第5話 夜野まこと
次の日の午前中。
俺はノートに、配信を始めるために必要なものを書き出していた。
立ち絵。
配信ソフト。
マイク。
アカウント。
プロフィール。
名前。
そこで手が止まった。
「名前か……」
考えてみれば、当たり前だ。
VTuberとして活動するなら、名前が必要になる。
本名でやるわけにはいかない。
少なくとも、学校の人にすぐわかるような形は避けた方がいい。
そう思って、いくつかキーワードを書いてみる。
夜。
灯り。
休憩。
雑談。
まこと。
最後の一つを書いてから、少し考える。
まこと。
本名は春野真琴だ。
そのまま使うのは危ない気もする。
でも、まことという名前自体は珍しくない。
漢字を出さなければ、すぐに俺だとわかることもないと思う。
それに、全然違う名前で呼ばれても、反応できる自信があまりなかった。
嘘の名前を使うというより、少しだけ距離を置いた名前にしたい。
そんなことを考えながら、ノートに書く。
夜野まこと。
「……悪くない、かな」
夜に配信することが多くなりそうだし、落ち着いた感じもある。
まこと、という響きも自分に近い。
ただ、自分だけで決めるのは少し不安だった。
俺は蓮と陽翔のグループにメッセージを送る。
『VTuber名って、夜野まことはどう思う?』
蓮の返信は早かった。
『待て』
『だめ?』
『まことって本名寄りじゃねえか』
『漢字は出さないよ』
『そういう問題でもあるし、そういう問題じゃない』
『でも全然違う名前だと、呼ばれた時に反応できないかもしれない』
『そこリアルに不安なのやめろ』
続けて、陽翔からもメッセージが来た。
『夜野まこと、いいじゃん!』
『陽翔はいいと思う?』
『いいと思うぞ! 春野っぽい!』
『春野っぽいのは、少し問題かもしれないね』
『そうなのか?』
『身バレしやすくなるかもしれないから』
『でも春野は春野って感じする名前の方がいいだろ!』
高瀬はいつも通りだった。
深く考えてはいない。でも、真っ直ぐではある。
少し遅れて、蓮から長めのメッセージが来た。
『まあ、名字が夜野なら本名からは離れてるし、名前がひらがなならギリありかもな。完全に別人を演じるより、お前には合ってる気もする』
『そう言ってもらえると安心するよ』
『ただし、学校名とか住んでる地域とかは絶対出すな』
『それは出さないよ』
『母親の職場とか家庭事情も出すな』
『うん。そこはちゃんと気をつける』
『あと、顔の話もするな』
『配信で顔の話をすることある?』
『お前の場合、無自覚に変なこと言いそうで怖い』
『気をつけるね』
『その素直さが怖いんだよな』
蓮は心配してくれているのだと思う。
だから、言われたことはノートに書いておくことにした。
配信で言わないこと。
学校名。
住んでいる場所。
母さんの職場。
家庭の詳しい事情。
顔や本名につながる話。
書いてみると、思ったより多い。
でも、配信というのは誰が見ているかわからないものらしい。
気をつけすぎるくらいで、ちょうどいいのかもしれない。
次に、プロフィールを考える。
夜野まこと。
個人勢。
男子高校生。
雑談中心。
AI生成の立ち絵を使用。
そこまで書いてから、少し手が止まる。
男子高校生、と書いていいのだろうか。
嘘を書くつもりはない。
でも、本当のことを全部書く必要もない。
少し迷って、蓮に聞いてみた。
『プロフィールに男子高校生って書いていいかな』
『書いてもいいけど、年齢はぼかせ』
『高校生くらい、なら?』
『それでいい。あと未成年ってわかるなら、なおさら変なDMには気をつけろ』
『DMも来るの?』
『来る可能性はある』
『知らない人から?』
『知らない人から』
『それは少し怖いね』
『だから設定で制限しとけ』
『わかった。教えてくれてありがとう』
俺は蓮に教わりながら、アカウントの設定を進めた。
公開する情報。
非公開にする情報。
通知。
DM。
コメント欄のルール。
ひとつひとつ確認していくと、意外と時間がかかった。
昼過ぎになって、母さんがリビングに顔を出した。
「真琴、お昼どうする?」
「今から作るよ。焼きそばでいい?」
「いいの? 私が作るよ」
「母さん、昨日も夜勤だったんだから座ってていいよ。野菜も切ってあるし、すぐできるから」
「……本当に助かる」
「そんな大げさなことじゃないよ」
「大げさじゃなくて、助かってるの」
母さんはそう言って、椅子に座った。
俺はフライパンを出して、焼きそばを作る。
特別なものではない、どこにでもある作り方だ。
母さんはテーブルに頬杖をついて、ノートパソコンをちらっと見た。
「さっきから何してたの?」
「昨日言ってた、家でできそうなことの準備だよ」
「難しそう?」
「少し難しいけど、ちゃんと調べれば大丈夫だと思う」
「真琴はそういうの、ちゃんと調べるもんね」
「失敗して母さんに心配かけたくないから」
「もうその時点で心配なんだけどね」
母さんは苦笑した。
でも、強く止める感じではなかった。
焼きそばを皿に盛って、テーブルに置く。
母さんは手を合わせた。
「いただきます」
「どうぞ。味、薄かったら言ってね」
一口食べた母さんが、すぐに目を細める。
「おいしい」
「よかった」
「真琴、将来ひとり暮らししても大丈夫そうね」
「まだ高校一年だよ」
「でも、あっという間よ」
「そうかもしれないけど、まだしばらくは家にいると思うよ」
「それはそれで、うれしいかな」
母さんは少し照れたように笑った。
昼ご飯を食べ終えてから、俺はまたノートパソコンに向かった。
アカウント名を入力する。
夜野まこと。
プロフィールも、短く整える。
夜に少し話す場所です。
疲れている時でも、気軽に来てもらえたらうれしいです。
立ち絵はAI生成イラストを使用しています。
書いてから、自分で読み返す。
少し地味かもしれない。
でも、無理に明るくするより、このくらいの方が自分には合っている気がした。
蓮にスクリーンショットを送る。
『どう?』
返信が来る。
『地味』
『だめかな』
『いや、お前っぽい。あと、疲れてる人向けっぽくていい』
『疲れてる人向けって、そういうジャンルあるの?』
『あるような、ないような。でも需要はある』
『そうなんだね』
『少なくとも俺は、部活帰りの高瀬に聞かせたら寝ると思う』
続けて高瀬からも来た。
『俺は寝ないぞ! たぶん!』
『無理しなくていいよ。疲れてたら寝ても大丈夫だと思う』
『春野、そういうとこだぞ!』
また、そういうところと言われた。
どういうところなのかは、やっぱりよくわからない。でも、二人が悪い意味で言っていないことはわかった。
俺はアカウント画面を見る。
名前は決まった。
立ち絵もある。
プロフィールも作った。
まだ配信はしていない。
それでも、画面の中に「夜野まこと」という名前があるだけで、少しだけ不思議な感じがした。
俺とは少し違う。
でも、まったく別人でもない。
夜に誰かと少し話すための名前。
それくらいが、今の俺にはちょうどいい気がした。
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