第115話
俺は高台へ続く道を駆け上がり、息を乱しながら丘の上まで辿り着いた。
そして、小屋を見つけた瞬間足が止まった。
『はぁ……はぁ……いる……のか……?』
俺はゆっくり息を整え、小屋へ視線を向けた。
ここは、ミュラと一晩を過ごした場所。
ミュラがいるという確証は何処にもない……。
俺は小屋の様子を探りながら、傍へと歩いて行った。
『ん? 扉が……開いてる?』
小屋の扉がわずかに開いていた。
風で開いただけなのか……動物が侵入したのか……はたまた誰かが入ったのか……。
俺は息を殺しながら扉の隙間へ近づき、その隙間から小屋の中を覗き込んだ。
『……あっ』
部屋の隅。
膝を抱えて小さくなっている、水色の髪の少女がいた。
見間違えるはずがない……ミュラだ。
『……いた……』
その瞬間、安心して全身から力が抜けた。
『……よかった……とりあえず、これで一安心だな』
急に入ると、ミュラを驚かせるかもしれない。
それでまた足元を凍らされてしまったら、俺の力ではどうする事もできない。
刺激しないように……静かに……ゆっくりと……。
俺は音を立てないようにゆっくり扉を開け、部屋の中へと入った。
そして、フードとスカーフを外しながら、少し離れた場所で足を止めた。
「……ミュラ、見つけた……」
声をかけた瞬間、ミュラの肩がびくりと震えた。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「……ゴブ……」
ミュラの目は赤く腫れ、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
その姿を見た瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられる想いに駆られた。
「……」
その痛々しい顔を見て、俺はこれ以上何も言えなかった。
すると、ミュラはまた顔を膝へ埋めてしまった。
食堂の時とは違って、逃げようとしないな。
落ち着いた……いや、意気消沈してしまっているといった方が正しいかもしれない。
『うーむ、かける言葉が見つか…………いや、それは違うな』
今のミュラに必要なのは時間だ。
俺があれこれと言うべきじゃない。
俺はゆっくり歩き、ミュラの隣へ腰を下ろした。
そして、そっと手を伸ばしてミュラの手に触れる。
その瞬間、ミュラの身体が強張ったが俺の手は振り払われることはなかった。
少し間を置いて、ミュラの指がゆっくりと動いて俺の手を弱々しく握った。
「……っ」
俺は黙って優しく握り返した。
どれくらい時間が経っただろうか。
その間、俺はミュラと過ごした日々を思い出していた。
ミュラと初めて出会った日、この小屋で過ごした晩、そして月牙の食堂での生活……約1年ちょっとしか経っていないが、とても楽しく、充実した日々だった。
それが終わりを告げようとしていると思うと、やっぱり……悲しいな。
「……やだ……」
ミュラのかすれた声が聞こえ、そちらに顔を向けた。
「……やだ……みんなと……おわかれ……したく……ない……」
ミュラの絞り出した言葉。
俺は何も言えず、握った手を少し強く握り返した。
「……やだ……やだ……ずっと……ここに……いたい……」
その言葉が、胸に突き刺さる。
俺だって同じだ。
終わってほしくないし、離れたくもない。
……でも……それだと……。
「……俺も」
俺の言葉に、ミュラがこちらを見る。
「俺も……離れ たく……ない……でも……」
その一言で、ミュラの指が震えた。
俺は、歯を食いしばりつつ言葉を続けた。
「ミュラ には……帰る 場所……ある」
俺はミュラをまっすぐ見つめた。
ミュラも、濡れた目で俺を見つめる。
「パパ ママ……生きてる……会える……」
その言葉に、ミュラの瞳が揺れた。
「……会いた かった……家族……だろ……? だから……ミュラ 帰る べき……だ」
俺の本当の家族は別世界にいる。
今どうしているかなんて知る方法はない。
帰れるなら……今すぐにだって帰りたい。
だからこそ、ミュラにはちゃんと決断してほしい。
「……でも……もう……みんなと……」
ミュラが小さく首を振った。
「……それでも……パパとママに……あいたい……」
繋いでいたミュラの手に力が入る。
目からも、涙がこぼれ落ちた。
「……うっうううう……ミュラ……ミュラ……は……」
ミュラはまた泣き出し、俺の手を強く握った。
俺も、その手を離さないようにと強く握り返した。
これを決めるのは、ミュラ自身だ。
俺じゃない。
ミュラは何度も何度も涙を拭ったが、一向にその涙が止まる気配がなかった。
その涙が止まる頃には、日が傾き始めていた……。
「……ゴブ……」
ミュラの泣き腫らした目が俺を見つめた。
「ん?」
「……きめた……」
ミュラが顔を上げた。
「……おわかれ、やだ……けど……ミュラ……あいにいく……パパとママに、あいたい……!」
それでいい。
それでいいんだ……俺たちが一緒に過ごした時間が消えるわけじゃない。
それに、ミュラはちゃんと自分で決めた。
迷いに迷って、前を向こうとしている。
俺も……前に進まなきゃいけないな。
「そっか……わかった……」
俺は笑顔で頷いた。
「……じゃあ 港町 戻る……みんな 心配 してる」
「うん……」
ミュラが頷いた。
立ち上がるために手を引くと、ミュラもゆっくり身体を起こした。
そして、小屋の扉へ向かい、外へと出た。
「ゴブ……」
「なんだ?」
「むかえにきてくれて……ありがとう……」
「ああ……」
それ以上、言葉を交わさず俺たちは手をつないだままゆっくりと、高台を下りて行った。




