19.ノーラとマッサの物語
ご理解いただいているとは思いますが、念のため
野中正則は、オタクです。しかも実力が伴う特級の若手オタク職人
ガンバッテ クダサイ
ノーラはその日も薬師ギルドに薬を納め、夕食の材料を買って帰宅してきた。製薬は午前中、午後は共有部分の掃除をしたり、夕食の下ごしらえをしたり。余裕のある時間を過ごしている。5人の血縁関係にないほぼ同年齢の男女が、小さな家で共同生活をしているのだ。少なくともひとりは気持ちに余裕が持てる状態でなくては立ちいかない。
ほぼ一日家にいるノーラに家事の負担がかかってくるのもまた避けられないことだ。サキが常に警告を出して、洗濯しろ、食後の洗い物は当番制だ、冒険者仕事がない日は料理を分担しろ、と言い続けている。カーテンやシーツは安い布を買ってきて服飾を職業にするはずだった3人が手縫いで作った。衣服の繕いも彼らが引き受ける。
このバランス感覚のおかげで、5人の共同生活は続けられていると言っていい。
転移してきてからまだ1年も経っていないというのに、日本は遠くなった。父母や兄妹はどうしているかと考えることもある。だが、何を思ってもどうにもなりはしない。白い部屋でもらった精神耐性が効いているのだろう、家族について考える時も、いつか家に帰る日が来たら、ここ・ワインズデイル王国での生活を、まるで今家族について懐かしく思い出しているのと同じように懐かしく思い出すのだろう、と落ち着いて考えることができている。
マズーラに転移した5人は、王都転移者にマズーラ・チームとかマズーラ組と認識されるようになった。ポイント交換のために何人もの王都組がマズーラを訪れている。王都エインズと旧王都マズーラ間は人の往来も多く、乗合馬車が日に何便もある。徒歩でも1日でたどり着ける距離だ。
転移してきたのは全員日本人で、ようやく日常生活がまともに送れるようになって、周りを見る余裕が出始めたところだ。
カーン・シブヤからは、「今のところ病気になったものも死亡した者もいない。マズーラにもうひとり来たと聞いたが、今どこにいるか誰も知らない。あとは南の辺境に2人と3人。これは孔明が直接確認した。最後のひとりが不明だ」と書いた手紙が届いた。
郵便制度はないが、ポイント交換に来る王都チームのメンバーが運んでくれる。
その日、いつもより少し遅めに帰宅したマッサはかなり深刻な顔をしていた。
夕食時にはフォッシャーズも帰宅していた。迷宮に潜ったのではなく、ギルドから全チームに課せられている街道の安全確保巡回に出ていた。トラブルもなく義務を果たし、ぬるいお湯で体を洗って食卓に集まった。
「マッサ、なんかあったのか」
アッキーが、ここは自分が適任かなと、質問を引き受ける。
「あー、うん。鍛冶屋に通うのやめるかも」
「ん? 何があった?」
マッサは木製の二股フォークを木の皿に置いた。
「鍛冶場のおやっさんから、婿にこないかと言われた」
うーん。全員唸り声しか出ない。
マッサは砥ぎ直しだけでなく研師としても誠実で確かな仕事ぶりを見せ、他の鍛冶屋からも難しい砥ぎを頼まれるほどになっていた。通っている鍛冶屋はマズーラの職人街では大きな方だ。鍛冶屋はガラス・鍛冶ギルドに所属しており、分担して街長であるマズーラ伯爵の求める武器・防具を納めている。
「正直に言うけど、俺はこっちの女性と結婚する気は全然ない」
「そうか」
「わかる気がする」
これはマリ。
「結婚した後帰れることになったら、目も当てらんないもん」
「あ、そういうことね」
なるほど、と全員が納得する。
日本からこのワインズデイル王国に飛ばされた87人は、まだ帰ることができるかどうかわからない。
所在不明の2人を除く85人全員が独身だ。
この地での生活が長くなれば、ここで出会った人と愛を育み、子を得る日も来るかもしれない。
だが、日本に帰還できることになったとしたら。この国で生まれて育った連れ合いを残して帰ることができるか、あるいは、故郷よりワインズデイルで手にした縁を優先して、帰っていく人々を見送り、残ることができるか。
