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第10話 夜の相談コメント

 それから二週間。


 コツコツと配信を続け、夜野まことのチャンネル登録者数は五十人になっていた。

 多いのか少ないのかは、正直まだよくわからない。


 蓮に言わせると、


『始めたばかりの個人勢なら、ちゃんと人が来てる方だと思うぞ』


 らしい。

 陽翔はもっと単純で、


『五十人って、クラスより多いじゃん! 春野すげぇ!』


 と言っていた。

 言われてみれば、たしかにクラスより多い。

 そう考えると、少し不思議だった。


 画面の向こうに、俺の知らない人が五十人いる。

 その人たちが、夜野まことという名前を見つけて、登録してくれた。


 最初は蓮と陽翔しかいなかった配信も、今は常連らしい人が何人か来てくれるようになった。


 もちろん、大きな配信ではない。

 同時に見てくれる人は、だいたい五人から十人くらい。

 コメントも、ゆっくり流れる。

 でも、俺にはそれくらいがちょうどよかった。


 コメントを読める。

 返事ができる。

 前の話も、なんとなく覚えていられる。


 最近は、蓮と陽翔もあまりコメントしなくなった。

 蓮は、


『身内感が強くなりすぎると、初見が入りにくいからな』


 と言って、裏で見ているだけの日が増えた。

 陽翔は、


『コメントする前に寝落ちしてる!』


 と言っていた。

 部活が大変なんだと思う。


 だから今の配信は、ほとんど俺と、少しずつ来てくれるようになったリスナーさんたちで回っている。




 夜。


 俺は配信ソフトを開いた。

 今日のタイトルは、いつもと同じようなものだ。


 ――眠る前に、少しだけ話します。


 派手な企画はない。

 ゲームもしない。

 歌うわけでもない。


 ただ、その日にあったことを少し話して、コメントが来たら返す。


 それだけだ。

 それでも、来てくれる人がいる。

 なら、今日もちゃんと開けようと思った。


 開始ボタンを押す。


「こんばんは。夜野まことです。今日も、眠る前に少しだけ話していこうと思います」


 すぐにコメントが流れた。


『こんばんは』

『今日も来ました』

『作業しながら聞きます』


「こんばんは。来てくれてありがとうございます。作業中の方は、無理にコメントしなくて大丈夫ですからね。手が止まらない範囲で聞いてもらえたらうれしいです」


『今日も優しい』


「優しいというより、作業が進んだ方がいいと思うので」


『それが優しい』


 最近、こういう流れにも少しだけ慣れてきた。

 否定しすぎると、逆にコメントが増える。

 だから最近は、無理に否定しないようにしている。


「今日は、昼間に少し買い物へ行ったんですけど、外がかなり暑かったですね。夏休みって、外に出ないと曜日の感覚がなくなります」


『わかる』

『今日ずっと家にいた』

『外出ただけでえらい』


「外に出ただけでえらい日もありますよね。暑い日は、それだけで体力を使うので」


『まことくん、肯定が早い』


「暑さには勝てないですから」


 コメント欄がゆっくり流れる。


 この速度なら、ちゃんと読める。

 誰かが置いていった言葉を、雑に流さずに済む。

 それが少し安心する。



 しばらく、夏休みの話をした。


 宿題が終わらない人。

 仕事が忙しい人。

 夜になっても部屋が暑い人。

 眠いのにスマホを見てしまう人。


 それぞれのコメントに、できるだけ返していく。


「宿題は、少しだけでも進んだら十分だと思いますよ。全部やろうとすると嫌になる日もあるので」


『社会人にも宿題ある?』


「仕事をしている方なら、持ち帰りの作業とかがあるのかもしれないですね。僕はまだ学生なので、偉そうなことは言えないですけど」


『偉そうじゃないよ』

『学生なのに落ち着いてる』


「落ち着いているかはわからないですけど、そう聞こえるならよかったです」


 その時だった。

 新しいコメントが流れた。


『初見です。少しだけ聞いてもいいですか』


 初見さんだ。

 俺はすぐに画面を見る。


「こんばんは。初見さん、来てくれてありがとうございます。もちろんです。少しだけでも、聞いていってもらえたらうれしいです」


 コメント欄に、常連さんたちも反応する。


『初見さんこんばんは』

『ここ落ち着くよ』

『寝落ち可です』


「寝落ち可って、僕が言う前に言われましたね」


『もうルールみたいになってる』


「眠い時は寝ても大丈夫ですからね。そこは本当にそう思っています」


 初見さんのコメントが、少し遅れて流れた。


『ありがとうございます。こういうところ、初めてで少し緊張してました』


「そうだったんですね。コメントしてくれてありがとうございます。初めての場所にコメントするのは、少し緊張しますよね」


『はい』


「無理に話さなくても大丈夫ですよ。見ているだけでも、途中で閉じても大丈夫です。来てくれたことだけで、僕はうれしいので」


 そのあと、少し間が空いた。

 コメント欄はゆっくり動いている。


 でも、俺はその初見さんのコメントが少し気になっていた。

 文面が、どこか慎重だった。

 ただの初見だから、というだけではない気がした。



 しばらくして、その人がもう一度コメントした。


『変なことを聞いてもいいですか』


 俺はマイクの前で、少しだけ姿勢を正した。


「答えられることなら、もちろん大丈夫です。ただ、僕で答えられないこともあると思うので、その時は無理に答えたふりはしないようにしますね」


『好きで始めたことなのに、しんどくなるのって、変ですか』


 コメント欄の流れが、少しだけ止まった。

 さっきまで宿題や暑さの話をしていた空気が、静かに変わる。


