第3話 人間、調べる
屋敷に来て、三日が経った。
最初の夜は疲れて気づいたら朝になっていた。
次の夜は広すぎるベッドに落ち着かなくて、なかなか眠れなかった。
三日目には、もう慣れていた。
人間は案外、適応するものらしい。
朝は決まった時間にパンテラが起こしにくる。
「おはようございます、ルカス様」
「おはようございます、パンテラさん」
この挨拶から一日が始まる。
食事は一日三回、きちんと出てくる。
施設では朝と夜の二回だったから、それだけで十分すぎるくらいだった。
「パンテラさん、屋敷の中を案内してもらえますか」
三日目の朝食後、思い切って頼んでみた。
「かしこまりました。ではご案内いたしましょう」
パンテラは即答した。施設と同じで嫌な顔をされないかと思っていたので、少し拍子抜けした。
屋敷は思っていた以上に広かった。
食堂、応接室、厨房、使用人の部屋。中庭には小さな訓練場まであって、思わず足が止まった。
「あそこはレグルスさんが使うんですか」
「はい。毎朝欠かさず」
(じゃないとあんな身体にならないよね……)
そして廊下の奥に、重厚な扉があった。
「こちらは図書室でございます」
「僕も入って良いのでしょうか」
「レグルス様より、ルカス様は自由に使って構わないとのことです」
(え、自由に……?)
中に入ると、天井まで届く本棚が四方を囲んでいた。魔法書、歴史書、地図、図鑑。施設にあった数冊の本とは比べ物にならない。
「すごい……」
思わず声が出た。
パンテラが柔らかい声で言った。
「気に入っていただけたなら何よりです」
その日の午後、さっそく図書室に籠った。
目当ては一つ。
あの夜、頭の中に響いた声のこと。
『解析』
あれは何だったのか。自分の声でも、誰かの声でもなかった。ただ静かに、当たり前のように頭に響いた声。
(気のせい、じゃないと思う)
魔法に関する本を手当たり次第に引っ張り出した。
背表紙を見るだけで頭が痛くなりそうなタイトルが並んでいる。
『魔素変換論・第三版』『スキル発現機序の研究』『高等魔法体系概説』——
(むずかしい……)
それでも、手当たり次第にページをめくった。
難解な文章をなんとか拾い読みしながら、少しずつ理解していく。
魔素とは世界に満ちる根源的なエネルギー。それが体内に取り込まれて魔力となり、意思によって様々な現象を引き起こす。
スキルとは、魔力と個人の資質が深く結びついた時に生まれる固有の能力——
(ブレスレットを外した夜に感じた、あの温かい流れが魔力だったのか)
(じゃあ、あの声はスキルなのかな……?)
でも、どの本を開いても『解析』というスキルは出てこなかった。
鑑定、識別、観察——似たような能力の記述はあったけれど、どれも微妙に違う気がした。一番近いのは鑑定だったが、「対象者の同意が必要」「発動に詠唱が必要」など、あの夜の感覚とは合わない部分が多かった。
(載っていない)
ため息をついて、本を閉じた。
窓の外を眺めると、夕暮れが近い。庭の噴水が、オレンジ色の光を反射してきらきらしていた。
(……試してみようか)
窓際の花瓶に意識を向けた。
すると——情報が流れ込んできた。
【解析】
▶ 素材:白磁
▶ 産地:東方の窯
▶ 製造:約三十年前
▶ 魔法的付与:なし
(やっぱり、気のせいじゃなかった)
次に手元の本を手に取って、同じように意識を向けた。
【解析】
▶ 題名:魔素変換論・第三版
▶ 著者:ヴェルナー・グロス
▶ 発行:約二十二年前
▶ 保存状態:良好
(なんでも読み取れる……これが、あの声と関係あるのか?)
答えはまだ出なかった。
夢中になっていると、背後から声がした。
「何をしている」
振り返ると、レグルスが扉の前に立っていた。
「あ、す、すみません! 図書室を使っていいとのことだったので……ブレスレットを外した夜に、頭の中で声が聞こえて。それが何なのか調べていたんですが、どの本にも載っていなくて」
レグルスは少し間を置いた。
「声、か」
「はい。『解析』って……聞こえたんです。それからものを見ると、知らない情報が出てきて」
「……知らんな」
(レグルスさんも知らないのか)
それ以上の会話は続かなかった。
レグルスは短く「明日、鑑定をする」とだけ言って、図書室を出ていった。
(鑑定……?)
聞き慣れない言葉だった。
でも——あの声の正体が、少しわかるかもしれない。
僕はそっと、手元の本を棚にしまった。




