16. 休まない計画の穴
同じ印が、二つ付いていた。
リコは整備室の入口で足を止めた。ナギが紙に記した確認済みの丸は、昨日の夕方にも見たものだった。今朝はその隣に、少し小さい丸がある。
「そこ、もう見たんじゃなかった?」
ナギは接続具から手を離し、紙を寄せた。
「見た。昨日は、型の番号を」
「今日も番号を読んでいたよ」
彼は答えなかった。丸を一つ消そうとして、どちらの丸へ線を引くか迷った。
窓から入る朝の光の中で、消し屑だけが白く見えた。
審査の相談を終えた翌朝だった。配属から四週目の二日目。整備室にはまだ船の部品は持ち込まれておらず、机にあるのは見本と計画だけだった。それなのに、ナギの袖は昼まで働いたあとのように何度も折り返されていた。
「昨日、いつ帰ったの」
「君のあと」
「それは見てないから、何時か聞いたんだけど」
ナギは壁の時計を見た。
昨日の時刻は、そこには残っていなかった。
「宿舎で、眠れた?」
「横にはなった」
ナギは自分で言い直した。
「明け方まで、順番を考えていた。少ししか寝てない」
リコは何か叱る言葉を探しかけ、やめた。昨日、別れる時にもう一つだけと頼んだ荷室の寸法も、その順番に入っていたはずだった。
*
リコの手元には、町へ送る追加の質問があった。
予定どおり帰れなくなった時の滞在場所。飲み水を分けてもらえるか。食料はこちらで持つこと。受取担当だけで答えられなければ、場所を使う人にも確かめてほしいこと。
昨夜は同じ言葉を何度も直した。できるだけ短くしたつもりだったが、短くすると、こちらが望む答えだけを並べている気がした。
ナギの紙と比べれば、わずか一枚だった。
「私、こっちの表も写すよ。棚と荷物を一緒に見られるように」
リコは空いた机へ紙を広げた。少しでも早く終われば、彼も休める。
ナギは礼を言い、寸法の書かれた紙を渡した。
ところが、棚の部品を一行写すたびに、分からないことが増えた。予備とある金具は棚と一緒に運ぶのか、船に残すのか。二組という数は一組を使って一組を残すのか、二つ同時に使うのか。
「これは、どこに入れる分?」
「それは設置する時に使う。こっちはツバメ号に」
「同じ名前だけど、別?」
ナギは立ち上がり、リコの横へ回った。
彼が説明している間、元の確認は止まっていた。リコの新しい表はきれいになり、終わった仕事は増えていなかった。
仕分け場から来たピッパが、二枚の紙を交互に見た。
「こちらは、誰が使う表ですか」
「二人で、全部が見えるように」
「向こうの人が使う時も、ナギさんが横に立ちますか」
ナギが顔を上げた。
ピッパは椅子を借りると断り、紙を置いてから座った。
「設置の前の日には、もうコトリ島にいる予定ですね」
「現地の固定を見ておきたくて」
「その日のツバメ号の点検にも、お名前があります」
リコは予定表を見直した。
人の名前が少ない計画だった。設置の欄と船の点検の欄に、ナギの名前がある。リコは指で一方を押さえ、もう一方の日付を見直した。
「夜のうちに済むところは、先に」
言いかけて、ナギは口を閉じた。
ピッパは彼の小さな丸のある紙を見たが、責めるように指を置かなかった。
「今朝の確認を、使用前の点検として扱うのはやめましょう。見本は片づけて、実物を見る仕事は休んだあとに」
ナギはしばらく紙を見ていた。やがて、見本確認と書き足して日付を囲んだ。
*
マレが来るまで、リコは新しく作った表を重ねずに置いた。
白紙へ手を伸ばして、戻した。机の端が妙に遠く、座っている自分の手だけが邪魔だった。
