第6話 初配信、同接ゼロ
夜。
母さんが仕事に出てから、家の中は静かになった。
夕飯の片づけをして、洗濯物を畳んで、明日の朝に出すごみを玄関の横にまとめる。
それから俺は、自分の部屋に戻った。
机の上には、ノートパソコンと、繋がった安いイヤホンマイク。
そして画面の中には「夜野まこと」のアカウント。
まだ誰にも知られていない名前だ。
俺は椅子に座って、深呼吸した。
「……やること自体は、たぶん難しくないんだよね」
そう言ってみたけれど、声は少しだけ硬かった。
配信ソフトを開く。
立ち絵を表示する。
マイクの音量を確認する。
画面に映してはいけないものがないか確認する。
蓮に言われた通り、部屋の背景は出さない。
学校のプリントも片づけた。机の上にあった名前入りのノートも、引き出しにしまった。
念のため、もう一度チェックする。
すると、スマホが震えた。
三人のグループチャットだ。
『準備どうだ?』
蓮からだった。
『一応できたと思うよ。画面に変なものが映ってないか確認してる』
『えらい。あと通知切っとけ』
『忘れてた。ありがとう』
すぐに通知を切る。
続けて、陽翔からメッセージが来た。
『春野、もう始まるのか!?』
『もう少ししたら始めるよ』
『見に行く!』
『部活で疲れてるんじゃない? 無理しなくて大丈夫だよ』
『疲れてるけど見る!』
『眠くなったら寝ていいからね』
『春野がそれ言うと本当に寝そう!』
陽翔らしい返事だった。
蓮からも続けて来る。
『初配信なんて誰も来ないのが普通だから、そこは気にするなよ』
『わかった。来てくれる人がいなくても、練習だと思って話してみるよ』
『そのメンタルは大事』
『でも、蓮と陽翔は来てくれるんだよね?』
『行く。コメントもする』
『俺も行くぞ!』
『ありがとう。二人がいてくれるなら、少し安心するよ』
送ってから、俺はマイクの位置を直した。
配信タイトルは、蓮に見てもらって決めた。
――はじめまして。夜に少しだけ話します。
地味だとは思う。
でも、今の俺にはこれくらいがちょうどいい。
開始ボタンにカーソルを合わせる。
少しだけ手が止まった。
画面の向こうに誰かがいるかもしれない。
いないかもしれない。
誰も来ないなら、それはそれでいい。
でも、もし誰かが来てくれたら。
その時は、ちゃんと話したい。
「よし」
小さく息を吐いて、俺は配信開始ボタンを押した。
画面に、配信中の表示が出る。
同時視聴者数は、ゼロ。
当たり前だ。
始めたばかりで、誰も知らない配信なのだから。
それでも、少しだけ胸が落ち着かない。
俺はマイクに向かって、ゆっくり話し始めた。
「こんばんは。夜野まことです。今日から、少しだけ配信を始めてみることにしました」
自分の声が、イヤホン越しに少し遅れて聞こえる。
なんだか変な感じだ。
いつもの俺の声なのに、少しだけ違って聞こえる。
「まだ慣れていないので、音量とか聞き取りづらかったらすみません。もし誰か来てくれたら、教えてもらえるとうれしいです」
そう言ってから、画面を見る。
同時視聴者数は、ゼロのままだ。
コメントもない。
俺は少し笑ってしまった。
「誰もいないところで話すのって、思ったより不思議ですね」
もちろん返事はない。
でも、ここで黙ると本当に終わってしまう。
俺は事前にノートに書いておいた話題を見る。
今日したこと。
夏休み初日のこと。
暑かったこと。
麦茶を冷やしておいたこと。
話題として面白いかはわからない。
でも、いきなりすごい話はできない。
「今日は、麦茶を作って冷蔵庫に入れておきました。暑い日は、帰ってきた時に冷たいものがあると少し楽なので」
言ってから、少し考える。
「……こういう話でいいのかな。よくないかもしれないけど、初回なので許してください」
その時、画面の数字が変わった。
同時視聴者数、一。
心臓が少し跳ねる。
すぐにコメントが流れた。
『来たぞ』
蓮だった。
俺はほっと息を吐いた。
「れ……じゃなくて、来てくれてありがとうございます」
危なかった。配信中に本名を出すところだった。
すぐに別のコメントが流れる。
『今ちょっと危なかったな』
「そうですね。気をつけます」
『敬語草』
「配信中なので、少し丁寧に話した方がいいかなと思って」
すると、もう一つコメントが流れた。
『夜野ー! 聞こえてるぞ!』
陽翔だ。
「聞こえているならよかったです。来てくれてありがとうございます」
『なんか春野じゃないみたいだな!』
「配信中は、少し落ち着いて話そうと思っています」
『いつも落ち着いてるだろ』
『こいつは常に落ち着いてる』
二人のコメントが並ぶ。
いつもの会話とほとんど変わらない。
でも、画面を通して見ると少しだけ違って見えた。
「二人とも来てくれて、本当に助かります。誰も来なかったら、今日は壁に向かって三十分話すところでした」
『それはそれで見たい』
『春野なら壁にも優しく話しかけそう』
「壁に話しかける予定はないです」
コメント欄に、蓮の笑っているスタンプが流れた。
陽翔も何かよくわからない勢いのあるスタンプを送ってくる。
俺は少しだけ肩の力が抜けた。
知らない人は来ない。
同時視聴者数は、二。
それでも、画面の向こうに誰かがいてくれるだけで、思ったより話しやすかった。
「今日は初回なので、少しだけ話して終わるつもりです。まだ何をする配信なのかも決まっていないんですけど、夜に少し話せる場所にできたらいいなと思っています」
『プロフィールと同じこと言ってる』
「そうですね。まだ言えることが少ないので」
『正直でいいと思うぞ!』
「ありがとうございます」
陽翔のコメントに、俺は少し笑った。
そのあとも、二人だけのコメントに返しながら、三十分ほど話した。
音量のこと。
立ち絵のこと。
配信画面が寂しいこと。
タイトルが地味なこと。
蓮は細かく指摘してくれた。
陽翔はだいたい全部褒めてくれた。
知らない人は、最後まで来なかった。
でも、不思議と嫌な気持ちはなかった。
「そろそろ終わります。初配信に来てくれてありがとうございました。次も、少しずつ慣れていこうと思います」
『おつ』
『おつまこと!』
「あ、おつまことって言うんですね」
『今作った!』
「そうなんだ。じゃあ、ありがとうございます。おつまこと、です」
配信を終了する。
画面が静かになった。
部屋の中に、急に自分一人の気配が戻ってくる。
俺は椅子にもたれて、息を吐いた。
疲れた。
でも、悪い疲れ方ではなかった。
すぐにグループチャットが動く。
『初配信おつ』
『春野、普通に話せてたぞ!』
『ありがとう。二人が来てくれたからだと思うよ』
『まあ初回としては十分。改善点はあるけど』
『教えてくれると助かる』
『明日まとめる。今日は寝ろ』
『陽翔も寝た方がいいよ。部活だったんだから』
『俺はもう寝る!』
『早いね』
『春野の声聞いてたら眠くなった!』
『それはいいことなのかな』
『いいことだろ!』
陽翔らしい言葉に、俺は少し笑った。
初配信。
同接は、ほぼゼロ。
来てくれたのは友達二人だけ。
でも、画面の向こうに誰かがいてくれることは、思ったよりありがたかった。
次も、ちゃんと話してみよう。
そう思えただけで、今日の配信は十分だった。
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