第8話 コメントが少ないから覚えられる
三回目の配信前。
俺はノートを開いて、昨日の配信で来てくれた人のことを書いていた。
名前。
話した内容。
疲れていると言っていたこと。
寝落ちしてもいいか聞いてくれたこと。
個人情報を書いているわけではない。
でも、来てくれた人が何を話していたかくらいは、覚えておきたかった。
次に来てくれるかはわからない。
それでも、もし来てくれた時に、昨日のことを全部忘れていたら少し寂しい気がした。
スマホが震える。
三人のグループチャットだった。
『今日もやるのか?』
蓮からだ。
『少しだけやるよ。昨日来てくれた人が、また来てくれるかもしれないし』
『もうリスナー管理始めてるのか』
『管理っていうほどじゃないよ。昨日話したことを忘れないようにメモしてるだけ』
『それがもう普通じゃないんだよな』
続けて、陽翔からも来た。
『春野、ちゃんと覚えてるのすげぇな!』
『コメントが少ないから覚えられるだけだと思うよ』
『それでもすげぇだろ! 俺、昨日の晩飯もたまに忘れるぞ!』
『それは陽翔が疲れてるだけだと思うよ。部活のあとなら仕方ないんじゃないかな』
『春野、俺にも優しい!』
『優しいというか、事実だと思うよ』
蓮から、ため息をついていそうなスタンプが送られてきた。
『今日もそういう感じでやれ。たぶん刺さる』
『刺さるって、どういう意味?』
『いいからそのままでいろ』
『わかった。そのままやってみるよ』
俺はスマホを置いて、配信ソフトを開いた。
今日の配信タイトルは、
――眠る前に少しだけ話します。
派手さはない。
でも、夜に開くなら、これくらいでいい気がした。
母さんはリビングで洗濯物を畳んでいた。
「真琴、今日はもう部屋?」
「うん。少し作業してくるね」
「最近その作業、多いね」
「夏休みの間に、少し形にできたらいいなと思って」
「無理してない?」
「大丈夫だよ。遅くなりすぎないようにするね」
「ならいいけど、眠くなったらちゃんと寝なさいよ」
「うん。母さんも畳むの途中で眠くなったら、残しておいていいからね」
「それはそれで落ち着かないのよ」
母さんは苦笑した。
俺はそれ以上は言わず、部屋に戻った。
開始ボタンを押す。
同時視聴者数はゼロ。
けれど、もう初日ほど緊張はしなかった。
「こんばんは。夜野まことです。今日も、眠る前に少しだけ話していこうと思います」
最初の数分は、誰も来なかった。
俺は麦茶の話をした。
洗濯物がよく乾いた話をした。
暑い日に外へ出ると、思ったより体力を持っていかれる話もした。
自分でも、かなり生活感のある配信だと思う。
「こういう話ばかりだと、地味かもしれませんね。でも、夜なので、あまり騒がしくない方がいい日もあると思います」
そう言った時、同時視聴者数が一になった。
少しして、コメントが流れる。
『こんばんは。昨日の初見です』
昨日来てくれた人だった。
俺は少しだけ姿勢を正した。
「こんばんは。昨日も来てくれた方ですよね。また来てくれてありがとうございます」
『覚えてくれてたの、ちょっと嬉しいです』
「それならよかったです。コメントがまだ少ないので、来てくれた人のことは覚えやすいんです」
『理由が正直ですね』
「すみません。かっこいい理由じゃなくて」
『でも、そういうところ好きです』
好き。
その言葉に、少しだけ戸惑った。
たぶん、深い意味ではない。
配信の雰囲気が好き、ということだと思う。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、続ける理由になります」
『昨日、あの後ちょっと眠れました』
「それはよかったです。ちゃんと眠れたなら、昨日の配信をした意味があった気がします」
『配信者さんがそう言うの、珍しい気がします』
「珍しいんですか?」
『普通は最後まで見てほしいものなのかなって』
「見てくれるのはもちろんうれしいです。でも、眠れた方がいい時もあると思います。特に疲れている時は、眠れるなら眠った方がいいですよ」
コメントがまた少し止まる。
俺は、言いすぎただろうかと思った。
でも、返ってきたコメントは穏やかだった。
『やっぱり落ち着きますね』
「落ち着くならよかったです。今日は、無理にコメントしなくても大丈夫ですからね」
『でも少し話したいです』
「もちろんです。話したい時は、話してもらえるとうれしいです」
そんなやり取りをしていると、蓮が来た。
『来た。常連できてるじゃん』
「こんばんは。来てくれてありがとうございます」
『常連って言っていいんですかね』
昨日の初見さんがコメントする。
「二回来てくれたら、俺としてはかなりありがたいです」
言ってから、すぐに気づく。
「あ、僕としては、ですね。すみません」
『一人称ブレたな』
蓮がすぐに拾った。
「配信中は僕で話そうと思っているんですけど、まだ慣れていなくて」
『僕で話すんですか?』
「はい。配信中は、少しやわらかく話せた方がいいかなと思って」
『普段は違うんですか?』
「普段は俺です。家とか学校では、その方が自然なので」
『使い分けてるのいいですね』
「まだ使い分けられていないので、少しずつ慣れていきます」
『真面目』
『こいつは真面目なんです』
蓮がまた代わりに答えた。
「代わりに答えなくても大丈夫ですよ」
『すまん。二回目』
「いえ、来てくれて助かっています」
コメント欄に、笑っているような空気が流れた気がした。
文字だけなのに、不思議だった。
少し遅れて、陽翔も来た。
『寝る前に来た!』
「こんばんは。今日も部活だったんですよね。お疲れさまです」
『おう! 疲れた!』
「それなら、眠くなったらちゃんと寝てくださいね」
『夜野の声聞いてるとほんとに眠くなるんだよな!』
『それ、褒めてるのか?』
蓮が突っ込む。
『褒めてるぞ!』
「眠くなる声って言われるのは、少し不思議ですけど、疲れている時に眠れるなら悪くないと思います」
『こういうところ』
蓮が短くコメントした。
俺は意味がよくわからなかったけれど、深く聞くと配信が止まりそうなので流すことにした。
その日は四十分ほど話した。
昨日来てくれた人は、最後までいてくれた。
陽翔は途中で本当に寝落ちしたのか、コメントが止まった。
蓮は「寝たな」とだけ打った。
配信を終える前に、昨日の初見さんがコメントした。
『今日も来てよかったです』
俺は少しだけ、言葉を選んだ。
「そう思ってもらえるなら、僕もうれしいです。来てくれてありがとうございました。明日が少しでも楽な日になるといいですね」
『ありがとうございます。おつまことです』
『おつまこと』
蓮も続く。
陽翔からは、しばらくしてから遅れてコメントが流れた。
『おつまこと! 寝てた!』
「起きたんですね。無理しないで、今日はそのまま寝てください」
『寝る!』
「はい。おやすみなさい」
配信を終了する。
部屋の中が静かになる。
俺はノートを開き、今日のところに一つだけ書き足した。
昨日の初見さん、また来てくれた。
少し眠れたらしい。
今日も来てよかったと言ってくれた。
名前も顔も知らない。
でも、画面の向こうにいるその人が、昨日より少しでも休めていたなら。
俺は、それだけで続ける理由になると思った。




