第12話 迷子の妹と、同級生のお姉ちゃん
女の子は、泣くのを我慢している顔をしていた。
声をかけた俺を見て、少しだけ肩を揺らす。
知らない男に声をかけられたのだから、怖いと思うのは当然だ。
俺は、できるだけ距離を詰めすぎないようにした。
「急にごめんね。困ってるように見えたから、声をかけただけなんだ」
女の子は何も言わない。
でも、逃げる様子もなかった。
蓮は少し離れたところに立って、周りを見ている。
ちゃんと大人の目がある場所だ。
近くには案内カウンターも見える。
「お父さんかお母さん、近くにいる?」
女の子は、小さく首を横に振った。
「そっか。じゃあ、誰と来たのかな」
「……お姉ちゃん」
かすれた声だった。
やっと出てきたその声に、俺は少しだけ表情をやわらげる。
「お姉ちゃんと来てたんだね」
女の子が小さく頷く。
「はぐれちゃった?」
「うん……」
「それは不安だったよね。ちゃんとここで待っててえらかったと思うよ」
そう言うと、女の子の目に涙が浮かんだ。
俺は慌てず、ゆっくり言った。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんを一緒に探そう。ここは人が多いから、勝手に動くより、案内してくれる人にお願いした方がいいと思う」
女の子は俺と蓮を交互に見た。
まだ少し警戒している。それでいいと思った。
「知らない人についていくのは怖いよね。だから、すぐそこにある案内カウンターに行こう。お店の人に一緒に話してもらえば、お姉ちゃんも見つけやすいと思うよ」
女の子は少し考えてから、小さく頷いた。
「名前、言える?」
「……ひな」
「ひなちゃんだね。俺は春野真琴。こっちは佐伯蓮。お兄さんっていうほど年上じゃないけど、一応高校生だよ」
蓮が少しだけ手を上げる。
「こんにちは。怖かったら、店員さんのところまで一緒に行くだけでいいからな」
ひなちゃんは、蓮にも小さく頷いた。
俺たちは案内カウンターへ向かった。
ひなちゃんは俺の服の裾をつかむか迷ったようだったけれど、結局、小さな手で自分のバッグを抱えたままだった。
その距離感が、少し安心した。
無理に手をつなぐ必要はない。
案内カウンターの店員さんに事情を話すと、すぐに対応してくれた。
「お姉ちゃんのお名前、わかるかな?」
店員さんが優しく聞く。
ひなちゃんは小さく答えた。
「ゆい」
「名字は言える?」
「……しらいし」
白石ゆい。
その名前に、少しだけ引っかかった。
同じクラスに、白石さんという女子がいる。
白石結衣。
でも、よくある名字と名前だ。
同じ人とは限らない。
館内放送で呼んでもらうことになり、俺と蓮はカウンターの近くで待った。
ひなちゃんは椅子に座っている。
さっきよりは落ち着いたようだけれど、まだ手はバッグの紐を握っていた。
「お姉ちゃん、すぐ来てくれると思うよ」
俺が言うと、ひなちゃんは小さく頷く。
「お姉ちゃん、怒るかな」
「怒らないと思うよ。たぶん、すごく心配してると思う」
「でも、ひな、勝手に離れた」
「そうなんだね。でも、ちゃんとここで待てたし、名前も言えたよね。そこはすごいと思うよ」
ひなちゃんは、少しだけ俺を見る。
「……すごい?」
「うん。怖かったのに、ちゃんと話してくれたから」
ひなちゃんの顔が、ほんの少しだけ緩んだ。
蓮が横で、俺をちらっと見た。
何か言いたそうだったけれど、今は何も言わなかった。
待っている間、ひなちゃんは少しずつ話してくれた。
「お姉ちゃん、すごいんだよ」
「そうなんだ」
「勉強できるし、ピアノもできるし、髪もきれい」
「それはすごいね」
「あとね、ひなの宿題見てくれる」
「優しいお姉ちゃんなんだね」
「うん。でも、最近ちょっと疲れてる」
その言葉に、俺は少しだけ目を細めた。
「疲れてるんだ」
「夜にね、スマホで声聞いてる」
「声?」
「男の人の声」
蓮が、横で小さくむせた。
俺は蓮を見ないようにしながら、ひなちゃんに聞く。
「その声を聞いてると、お姉ちゃんは落ち着くのかな」
「たぶん。寝る前に聞いてる」
「そっか。寝る前に落ち着けるものがあるのは、いいことだと思うよ」
「うん。お姉ちゃん、ちょっと笑ってる」
