11. 大きすぎる鳥の地図
「この鳥が、ここに止まるとしたら」
ナギは机に広げた町の図へ定規を置き、描かれた屋根の端に合わせて、少し黙った。
リコは彼の手元をのぞいた。古い依頼書に添えられていた、ミチという名の描き手の図。その端に、翼を広げた鳥がいる。家より大きい。描いた本人には、まだ会えていない。初めて見た時には、手紙の言葉に気を取られていた。住所を探し始めてからは、道と受取箱ばかり追っていた。
「屋根が、危ない?」
「屋根に止まる鳥だとしたらね」
ナギが真剣な顔のまま定規を外したので、リコは口元を押さえた。
配属から二週目も終わりに近づき、二人は郵便局の照合机に戻っていた。スイから写させてもらった物売りの連絡先には、市場へ立ち寄る日が書いてあった。昨日、そこの取次の店へ尋ねると、今日の荷下ろしの後なら会えるという返事をもらえた。
聞きたいことをまとめるため、もう一度図を見ていたのだった。
「物売りの荷札にも、こういうのがあったよ」
リコは鳥の横に描かれた枝を指した。
「母の注文帳に。鍋より大きな匙が描いてあって、これは長柄、って書いてあった」
「大きさの比べ方が別なんだね」
「この鳥も、目立たせたかったのかもしれない」
リコは道の脇の短い線を見た。同じ間隔で目盛りが打たれたところと、家の窓を丸一つで表したところがある。全部を同じ測り方で見てよいとは、どこにも書いていなかった。
ナギは別紙の数字を消した。
「消しちゃうの?」
「鳥の重さまでは、聞かなくてよさそうだから」
とうとうリコは笑った。彼も小さく笑い、紙を裏返す。
「でも、何の目印かは聞いてみたい」
「うん。私も」
定規を片づけても、鳥は紙の上をはみ出しそうな大きさで残った。リコは、その翼の下から橋を探した。
*
市場の庇の下には、舟から下ろしたばかりの箱が積まれていた。
店先では匙や鋏が布の上に並び、奥で量り売りの豆が乾いた音を立てている。リコは二人が通れるよう鞄を前へ抱えた。通りの端を荷車が抜け、その後ろから、肩に長い柄を載せた男が現れた。
「郵便局の人たち?」
日に焼けた首に、襟元だけ白く残った跡があった。男は荷を店の主人へ渡すと、掌の埃を払い、リコが見せた連絡先の控えを確かめた。
「スイさんのところから聞いたって」
「娘です。先日、受取の調査で帰りまして」
「ああ。去年、かまどのへらを受け取りに来た」
リコは顔を上げた。
「あの長いの?」
「道の曲がり角で、先を向こうの柵に引っかけたろう」
ナギがこちらを見た。
「……帰りは、ちゃんと曲がれたよ」
言うと、物売りは笑った。
あの時は、近くにいた人に柵の戸を開けてもらい、柄を立てて通ったのだった。道具だけ届くと思っていた記憶の中に、運んできた人の顔が戻ってきた。
「そのへら、まだ使ってるかい」
「はい。母も、かまどの人も」
「じゃあ、よかった」
男はそれ以上、売り込まなかった。空いた木箱を裏返し、庇の陰へ置く。
「座るなら、こっち。日が当たると、帳面の字がまぶしいからね」
リコは鞄から照合用の紙を出した。
持ってきたのは、マレに確認してもらった地名と、公道や共同施設の目印を抜き出した図だった。依頼書の原本、住民の署名、ミチの名は局に残してある。
「アカリの町へ、行かれたことはありますか」
物売りは地名を読み、紙の向きを変えた。
「あるよ。この橋を渡って、荷を置いた」
指が、かまどの手前で止まった。
「こっちに高い屋根があるだろう。その下で、頼まれた道具を渡すんだ」
リコはすぐに次の質問ができなかった。
あるよ。
市場でどの店が開いているかを聞いた時のような返事だった。
何冊も調べて見つからなかった町へ、この人は行っている。さっきまでかまどのへらを売った話をしていた口で、あそこへも荷を置いたと言った。
リコは紙を押さえた。橋から屋根まで、指一本で隠れてしまう。その狭いところで、誰かが道具を受け取り、お金を出した。
「屋根の下は、荷を置く所なんですね」
「いや、仕事にも使うよ。着いた時に台がいっぱいでね、あけてもらうまで軒先にいた。雨樋が新しかったから、そこは濡れずに済んだ」
男は自分の首筋を掻いた。
「雨の日に?」
「帰る頃には上がった。君らが見たいのは、雨の日の町?」
「どちらも」
答えると、男が笑った。リコも笑った。雨上がりの橋をこの人が渡り、今は自分と同じ庇の下にいる。その間に、道があった。
「最近も、行ったんですか」
「先週。日付は、これに」
物売りは自分の帳面を開いた。客の名前のある部分を手で覆い、寄港した日と、天候を記した欄だけを見せた。
「ここなら、写していいよ。局で使うんだね」
ナギがうなずいた。リコは確認した日付を記し、男が話す目印を図と照らす。
橋の手すりは冬の間に直してあるという。かまど脇の屋根には、雨樋が一本増えた。リコはその話を、場所の手がかりとして書きながら、直した人の手を想像した。
町は、絵のまま待っていたわけではなかった。
郵便局の台帳には見つからなくても、品物を売りに行く人には、暮らしている人のいる町だった。リコが探していたのは、誰も知らない土地とは限らない。そのことが、男の帳面に残る先週の日付から伝わってきた。
*
「その場所まで、船で行けるんですね」
声が弾んだ。
「僕の舟では、今の時季はね」
男はナギの持つ計画用紙へ目をやった。
