3. 大きすぎる帽子の届け先
実演場へ着くと、帽子だけが先に待っていた。
幅はリコが両腕を開くほど、つばの周りに青い紙の花が並び、てっぺんから長い羽が出ている。その羽も紙だった。少し首を傾けると、隣の作業机に座った人の顔が見えなくなった。
「おはようございます」
リコが言った。
「おはよう。そっちからは見えてるかい」
帽子の後ろから、ボンゴの声がした。
「花は」
「人間の方だよ」
つばが持ち上がった。濃茶色の巻き毛と短い口ひげ、その下に、得意そうな顔が現れた。からし色のシャツに青緑のつなぎを重ねた梱包職人は、片手を帽子の内側へ入れている。頭にかぶっていたのではなかった。
看板には《くるり包み店》とあった。店の横に借りた細長い庭が、見本の梱包や運搬を人に見てもらう実演場になっている。今日は客の品を入れた棚へ布を掛け、練習用の空箱だけを戸口のそばへ集めてあった。
「船で箱を運ぶ練習だったよね」
リコは確かめた。
「うん。その前に、向こうへこれを届けてくれ」
ボンゴが示した先には、壁を模した板と、受渡し用の窓があった。町の店へ納品する時に、入口へ通るか試すためのものだという。台の上に帽子を置くと、空の骨組みと薄い紙でできていることが分かった。つばの下に、持つための帯も付いていた。
「本当のお客さんの帽子?」
「見本。ほんとの帽子は、被る人の首も相談に入れないとね」
ナギは窓の幅を測り、帽子のつばを測った。横幅は足りている。紙の羽を倒せば、高さも通る。
「これなら、つばを水平にすれば入る」
「では、お願いします。受取の人はあちらです」
ボンゴは窓の裏へ回った。そこから急に、少し澄ました声がした。
「帽子を頼んだ者です」
リコは笑って、持ち帯へ手を通した。
軽かった。
軽いので、いつもの箱のように胸へ寄せた。
その瞬間、ボンゴもナギも、通り道もなくなった。目の前に青い紙の花がある。
「……ナギ」
「動かなくていい」
彼の声はすぐ横からした。腕に触れる代わりに、帽子の下をのぞき、リコがどこを持っているか見ている。
「台は前。足元の印は、まだ君のつま先より向こう」
「これ、窓には入る?」
「入る。君には前が見えない」
リコは帽子を持ったまま首を左右へ動かした。右へ向けば羽、左へ向けば花。つばを自分の鼻より下へ下げようとすると、持ち帯が手首へ食い込んだ。人が被る場所は真ん中にあるのに、運ぶ人が頭を出す場所はどこにもなかった。
「お届けが遅いようですが」
窓の向こうで客が言った。
「今、届ける人を探してます」
「あなたでは?」
「見つかったら、私です」
ナギが肩を揺らした。声を出さずに笑おうとしている。そのせいで「台まで一歩」が二度に分かれた。
「案内は一回でお願い」
「ごめん。台まで、一歩」
ゆっくり足を出すと、つばの先が台へ載った。もう歩く必要はない。ナギの声を聞きながら、リコは帽子を窓へ押し出した。
「立派な帽子だ。どなたがお持ちに?」
「私です」
「どちらに?」
「帽子のこちらです」
裏側から笑い声がした。ボンゴのものだけではない。練習へ来たセナが、灰色の帽子の補助担当と一緒に立っていた。その後ろで、店に寄った親子も足を止めている。
ボンゴが受取側の帯へ手を入れたので、リコは両手を離した。ようやく帽子の下から顔を出すと、小さな子が指をさした。
「いた!」
「いました」
リコは頭を下げた。子供が拍手をし、母親も笑った。隠れるつもりではなかったのに、妙に大きな登場をしてしまった。
ナギは測った幅をもう一度見た。
「数は合ってるんだけどな」
「船が通るだけじゃ足りない、っていつも言ってる人が」
リコが横からのぞくと、彼は紙の花を指で避けた。
「運ぶ人の目は、ここだから」
印を付ける先が、寸法の線から自分の顔の高さへ移った。
ボンゴは帽子を台へ戻し、つばの内側の帯を二か所ずらした。リコの手が窮屈にならない位置を、本人に持ってもらいながら探している。
「軽い物だとね、持つところはどうにでもなると思われる。どうにでも持てるから、困る持ち方もできる」
「先に教えてくれてもよかったのに」
「今、教えるとこだった」
「ずいぶん楽しそうなお客さんでしたけど」
「いい帽子が来たから」
セナが花の並びを眺めた。
「入口へ向ける側に印があるといいわね。花を全部見ながら考えなくて済む」
「花は減らす?」
「それはお客さんと相談して」
ボンゴは満足そうにうなずいた。仕事の品なら、届けやすさのためだけに外見を変えるわけにはいかない。それでも、持ち帯の位置なら見えないところで工夫できる。
ナギは台の高さを変えずに、帽子の向きを少し起こしてみた。リコがその後ろに立つ。つばの斜めの縁から、足元の印と相手の顔が両方見えた。