「私、町に何を聞くか決めるのが遅くて。待ってもらってる間に、こっちだけ進めてもらった」
ナギが首を振った。
「町の返事は、君が早く書けば早く帰るものでもない」
「でも、設置まで行くとは思ってなかった」
「まだ、言ってなかった」
その返事が、リコにはいちばん苦しかった。
ナギが伏せた紙を、リコは見せてと言えずにいた。
「言ってくれれば」
彼は口を開き、何も言わずに閉じた。
リコはその先を続けられなかった。言われれば、ちゃんと止められただろうか。昨日は自分も、寸法をもう一つ確かめてほしいと頼んだ。
マレは勤務表を持ってきた。ナギの今日の便を別の担当へ移し、自分が午後に確認する仕事を一つ示した。
「休んでいる間に出航させる話ではありません。代わりの人にも、今から予定を聞きます」
決まっていないところは空けたままだった。
ピッパは旅程、船に積む物、棚の設置、住民への連絡を四つに分けた。表を増やす代わりに、同じ作業を二度書いた箇所を消していく。
「ナギさんには、接続できる型と、点検で見落とせない所を。設置を頼まれた人が、何を見ればよいか分かる形にしてください」
「図が、まだ途中です」
「途中の所も渡してください。完成してから頼むと、相手には直す時間がありません」
ナギは紙の隅を押さえた。
手を離すまでに、少し時間がかかった。
リコは町への質問を読み上げた。マレに促され、断られた場合はこちらの行程を見直すという一文を足す。追加の一泊を当然のお願いにしないためだった。
コトリ島へは別の封筒を用意した。棚を置く場所を使う人、当番、泊まる場所を確認する。スイ一人の返事で全員の了解を取ったことにしない。
どちらも局の連絡書としてマレが確認し、その日の通常便へ回すことになった。アカリの町へは、取次先から町へ行く舟の予定も受付で確かめる。締切へ駆け込むために、返事を急がせる言葉は入れなかった。
到着の候補は、既に受け入れてもらった四日間の最初の日とした。コトリ島にはその前日に泊まる。どちらの紙にも、天候で変わる予定だと添えた。
「まず一つ、できましたね」
ピッパが言った。
リコは、自分が書いた一枚をもう一度読んだ。ナギの紙より薄いことが、今度は気にならなかった。
*
昼前、ナギは見本箱を閉めた。
その音を聞いても、リコはすぐに立ち上がらなかった。彼が鍵を戻し、仕事の紙を局へ預け、自分の財布だけを取るところまで待った。
町の食事処へ出ると、鉄板で焼く玉ねぎの匂いがした。薄いパンで卵と野菜を挟む店だった。窓口で一人分ずつ払い、壁際の小さな卓に座る。
隣では、荷役帰りらしい二人が、仕事と関係のなさそうな釣りの話をしていた。
「私も、全部引き受ければ手伝えると思った」
リコは熱い包みを皿へ移した。
「ありがとう。でも、質問されると全部答えたくなる」
「それは少し分かった」
ナギが笑った。肩が椅子に触れ、そのまま背を預けた。
リコも包みの口を開いた。今日は卓の上に紙がなかった。
卓には、酢に漬けた根菜の小鉢があった。ナギは一切れ食べ、少し目を細めた。
「酸っぱい?」
「かなり」
「苦手?」
「好き」
もう一切れ取るのを見て、リコも真似をした。噛んだ途端に目の下まできゅっとなり、言おうとしていたことを忘れた。
「今の顔は、書いておかなくていいから」
「手帳は局にある」
「覚えなくてもいい」
ナギは返事をせず、笑ったまま水を寄せた。
リコも笑い、パンをもう一口食べた。卵の温かさで、口の中がゆっくり戻ってきた。
少し黙ってから、ナギが言った。
「前に、直せる日を早く言いすぎたことがある」
リコは顔を上げた。
ナギは小鉢を見ていた。