ひなちゃんは、少し得意げに言った。
お姉ちゃんが好きなのだろう。
その気持ちが、言葉の端から伝わってきた。
「ひなちゃんは、お姉ちゃんのことが好きなんだね」
「好き」
「じゃあ、早く会えるといいね」
「うん」
しばらくして、遠くから走ってくる足音がした。
俺たちの方へ向かってくる女子がいる。
長い髪を揺らしながら、人混みを避けて走ってくる。
見覚えがあった。
白石結衣。
同じクラスの女子だった。
真面目で、成績がよくて、あまり大きな声で話すタイプではない。
クラスでは静かな方だけれど、先生からの信頼は厚い。
その白石さんが、今は顔を真っ青にして走ってきていた。
「ひな!」
「お姉ちゃん!」
ひなちゃんが椅子から飛び降りる。
白石さんは妹を抱きしめた。
「よかった……本当に、よかった……!」
「ごめんなさい……」
「いいの。見つかったからいいの」
白石さんの声は震えていた。
いつもの落ち着いた同級生とは、少し違う。
でも、たぶんこれが家での顔なのだと思う。
少しして、白石さんはこちらを見た。
そして、目を見開く。
「春野くん……?」
「白石さん、だよね」
「うん。同じクラスの……」
少し気まずい沈黙が落ちる。
蓮が横で小さく言った。
「まさかの同級生か」
白石さんはすぐに頭を下げた。
「妹を見ていてくれて、本当にありがとう。私が少し目を離したせいで……」
「見つかってよかったよ。ひなちゃん、ちゃんとここで待てたから、すごく偉かったと思う」
俺がそう言うと、ひなちゃんは白石さんにしがみついたまま、少しだけこちらを見る。
「ひな、えらかった?」
「うん。ちゃんと名前も言えたし、頑張ってたよ」
白石さんは妹の頭を撫でる。
「ありがとう、ひな。怖かったよね」
「うん……」
白石さんはもう一度、俺と蓮に頭を下げた。
「本当にありがとう。助かりました」
「大丈夫だよ。俺たちも、たまたま見つけただけだから」
「それでも、声をかけてくれてありがとう」
白石さんは、いつもの学校で見る顔よりずっと柔らかい表情をしていた。
妹の手をしっかり握っている。
「ひなちゃん、もう迷子にならないようにね」
「うん」
「白石さんも、気をつけて帰ってね。人が多いから」
「うん。春野くんも、佐伯くんも、本当にありがとう」
「おう。見つかってよかったな」
蓮が軽く手を振る。
俺たちはそこで別れた。
白石さんとひなちゃんは、しっかり手をつないで人混みの中へ戻っていく。
その後ろ姿を見ながら、俺は少し息を吐いた。
「見つかってよかったね」
「だな」
蓮が横で言う。
「お前、子どもへの声のかけ方うまいな」
「そうかな。怖がらせないようにしただけだよ」
「それができるのがすごいって話だろ」
蓮は呆れたように笑った。
でも、悪い感じではなかった。
その日は、そこで買い物を切り上げて帰った。
家に帰ってからも、少しだけ白石さんとひなちゃんのことを思い出した。
同じクラスに、あんな顔をする人がいたのだと知った。
学校で見るだけでは、わからないことは多い。
でも、今日は良いことができたと思う。
夜。
俺はいつものように配信準備をした。
タイトルも、いつも通り。
――眠る前に、少しだけ話します。
特に変わったことをするつもりはない。
昼間に迷子の子を見つけた話も、個人がわかるようには話さないつもりだった。
いつも通りに始める。
いつも通りに話す。
そのつもりで、配信開始ボタンを押した。
「こんばんは。夜野まことです。今日も、眠る前に少しだけ――」
そこで、言葉が止まった。
画面の数字を見間違えたのかと思った。
同時視聴者数。
三百二十七人。
「……え?」
思わず、配信用の声ではなく、素の声が出た。
コメント欄が、見たことのない速さで流れていく。
『初見です』
『YouTubeで紹介されてた人?』
『ここか』
『声落ち着いてる』
『本物?』
『同接すご』
『まことくん固まってる?』
俺は画面を見たまま、しばらく動けなかった。
三百人。
昨日までとは、まったく違う人数がそこにいた。
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