「いや、そうじゃないんだ。俺は……」
マッサは口籠った。言い出しかけてやめる。4人は黙って待っていた。
「怒るな、と言っても無理だと思う」
ふたたび話し始めた時は、苦々しい口調に変わっていた。
俺は頭に血が上って殴りかけた、右腕を腹に抱え込んでなんとか凌いだけどな、と続ける。
「親父さんは、おまえは腕のいい職人で立派に一人前だ、あんな生活を続けちゃなんねえ、おまえの国ではどうかしらねぇが、ここじゃあ女房はひとりだ、って。あそこから抜けて、ここでまっとうに暮らしちゃどうだ、って言ったんだ」
は? となる4人。何を言われたのかよくわからなかったが、やがてサキが気付いた。
「マッサ、明日とは言わないわ、今日辞めて来なさい」
顔色が変わっている。
5人が借りることができたのは、夫婦と子供ふたりが暮らしていたという敷地50坪ほど、建坪22三坪ほどの小さな木造一戸建てだ。(*1坪はおよそ2畳)
1階は入り口から入ってすぐに25畳ほどのダイニングキッチン。ここでほぼすべての生活が営まれるのがこの都市の庶民生活だ。家族が集まり、母親は縫物、父親は子供に字を教える、団らんと食事の場だ。近所の奥さんとお茶するのも、小さい子どもが友達と遊ぶのも、仕事関係の話も全部ここだ。
奥には夫婦の寝室があり、ダブルベッドが残されていた。体を洗うのと洗濯するのが同じ場所で、大きな桶が置いてあるだけの石の床が4畳くらい、トイレは壁で囲まれているだけマシで、使用後はバケツに汲み置きの水で流す。王都だった時に整備された下水道が、外壁の東を流れる川の川下へと流し込まれているのがほんとうにありがたい。
トイレの奥の斜めに掛けられた梯子を上ると屋根裏部屋だ。元は子どもたちの部屋だったらしい。三角屋根が掛かっているから、中央部分は高さ2mほどだが、端は50cmあるかどうか。そこにサキとノーラのマジックバッグを便利に使って、3台のベッドを入れた。カーテンで3つに仕切って、サキ、マリ、ノーラの荷物置き場兼寝場所として使っている。
アッキーとマッサは、夫婦の寝室のダブルベッドをマジックバッグに収納してもらい、2台のシングルベッドを入れて寝起きしている。
ノーラが製薬をするスペースはなく、小さな庭の井戸の横にあった2畳半ほどの物置兼道具入れを掃除して、製薬道具を置いた。そこで薬草類を干し、水薬(ポーション類)、丸薬、塗り薬を作っている。狭い庭に薬草を移植して少しずつ薬師の庭らしくなり始めている。
どこをどう見たら、2人の男が3人の女を共有しているように見えるのか。イミフだが、異国からの来訪者が帰る方法もなく固まって暮らしていると、面白おかしく話を作る人もいるのだろう。
マッサは次の日、オヤジさんに穏やかに話をして、自分は独立することにしたと告げて鍛冶場をやめてきた。
念のために言っておきますけど、とマッサはきちんと言い残した。
「俺たちは、自分の国でお祭りに参加しているときに、突然魔術の暴走に巻き込まれてこの国に飛ばされてきました。遊びに行っていた時だったから、誰もたいして金は持っていなくて、入街税の銀貨1枚を払うことができなくて借金した人だっています」
いや、本当は夢中でポイント交換しまくって、金貨を持っていないと後が大変だってのがアタマからトンでしまっただけだったのだが、それはそれだ。
「俺らはみんな必死で生きているし、帰る方法を探しています。
結婚するとか、恋人になるとか、考える余裕もないんです。
仮に親父さんのお孫さんと結婚して、婿にしてもらうとします、それで、もし国に帰れるようになった時、俺はひとりでここに残る自信がありません。
気にしていただいてありがたいです、短い間でしたが、どうもありがとうございました」
鍛冶場のオヤジは、マッサにほのかな思いを抱いていた孫娘に泣かれ、孫娘の母親からはこう言われた。
「おとうさん、腕のいい職人さんを安く囲い込もうと思っていましたよね。うちの娘の気持ちを台無しにしてくれたこと、忘れませんから」
息子の嫁にがっちり釘を刺されたオヤジは、苦い顔でマズイ酒を舐めた。