「歩く時は、この向き。窓へ載せたところで水平にする」
「途中で持ち替えるの?」
「台に重さを預けてから。手を離す前に相手が持つ」
セナが受取側へ回り、手を入れる位置を示した。
「そっちから見て右を、少し前にしてくれる?」
リコが向きを変える。セナの手が帯へ届いた。何度も帽子を覗き込む必要はなかった。
二度目には、リコの方から客へ声を掛けた。
「羽を寝かせた方から入れます。奥の帯を持ってください」
窓へ顔を出す。ボンゴが、今度は客として出番を待ちすぎ、口を開けたまま両手を出した。
「はい、届きました。顔も」
子供が再び拍手した。リコは窓の枠へ額をぶつけないよう、小さく礼をした。
セナの組が同じ見本を運ぶと、もっと短かった。歩き出す前に補助担当へ受取の向きを示し、台へ置いた時には、もう相手の手が待っている。帽子を置き終えたセナは、見ていた子供へ花を一つ揺らしてみせた。その一動作まで入れても、リコたちより早かった。
「今の、最後は必要なかったよね」
リコが言うと、セナは真顔になった。
「観客への受渡し」
ボンゴが大きくうなずいた。
「大事な工程だ」
「二人で組まないで」
灰色の帽子の補助担当が、道具を戻しながら吹き出した。
昼前に、実演場を閉めた。
ボンゴには午後の納品があり、庭を一日中貸してもらう約束ではなかった。客の小鉢を入れる箱が、店の中で順を待っている。リコは見本の帽子を台へ置き、花の曲がりを一本直した。軽い品を運んだだけなのに、腕より肩がこっていた。
「本番は、こういう帽子はないんだよね」
ナギが聞くと、セナは共通の荷の図を出した。同じ形の箱を三つ、合計六十キロ。どの組も同じ重さで、用意された担当へ届ける。
「でも、受け取る人の位置は箱だけ見ても分からない。今日のは、それを覚えるには十分」
リコは、自分の青い鞄を持ち上げた。いつもなら体の脇へ落ち着く鞄が、急に運ぶ品の一つに思えた。自分の胸の前に置くと、両手が自由になったつもりで、下に置いた箱の取っ手が隠れる。
ナギが、その位置を見た。
「短くしてみる?」
「今はいつものでいい。次、箱と一緒に確かめたい」
「うん」
セナは図をしまい、艇へ戻る時刻を確認した。帰りにも通常の速達があるという。
「明日は、似た札を混ぜてもらおうかな」
「混ぜるのはピッパに頼んでる。私が頼んだ」
「それは楽しみ」
ここまで自信ありげに言われると、かえって腹立たしさが気持ちよかった。セナが笑って手を振る。リコも、明日は負けない、と言う代わりに、またね、と返した。
店内で、ボンゴが薄い詰め物を小鉢の間へ入れていた。
実演場であれだけ大きな声を出していたのに、品へ触れる時は、指先が静かだった。リコは空いた箱を運び、邪魔にならない場所へ立った。
「あの帽子、どうして作ったの?」
「頼まれた包みの中で、箱に入れにくい形を集めてたんだ。少しずつ大きくなった」
「少しずつ」
「最初は羽が一本だった。つばも、今の半分ぐらい」
ボンゴは詰め物を一枚だけ戻した。厚ければよい、というわけでもないらしい。
「みんな、船へ載るかは気にする。店の口で持ち手が変わることは、あとになって気づく。なら、最初から困る大きさで試してもらおうと思ってね」
「ちゃんと困りました」
「それで、ちゃんと届けた」
彼は最後の小鉢を置き、箱の中をリコにも見せた。白い縁が等しい間隔で並んでいる。これが店へ着き、皿の棚へ戻されるところまで、作る時から考えている手だった。
リコは庭の窓を振り返った。自分が出てきた時の子供の声を思い出し、まだ少し頬が熱くなった。恥ずかしかった。それなのに、もう一度やってみたい。
片づけを終えたナギが、入口で待っていた。
「明日、先に受取側から見よう」
「もう向こうに立ったよ」
「今度は、君の鞄も付けたまま。僕が運ぶところを見てほしい」
リコは思わず彼の顔を見た。
「ナギも、帽子になる?」
「箱でいい。帽子は今日やったから」
「写真が欲しかったな。私、ずっと内側だった」
「外からは、花がよく見えた」
彼の言い方が朝の自分と同じだと気づき、リコは笑った。
帰り道の坂は、港の手前で大きく曲がっている。いつもなら海の代わりに広がる雲へ目を向ける場所で、今日は二人とも、店の戸口を見て歩いた。背の低い入口。半分だけ開く窓。台が外へ出ている店。
ナギが一つを指し、リコが、その店は中の人が品を取りに来る、と答えた。彼がうなずく。次の角では、今度はリコが窓の高さを尋ねた。
大会のコースはまだ見ていない。それでも、何度も通っていた道から、練習に使えるものが次々に見つかった。