 俺もすぐには返さなかった。

 適当なことを言いたくなかったからだ。


 好きで始めたこと。

 それなのに、しんどくなる。


 たぶん、この人はそれをずっと考えていたのだと思う。

 俺は少しだけ息を吸ってから、ゆっくり話した。


「変ではないと思います」


 まず、それだけを言った。


 それから、言葉を選ぶ。


「好きで始めたことでも、疲れる時はあると思います。好きだから疲れない、というわけではないんじゃないかなって」


 コメントは流れない。

 常連さんたちも、黙って聞いているようだった。


「たとえば、楽しいことでも、ずっと続けていたら体は疲れますよね。人と話すのが好きでも、ずっと話していたら休みたくなることはあると思います」


 俺は画面の中の立ち絵を見た。


 夜野まこと。


 今話しているのは、俺であって、俺だけではない。

 だからこそ、いつもより少しだけ丁寧に言葉を置きたかった。


「だから、好きなのにしんどいと思うこと自体は、変じゃないと思います」


 初見さんのコメントが流れる。


『でも、周りは楽しそうにしてるので』


 その一文で、少しだけ胸が詰まった。


 周りは楽しそうにしている。

 だから、自分だけがしんどいと思っている気がする。

 そういうことなのだろうか。


「周りが楽しそうに見えると、自分だけがだめなのかなって思う時はあるかもしれませんね」


『はい』


「でも、楽しそうに見える人が、本当にずっと楽しいかはわからないと思います」


 言いながら、母さんの顔が浮かんだ。


 夜勤明けで帰ってきても、明るくただいまと言う母さん。

 疲れているのに、心配させないように笑う母さん。

 人前で笑っていることと、本当に疲れていないことは、たぶん別だ。


「明るくしている人が、疲れていないとは限らないと思うんです。笑っているから平気、というわけでもないと思います」


 コメント欄は静かだった。

 俺は続ける。


「だから、しんどいと思ったなら、少し休んでもいいんじゃないかなと思います。好きなことを続けたいなら、なおさら休む時間は必要だと思うので」


『休んだら、置いていかれそうで怖いです』


「それは、怖いですよね」


 俺はすぐに否定しなかった。


 怖くないです、とは言えない。

 置いていかれることがないとも言えない。


 その人のいる場所が、どんな場所なのか俺にはわからないからだ。


「休んでも大丈夫です、って簡単に言えたらいいんですけど。実際には、休むのが怖い場所もありますよね」


『あります』


「それなら、いきなり全部休まなくてもいいと思います。ほんの少しだけ、息を抜ける時間を作るところからでもいいんじゃないかな」


『息を抜ける時間』


「はい。たとえば、今日ここに来てくれた時間みたいに」


 言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。

 自分の配信をそういう場所だと言うのは、大げさかもしれない。

 でも、今はそう言った方がいい気がした。


「ここが役に立つかはわからないですけど、少なくとも今は、無理に明るくしなくていいと思います。コメントも、元気なふりをしなくて大丈夫です」



 初見さんからの返事は、しばらく来なかった。

 俺は、急かさず待った。

 コメント欄の常連さんたちも、誰も茶化さなかった。



 やがて、短いコメントが流れた。


『ありがとうございます』


「こちらこそ、話してくれてありがとうございます」


『少し、楽になりました』


 その言葉を見て、俺は小さく息を吐いた。



「それなら、よかったです」


 少しだけ沈黙があった。

 でも、嫌な沈黙ではなかった。


 夜の部屋に、静かな時間が流れているような感じだった。


「今日は、もう無理に話さなくても大丈夫ですよ。疲れているなら、画面を閉じてもいいですし、このまま聞いていても大丈夫です」


『もう少しだけ聞いてます』


「わかりました。じゃあ、もう少しだけ、静かに話しますね」


 それから俺は、いつもより少しゆっくり話した。


 麦茶の話。

 夏の夜の話。

 眠る前に窓を少し開けると、外の音が聞こえる話。


 特別な話はしなかった。

 たぶん、それでよかった。



 配信を終える時間になって、俺は画面を見る。


「そろそろ今日は終わろうと思います。来てくれてありがとうございました。疲れている人は、今日は少しでも休めるといいですね」


 コメント欄に、おつまこと、が並ぶ。

 その中に、さっきの初見さんのコメントもあった。


『おつまことです。また来てもいいですか』


「もちろんです。来たい時に来てください。来られない日があっても大丈夫ですからね」


『ありがとうございます』


 配信を終了する。

 部屋が静かになった。



 俺はしばらく、画面を見ていた。


 好きで始めたことなのに、しんどくなる。


 その言葉が、頭に残っている。



 誰だったのかはわからない。

 何をしている人なのかもわからない。


 でも、少し楽になったと言ってくれた。

 それなら、今日の配信を開けてよかったと思う。


 スマホが震えた。

 グループチャットに、蓮からメッセージが来ていた。


『今日の返し、よかったと思う』


 陽翔からもすぐに来る。


『春野、やっぱすげぇな!』


 俺は少し考えてから、返信した。


『俺にできる範囲で返しただけだよ。』


 蓮からの返事は短かった。


『それができるのがすごいんだよ』


 陽翔も続ける。


『そう! 春野はそれがすげぇんだよ!』



 あの人になにかできた実感はまだない。

 でも、あの人がまた来てくれた時に、少しでも休める場所であれたらいいなと思った。

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