の層を、小さな船が一隻横切っていく。帆が光を受けて膨らみ、やがて島の影へ入った。リコは船が消えたあたりを見続けた。
「窓口へ戻って、もう一度言いたい?」
ナギに聞かれ、反射的にうなずきかけた。
「違う言い方があったと思う」
「僕は、聞こえたよ」
「ナギには」
彼はすぐには答えなかった。腰掛けの端で手帳を一度開き、リコの顔を見て、閉じずに待った。
ナギが鞄から薄い紙を出した。
「別の中継にするなら、コトリ島の話を進めたい」
簡単な図に、三つの丸があった。ミナト輪、コトリ島、アカリの町。借りられなかった隣島の棚に代えて、コトリ島に充填設備を用意する案だ。真ん中の丸に重ねられた四角い枠が、その棚を表していた。
「局の携帯用の充填棚を借りる案?」
「借りられて、設置と点検ができれば。君のお母さんたちが、係留と当番を相談するって言っていたから」
故郷に寄ることは、リコにとって帰ることでもある。
だからこそ、母なら引き受けてくれると思うだけでは足りなかった。ナギの四角の横には、場所と担当の欄があり、どちらもまだ埋まっていなかった。
「町へ行く前に一泊。戻る時も泊まる?」
「そのつもり。船をつないで、棚で充填して、僕たちも休む。充填したから、その日にどこまでも飛んでいいという計画にはしない」
「うん」
リコは町の返事と図を隣り合わせにした。
到着できる期間から、コトリ島へ着く日を一つ前へ置く。帰りも一日でミナト輪まで線をつながない。その分、通常の配達を誰が受け持つか、局で相談することになる。
リコは図を持たせて、と言った。ナギが手を離すと、薄い紙が風を受けた。三つの丸を掌で押さえ、自分の側へ引き寄せる。
*
帰局前に、二人は屋台で焼いた根菜を買った。
リコは熱い包みを片手から片手へ移し、ナギは先に座って包みの口を開き、冷ましていた。真似をすると、湯気と一緒に塩と油の匂いが上がった。
「そのやり方、早く教えて」
「説明する間に、もう開けてたから」
ナギの包みは底が平らになるよう折られ、膝の上で小さな皿になっていた。リコも角を折ろうとして、根菜を全部片側へ寄せた。
「私のは、船が傾いてる」
「積み直してから食べて」
笑うと、ようやく肩が少し下がった。
一口目は熱くて、しばらく話せなかった。油のついた指を拭き、もう一つ食べる。ヴェルへ返したかった言葉は、まだ幾つも思いついたが、ナギには根菜の包みを傾けて見せた。
局ではマレが回答の控えを受け取り、中継案へ目を移した。
「来週初めに、空路審査官と相談しましょう。棚の貸出しと局の勤務も、こちらで確認します」
リコは、町への訪問期間を指した。
「これに間に合わせたいです。でも、コトリ島の当番は、母だけに聞いて決めたくありません」
マレは顔を上げ、うなずいた。
ナギが図の空欄へ、小さく確認と書いた。文字が増えても、丸はまだ三つとも離れていた。
リコはその間へ、勝手に完成の線を引かなかった。
代わりに、業務窓口で聞いた次の相談可能日も渡した。希望の期間を逃した時、話を最初から始めずに済むように。




