第9話 癒し系と言われてもよくわからない
次の日。
朝からスマホに通知が来ていた。
三人のグループチャットだ。
最初に送ってきたのは蓮だった。
『夜野まこと、たぶん方向性見えたな』
続けて、陽翔。
『癒し系だな!』
俺はしばらく画面を見た。
癒し系。
聞いたことはある。
でも、自分に向けられる言葉としては、かなり実感がなかった。
『癒し系って、俺が?』
『配信中は僕だろ』
『今は配信中じゃないよ』
『そういう冷静な返しは春野だな』
蓮の返事のあとに、陽翔が勢いよく送ってくる。
『春野の配信、聞いてると落ち着くぞ! 昨日も寝たし!』
『陽翔は部活で疲れてただけだと思うよ』
『でも寝やすかった!』
『それはよかったね』
『ほら癒し系!』
そう言われても、やっぱりよくわからない。
俺は誰かを癒そうと思って話しているわけではない。来てくれた人に、できるだけちゃんと返しているだけだ。
そのつもりで返信すると、蓮からすぐに返ってきた。
『その「ちゃんと返すだけ」ができるやつ、そんなに多くないんだよ』
『そうなの?』
『少なくとも、お前みたいに疲れてるなら寝ていいって毎回言う配信者は多くない』
『見てくれるのはありがたいけど、眠い時は寝た方がいいと思うよ』
『はい癒し系』
『それは癒し系なのかな』
『本人が理解してないのも含めて癒し系』
よくわからない。
ただ、悪い意味ではないのだと思う。
スマホを置いて、俺は洗濯物を取り込んだ。
母さんは今日は遅番で、昼前まで家にいた。
リビングでは、仕事に行く前の母さんが髪をまとめている。
その動きが、やっぱり少しきれいだった。
鏡の前で髪を留めるだけなのに、慣れた動きに見える。母さんはそういうところがある。
「真琴、洗濯物ありがとう」
「うん。今日はよく乾いてたよ」
「助かる。夏はそこだけはいいわね」
「暑すぎるのは困るけど、乾くのは早いよね」
母さんは鏡越しに俺を見て、少し笑った。
「今日も作業するの?」
「夜に少しだけするつもりだよ」
「最近、ちゃんと続いてるね」
「まだ三日くらいだけどね」
「三日続けば立派よ」
「そうかな」
「そうだよ。私は三日坊主にも届かないことあるもの」
「母さんは仕事をずっと続けてるから、それだけですごいと思うよ」
母さんは少し照れたように言って、鞄を持った。
「じゃあ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい。帰り遅くなるんだよね?」
「うん。でも夜勤じゃないから、そこまで遅くはならないよ」
「わかった。帰ってきたらすぐ食べられるようにしておくね」
「ありがとう。無理しなくていいからね」
「大丈夫だよ。俺ができる範囲でやるだけだから」
母さんは一度だけ俺を見て、やわらかく笑った。
「そういうところ、本当に変わらないね」
「変わってないかな」
「うん。いい意味でね」
母さんが家を出て、玄関のドアが閉まる。
俺はその音を聞いてから、少しだけ考えた。
変わらない。
母さんも、蓮も、陽翔も、似たようなことを言う。
俺はただ、できる範囲のことをしているだけなのだけれど。
夜になって、配信を始めた。
タイトルは、
――今日も夜に少しだけ話します。
同時視聴者数は、最初から一だった。
少ししてコメントが流れる。
『こんばんは』
昨日も来てくれた人だ。
「こんばんは。今日も来てくれてありがとうございます」
『今日も落ち着きに来ました』
「落ち着きに来た、という表現は少し不思議ですね。でも、ここで少し休めるならうれしいです」
『癒し系ですね』
また、その言葉だった。
俺は少し迷ってから、正直に言った。
「癒し系と言われても、実はあまり実感がないです」
『そうなんですか?』
「はい。僕は、来てくれた人に普通に返しているだけなので」
『それが癒しなんだと思います』
「そういうものなんですね」
『たぶん』
コメント欄に、蓮が現れた。
『本人はわかってません』
「こんばんは。来てくれてありがとうございます。勝手に説明しなくても大丈夫ですよ」
『事実だからな』
『友達さんですか?』
「はい。配信を始める時に、いろいろ教えてくれた友人です」
『いい友達ですね』
「はい。かなり助けてもらっています」
蓮のコメントが一瞬止まった。
それから、少し遅れて流れる。