「開けてみたら、要る部品が違った。それでも次の日にはできると思って、言い直すのが遅くなった。ほかの便を頼む人まで、待たせた」
「それで、今は先に全部確かめたいの?」
「確かめてからなら、待たせないと思ってた」
隣の卓で、空の皿が二枚重なった。店の人が窓を少し開け、焼ける玉ねぎの匂いが弱まった。
ナギは小鉢の端を指で押した。リコが触れていない方へ、根菜が一切れ寄った。
「今も、その人たちに会う?」
「時々」
リコは彼の顔を見た。ナギは窓の方へ目を向けていた。店先を、背の高い荷車が通り過ぎていった。
「途中だって聞けたら、私も待つ以外のことができるよ」
それだけ言うと、ナギは短くうなずいた。
皿は、二人とも空になった。リコが小鉢を中央へ戻すと、ナギは最後の一切れを食べた。
*
午後の勤務が組み替わったことを局で確かめ、ナギは宿舎へ帰った。見送る時、リコは夕方の相談の時刻だけを伝えた。その前に見てほしい紙は、鞄から出さなかった。
リコは連絡書の引渡しを終え、通常便の受領票を返した。アカリの町への返事が、いつ来るかはまだ分からない。コトリ島の封筒にも、同じ欄が空いていた。
待つ間にできることを、彼女は自分の欄へ書いた。持参する食料の相談と、雨で濡らせない図の写し。船の接続具は、そこには入れなかった。
仕分け場へ戻ると、ピッパが通常便の札を入れ替えていた。
調査の準備に人を割いた分、午前に動かした仕事が午後へ重なっている。リコが席をのぞくと、空になった茶の器のそばに、食べかけの小さな焼き菓子があった。
「これ、私が返却棚へ戻していいですか」
リコは照合を終えた空の札入れを指した。ピッパがうなずく。戻す場所も向きも、今度は知っている仕事だった。
五つを運び終えると、ピッパは椅子へ腰を下ろし、ようやく菓子を食べた。
「ナギさんの休む時間を作ったら、ご自分の時間がなくなりました?」
「少し。午後の順番を直す方へ、気を取られました」
言い訳をせず答えて、ピッパは自分の時刻表を見た。
リコが次の札入れに手を伸ばすと、彼女は首を振った。
「それは未確認です。さっきの分だけで助かりました」
リコは手を引き、空になった棚の前から椅子を一脚よけた。ピッパが足を伸ばし、菓子を持つ手を膝へ下ろした。
ピッパは残りの菓子を割り、リコにも半分勧めた。
「昼食のあとだから、入らないですか」
「これは入ります」
「私もです」
眼鏡の奥が少し笑った。
窓際で食べると、中の干し果物が歯に少しくっついた。リコが黙ったまま頬を動かしていると、ピッパも同じ顔をしていた。
二人で顔を見合わせ、それから一度だけ笑った。
夕方、戻ったナギは顔を洗っていた。髪の横だけが、少しはねている。
休めたか尋ねるより先に、彼が言った。
「途中の図、持っていっていいかな。設備の人に見てもらいたい」
局の奥から来た設備担当は、ナギの紙を広げると、空白の部分へ自分の鉛筆を置いた。
「ここは現地の台を見ないと決まらない。先に寸法を聞こう。棚を運ぶ便と、設置する二人の予定はこちらで相談する」
「僕も行った方が」
ナギは言いかけた。
リコは黙って待った。
「……どこまで、この図で分かりますか」
設備担当は、書かれた番号を指した。
「これは分かる。この部品を選んだ理由だけ、教えて」
ナギは椅子を寄せた。
設備担当の鉛筆が、ナギの線の脇へ新しい数字を足した。ナギはその数字を読み、一つ隣の部品へ指を動かした。
最後に設備担当が図を預かると、ナギの指が紙の端についていきかけた。
彼はその手を、自分の膝へ戻した。
作業台には、昨日より広い木目が見えていた。




