第96話
俺はゆっくりと視線をテーブルの方へと向けた。
テーブルには、狼男と女性、そして老婆がコヨミの方を見ている。
お父さんとお母さん……そして、お婆ちゃん。
『……あの人たち、コヨミさんの家族だったのか』
コヨミは固まったまま、ゆっくりと顔を父親へ視線を向けた。
「……どうして……ここに……? お父さん……?」
「っ!」
コヨミと父親の目が合った瞬間、父親は視線を外してサッと顔を逸らした。
『……へっ?』
なんで、露骨に顔をそらすんだ。
その妙な動きに眉をひそめていると、コヨミの視線が母親へと移る。
「……お母さん……?」
母親は目が合った瞬間、困った表情をしつつ両手を胸の前で合わせて、小さく上下させた。
『あれは……謝っている?』
どういうことだろう。
父親は顔を逸らし、母親は謝罪。
意味が全く分からない。
「うんうん、元気にしてたのなら良かった……すぅ……」
祖母はそう言って、息を大きく吸い……。
「――コヨミっ!!」
怒鳴り声が食堂の中を響きわたった。
「は、はいっ!!」
「ひゃっ!?」
ミュラが短く声を上げて俺の方へと走ってくる。
そして、腕にしがみつき、プルプルと小動物みたいに震えていた。
一方コヨミの方は、ミュラとすれ違う形で祖母の前まで駆け寄り、その勢いのまま膝を折って座り込み、両手を腿の上に揃えて背筋を伸ばした。
「……どうして、食堂なんてやってるんだい?」
あの祖母の低く淡々とした声……こっちまで委縮しそうだ。
「えと……それは……その……」
必死に答えようとしているのか、コヨミの目が泳ぎに泳ぎまくっている。
あんなコヨミを見るのは初めてだな。
しかし、祖母の言っている意味がわからないな。
コヨミは食堂を引き継いだようなことを言っていたんだが……。
「ワシは言ったよな? ここを閉めると……なのに、どうしてお前がここにいて、食堂が開いているんだい?」
『……えっ?』
まさか……コヨミの奴……。
「……だから……それは……」
コヨミが口を開くが言葉が出てこない様子だ。
それを見かねたのか、祖母の目がカッと開いた。
「はっきり答えな! どうして食堂なんて開いてるんだいっ!?」
「「――ひっ!」」
祖母の怒声に、ミュラとコヨミが恐怖する。
……俺も、今すぐにここから逃げ出したい気分だ。
あの祖母の迫力はヤバすぎるぞ。
「…………だった……から……」
「ん? なんだってぇ?」
「……いや……だった……から……」
コヨミが声を詰まらせつつも、それでも言葉を続けた。
「……常連さん……達が……毎日……談笑をする……暖かい……ここが……無くなるのが……いや……だったの……明かりが……ついていない……談笑が……聞こえない……ウチの居場所が……なくなったような……気がして……悲しくて……寂しい気持ちになったの……だから……だから、ウチがこの食堂を継いで、居場所を取り戻そうと――」
「――っ! お前、そんなくだらないことで!!」
途中まで聞いていた祖母が、大声をあげてコヨミの言葉を遮った。
その瞬間、空気が張りつめた。
「――なっ!! くだらないこと!?」
正座をしていたコヨミが、目を見開き勢いよく立ち上がった。
ぎゅっと拳を握りしめ、唇を噛み締めてから口をひらいた。
「くだらないことって何!? ウチにとってはすごく! すごく! 大事なことなの! いくらおばあちゃんでも、そんなこと言わせない!!」
さっき怯えていたのが嘘の様だ。
コヨミにとって、くだらないという言葉は相当許せなかったようだな。
「何を言うか! そもそも、ここを閉めると決めたのはワシだ! なのに、相談も無く!」
「言ったら、絶対に反対したでしょ!?」
「当たり前だっ!」
どんどん2人がヒートアップしていっている。
これはまずくないか、今にも殴り合いが始まりそうだ。
俺と同じことを思ったのか、コヨミの両親が2人の会話に入って来た。
「お、お義母さん、落ち着いてください……血圧が上がっちゃいますよ……」
「そうよ、母さん! それと、コヨミも落ち着きなさい」
しかし、2人の口喧嘩は止まるどころかますます激しくなっていく。
「だから、おばあちゃんには内緒にしていたの!」
「家族に黙って勝手なことをするなんて、どういうつもりだい! 客商売は遊びじゃないんだよ!」
「遊びなんかじゃない! 本気でやってるわ!」
「本気なら、なおさら勝手な真似をするんじゃないよ!」
「勝手じゃない! ウチは……ちゃんと考えて……!」
「黙りな! 考えた結果がこれかい! ワシに黙って好き勝手しおって!」
「黙らない! こればかりは譲れないもん!」
「っ!! このっ! お前という奴はっ――!」
祖母が立てかけてあった杖を握りしめ、どんと足を踏み出して体を起こした。
その瞬間――。
「――はぐあっ!?」
祖母の口から雄たけびの様な、断末魔の様な、この世の終わりを迎えたような声が飛び出た。
そして、ピタリと動きが止まった。
「……へ? おばあ……ちゃん……?」
何が起こったのかわからず、この場所にいる全員が目を丸くする。
「あが……あががが……」
喉を鳴らしながら顔がぐしゃりと歪み、祖母の体がぐらりと揺れて、そのまま前のめりで倒れてしまった。
「ちょっ!? おばあちゃん!?」
「お義母さん!?」
「母さん!!」
「あわわわ!」
『おい、待て待て待て!?』
俺たちが一斉に祖母の傍へと駆け寄る。
「おばあちゃん! どうしたの!?」
「あっ……ああっ……こ、腰が……っ……こっ……し…………ガクッ」
祖母は白目をむき、口から泡がブクブクとあふれ出てきた。
これは……見るからにマズイ状況じゃないか。
「しっかりしてください! お義母さん!」
父親が慌てて肩に手をかけて揺らすが全く反応がない。
「母さん! 母さん!」
母親も傍で大声をあげたが、これも反応がない。
「駄目だ……完全に意識が飛んでいる……びょ、病院だ!! すぐ病院に!!」
父親は大声を上げると祖母を担ぎ上げた。
そして、俺たちは食堂から飛び出して大急ぎで病院へと向かった。




