20.ガラス工房を買う
マッサは当てもなく鍛冶屋を辞めたわけではなかった。
あくる日から、街壁の外、川沿いに点在しているガラス工房を見に行きはじめた。ガラス工房は、ガラス・鍛冶屋ギルドに所属している。
廃業した小さなガラス工房を見つけ、交渉して買い取った。ただ、組合に加入する権利金は非常に高かった。
異国から来たマッサではあるが、荒砥ののち刃を美しく研ぎ出すという難しい作業ができると知られていたので、職人としてはすでに受け入れられ、マズーラの登録の研師として組合に名が登録されていた。
問題は独立した工房とその主として登録することができるかどうか、という点にあった。
組合には、ガラスも扱うけれども、しばらく練習したら金属を扱いたいと届けた。
鍛冶場を取り仕切るオヤジが孫の婿にして囲い込もうとしていたことは職人業界の奥さま繋がりで知れ渡っていた。宿でマッサが砥いだキッチンナイフの切れ味に驚いた料理人の話もあり、台所用の刃物でも作るのだろう、ガラス工房の小さな炉で扱う金属では剣のような武器は作れないだろうと、すこし渋られたけれども認可が出た。
武器は鍛冶屋が独占していて手を出せないし、ポーション瓶の制作は既存の工房が支配していて、簡単には参入できない。
組合は、マッサがポーション瓶も武器も作ったとしても売る先がないとわかっていて、高額な権利金を巻き上げたのだ。いや、言葉を変えよう。
ガラス・鍛冶ギルドは、異人であるマッサから権利金をとり、仕事はさせても作ったものの売り先がないように仕組み、早々に工房と権利を手放させる予定、つまり、黙って見ているだけで手を貸さなければ1年も持たずに廃業になるという確かな見込みがあったからこそ、独立工房として認可したのだった。
組合はそう思ったのではあるが。
マッサは、陰キャ気味のオタクだけど、そんじょそこらの陰キャでもオタクでもなかった!
そもそも常人の思いつく程度の発想など持ち合わせない、真正の、神聖なるオタクなのだ!
苦節10年とか、石の上にも3年、などと聞いても、トーゼンだよね、と思うくらいのチョーゼツ長距離展望の持ち主なのだ!
「鋏を作ろうと思うんだ」
「あうん?」
口に肉を突っ込んだまま、妙な声を出したアッキーには気の毒だが、夕食時に説明を始めた。
「俺の実家はちょっと変わった伝統技術の職人の家なんだ。もう引き継いでいる家もあんまりなくて、芸術の域なんだよな」
「どんな、あー、芸術?」
「そうだなー、凄く高価な桐の箪笥の隅に打ってある金や黒の金具、わかる?」
「わからん」
「えーっと、あー、お祭りのおみこしでしゃらしゃら鳴ってる金の飾り」
「あ、わかった、ああいうのね」
「ああいうのを、お寺とか神社用に作るんだよね」
「わかったわ、イメージできた。正倉院とかにあるやつ。中学くらいの社会の教科書に写真があったかも」
マリが、思いがけない知識を披露する。フランス人のパパが日本文化を好きだったから、マリも興味を持った頃があった。
そうか、なんかああいう伝統的な技術ねと、なんとなくわかった気になる4人。
「うん、そういうのを作ることもあるんだ、御物を復元する時とか」
「うわー、そうなんだね。だから芸大」
これはノーラ。
「へー、そうだったのか、芸大かーお疲れさん」
「うん、本当にお疲れさんなんだよ。今時プロの錺職人だよ」
「希少種だねー」
「国が保護する希少種?」
「からかわないであげよう、話が前に進まないよ」
きっちりサキの制止が入る。
「ありがとう、サキ。
この仕事には道具の砥ぎが必須なんだよ。自分が使う道具は必ず自分で砥ぐんだよね、手の癖が仕事に影響しないように癖を載せない砥ぎをするんだ。自分用に道具を打つこともある」
よくわからない世界の事なので、全員清聴している。
「まあ、それは置いておくとして」
置いておくのか、清聴は何のため?
「ノーラが鋏を持ってるだろう? あれ、50ポイントだったんだよ」
「え?」
「私たち、布切るときに借りてるけど、あれそんなに高価なものだったんだ」
50ポイントは金貨50枚、日本円で考えると、およそ50万円になる。
「注意してたんだけど、ここではまだ洋ばさみ? ラシャ切り? なんていうの、あの大きな鋏はまだないみたいなんだよ」
「確かに、売ってなかったよな。それで布がきれいに切れなくて、ノーラが貸してくれたんだ」
「そうそう、こちらで直線断ちの服が多いのは、そのせいみたいなんだよね」
「ああ、なるほど」
「俺は鍛冶仕事は専門じゃないけど、学生の間はヒマだろうってんで、刀匠の外弟子にしてもらっていたんだ。だから、一応やり方は知っている。
こっちには錺の仕事はないからね。鍛冶場で仕事をするうちにいろいろ見聞きして、できるかもしれないと思ったんだ。
鍛冶師の職能オーブを取ったたんだ。いきなりは無理でも、鋳造からゆっくり始めれば、この世界でもできるようになると思うんだ」
「なに、そのたんぞーとかちゅうぞーとか」
「あー、鍛造は日本刀みたいに金属を火に入れて少し柔らかくしてガンガン叩くやつ」
「あ、わかった。TVで見たことある」
俺が見たのは刀を作るところだったな、白い着物みたいので神棚の前で正座してたし。それで、ひとりが道具で鉄? を挟んで、ふたりで叩いてたなあ」
「師匠が加熱した玉鋼を梃子台にのせて、弟子が相槌してたってことなんだよ。神刀の復元だったんだろうね、映像記録に残したんだもんな。
今は専用の機械で叩くんだよな。刀匠はどこをどれだけの力で打つか決めて、熱したハガネを槌の下に持っていくんだ」
「ふーん」
「まあ、神業みたいなもんだよ」
「鋳造の方は溶かした金属を型に入れて熱を加えるんだよね。鋼じゃなくて鉄なら、ガラスと同じくらいの温度でできると思うんだ。そこから始めるつもりだよ。
鋏で難しいのは、同じ形に作った2枚の刃をつなぐ穴をきちんと合うように開けて、固すぎず弱すぎず部品でつなぐところなんだろうなと思うけど、俺はそこはできると思う」
「あー、よくわからんけど、おまえがそう言うならそうなんだろう」
「アッキー、気を使ってくれてる? 礼を言っておくよ、ありがとう」
思えば、こちらに来てから、やたらに「ありがとう」というようになった。それは他人同士が同じ家で暮らすための必須の技術のようなものだ。
参考までに:日本でプロ用の洋ばさみを買うと、特殊鋼製で3万円ほどから。鋼なら2万円程度。プロ向けの刃物を扱う老舗に行って確認してきました
高いと思うでしょうが、現在でも機械だけではできないものみたいでして
明治の頃は、刀匠が一丁ずつ叩いて造っていて、うーんと高価なものだったらしいです
裁縫の師匠や、母親から一人前になったとして受け継いだり、嫁入り道具として贈られたりしたそうです
砥ぎは現在もすばらしい技術で、切れにくくなった洋裁鋏も砥ぎに出せば何度でも“生まれ変わる”感じ