『急に褒めるな』
「褒めたというか、本当のことを言っただけですよ」
『そういうとこだぞ』
また言われた。
その直後、陽翔も来た。
『癒し系って話してるのか!?』
「こんばんは。は……じゃなくて、来てくれてありがとうございます」
『今ちょっと危なかったな!』
「気をつけます」
『夜野は癒し系だぞ!』
「それすぐそう言うよね」
『だって俺、昨日寝たからな!』
「眠れることはいいことだと思うけど、それだけで癒し系なのかな」
『いいんだよ! 疲れてる時に聞けるってすげぇだろ!』
陽翔のコメントは、いつも真っ直ぐだ。
深い説明はない。でも、変に飾ってもいない。
俺は少しだけ笑った。
「そう言ってもらえるなら、うれしいです」
『ほら癒し系』
蓮がすぐに打ってくる。
「それは、もう何を言っても癒し系になる流れでは?」
『気づいたか』
『気づいても癒し系です』
昨日から来てくれている人まで、そんなコメントをしてきた。
コメント欄に、少しだけ笑いの空気が生まれる。
文字だけなのに、少しにぎやかだった。
その日は、いつもより少しだけ人が増えた。
同時視聴者数は最大五人。
初めて見る名前も二つあった。
『初見です。声落ち着きますね』
『作業しながら聞いてます』
俺はそのたびに、できるだけ丁寧に返した。
「初見さん、来てくれてありがとうございます。作業中なら、コメントは無理しなくて大丈夫ですよ」
『作業中コメントしなくていいって言う配信者、珍しい』
「作業が止まったら大変ですから」
『やさしい』
「作業を応援しているだけですよ」
『それがやさしい』
どう返せばいいのか、少し迷う。
やさしい、と言われるのはうれしい。
でも、そんなに特別なことを言ったつもりはなかった。
「ありがとうございます。そう言ってもらえるなら、これからもできるだけそうします」
『癒し系だ』
『癒し系ですね』
『完全に癒し系』
コメント欄が、なぜか癒し系でまとまっていく。
蓮がすかさず打った。
『決定しました』
「決定するんですか?」
『異議なし!』
陽翔も乗る。
初見の人までコメントした。
『異議なしです』
「えっと……じゃあ、そういうことにしておきます。でも、僕自身はまだよくわかっていないので、変に期待しすぎないでもらえると助かります」
『期待しすぎない癒し系』
『謙虚系癒し』
『夜にちょうどいい』
コメントが少しずつ流れる。
速くはない。
追えないほどでもない。
だから、今は一つひとつ読める。
俺は、それがありがたかった。
配信の終わり頃。
昨日から来てくれている人が、コメントした。
『ここ、夜に来ると落ち着きます』
俺は少しだけ、言葉を止めた。
ここ。
そう言ってもらえるほど、まだ何かを作ったつもりはない。
でも、その人にとっては、もう少しだけ意味のある場所になっているのかもしれない。
「そう言ってもらえるのは、すごくうれしいです。まだ始めたばかりですけど、夜に少し落ち着ける場所にできたらいいなと思っています」
『もうなってます』
そのコメントを見て、胸の奥が少し温かくなった。
「ありがとうございます。そう言ってもらえるなら、明日も少しだけ開けようと思います」
配信を終える。
最後の挨拶は、少しずつ慣れてきた。
「今日も来てくれてありがとうございました。疲れている人は、あまり夜更かししすぎないでくださいね。おつまことです」
コメント欄に、おつまこと、が並ぶ。
まだ数は少ない。
でも、昨日よりは多かった。
配信を終了したあと、俺はしばらく画面を見ていた。
癒し系。
やっぱりよくわからない。
でも、誰かがここで少し落ち着けるなら。
その言葉を、無理に否定しなくてもいいのかもしれない。
スマホが震えた。
グループチャットに、蓮からメッセージが来ていた。
『癒し系VTuber、誕生だな』
続けて陽翔。
『春野すげぇ!』
俺は少し考えてから、返信した。
『まだよくわからないけど、来てくれる人が少し落ち着けるなら、それはうれしいよ』
蓮の返信は、短かった。
『それだよ』
陽翔の返信は、もっと真っ直ぐだった。
『だから春野はすげぇんだよ!』
俺にはまだわからないけど、癒し系Vtuberになったらしい。
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