「そっちは、どんな船?」
ナギがツバメ号のことを話した。物売りの舟より大きく、水と食料のほかに二人分の装備がある。荷物の数だけで、同じだけ飛べるとは決められない。
男は帳面から、小さな航路の覚え書きを取り出した。
「先週は、ここの雲の下を回った。その前は、もう少し外側。島はそう遠くへ行かないけど、風の通り方が変わるんだ」
線の脇に、書き足した日付が並んでいた。
ナギは一つずつ確かめ、最近使った場所だけを教わった。線を写し終えても、それをツバメ号の航路として使ってよいとは言わなかった。
「次に行く時、私たちが訪ねたいと伝えていただけますか」
尋ねると、物売りは紙から顔を上げた。
「何をしに来るか、書いた物はある?」
「受取場所の相談をしたいんです。今日は、まだ連絡先を確かめるための紙しか」
「だったら、局で用意しておいで。次は、明日の出発予定だから」
彼は港へ戻る時刻と、自分の舟の係留場所を控えに書いてくれた。
「町の人に、いつなら話せるか聞いてくる。かまどを使う時も、荷を取りに来る時も、それぞれ用事があるからね」
リコは町の人へ聞いてほしいことを控えた。男が隣の店主へ呼ばれ、一度顔を向ける。
「あの鋏は、後で研ぎ直す。置いといて」
こちらへ戻ると、もう商売の顔をしていた。
ナギが紙を押さえて待っていた場所へ、男の指が戻る。分かれ道の一つを確かめ終えてから、リコは礼を言った。
男は店の奥へ呼ばれ、立ち上がった。リコたちも紙を片づける。
「あの鳥のことは?」
通りへ出ると、ナギが言った。
「今度かな。今日は、橋の先に人がいるって聞けた」
リコは笑った。
知らないことが残るのを、少し惜しいくらいに感じていた。
*
局へ戻り、二人で聞き取ったことをマレへ伝えた。
道を知る人がいる。先週も行っている。往来の日付と目印を提供してくれた。次の訪問で、局の連絡書を渡してもらえる。
並べると、それだけだった。
けれどマレは、別の書類に挟みかけた手を止めた。
「連絡を取れるのね」
眼鏡の奥で、目が少し細くなった。
「返事を受け取る担当も、こちらで決めておきましょう」
リコは便箋ではなく、局の連絡用紙を取った。
最初の一行で迷った。
まず、住所調査の依頼を局が受け取った日を書いた。次に、受取場所の相談に伺いたい、と続けた。机の端に置いた図が目に入り、ペンを持ったまま顔を近づけてしまう。
「続きは?」
マレに言われ、リコは連絡用紙へ目を戻した。
「橋の先で、荷を渡すんだそうです」
「さっき聞きましたよ」
「はい」
マレの口元が緩んだ。
リコは暦を引き寄せ、配属五週目に当たる頃の日付を書いた。この頃に、訪問を受け入れられる日はあるか。ペンを進めると、ようやく少し落ち着いた。
初めての調査なので、その日のうちにミナト輪へ帰ると決めない。一泊して翌朝まで滞在できるか、町の作業を避けるにはどの時間がよいかも尋ねた。
ナギが横から、空欄を一つ指した。
「風で遅れた時のことも。知らせる便が先に着くとは限らないから」
リコは書き足した。
天候で日を変えることがある。受入れのできる期間を教えてほしい。その間も町の仕事を止めて待つ必要はなく、期間を外れる場合は改めて了承を求める。
まだ返事のない相手へ、何枚も条件を突きつけているようで気が引けた。
「お願いが、多すぎませんか」
「答えにくいところは、そう書いてもらいましょう」
マレは最初の行へ指を戻した。
「どうすれば来られるかを、こちらだけで決めないための手紙だから」
リコは読み返し、似た質問を一つにまとめた。相手が答える場所が残るよう、行を空ける。
最後に、局の返信先を書いた。
字を小さくする必要のない住所だった。
*
翌朝、港には帆を確かめる人の声が響いていた。
物売りの舟は、脇に張り出した荷台へ箱を低く積んでいた。昨日市場で見た長い柄は、もう別の持ち主のところへ渡ったらしく、そこにはなかった。
リコはマレが確認して封をした連絡書を差し出した。外側にはアカリの町の共同受取担当へ、とあり、物売りは自分が品物を渡している担当へ届けると確認した。
取次ぎにかかる費用も含め、局で相談を済ませてある。リコは局の控えに預けたことを記し、物売りにも確かめてもらった。
「町の方が返事を書けたら、こちらの窓口へ戻していただけますか」
「戻りに預かれればね。間に合わなければ、その次の便だ。向こうの人が出す舟に頼むこともある」
「分かりました。どの便で預かったか、窓口にも教えてください」
物売りは連絡書を乾いた文書入れへ収めた。
先日の点検では、封筒が古い投函口へ入り、同じ保管室の点検箱へ戻った。町まで通じる経路は、まだ確かめられていない。今度は物売りが船で連絡書を運ぶ。誰がどこへ持っていくのかを知っていても、リコは紙が見えなくなるまで目で追った。
舟が離れるのを、決められた通路の内側から見送った。
荷台の綱は張ったまま、帆だけが先に風を受ける。やがて船首の向きが変わり、声の届かないところへ出ていった。
ナギが隣で、リコと同じ方を見ていた。
「あの鳥、まだ気になる?」
「少し。どこかに止まってるなら、下を見てから降りたい」
リコは笑い、遠ざかる帆へ目を戻した。
「私は、描いた人に聞いてみたい」
今すぐついていくことはできなかった。
でも、自分たちの言葉を載せた舟が、知らない町へ向かっていた。




