アマネの講義スタイル
「まず、目を閉じてみようか」
アマネの言葉に、六人の受講生がそれぞれ瞼を下ろした。
最後列のカシックだけは不満そうだったが、それでも片方の目を閉じ、しばらくしてからもう片方も閉じた。
「今から僕が、青色を思い浮かべてと言う。青色を思い浮かべて」
静かな教室に、アマネの声が広がる。
「海でも、空でも、宝石でも、学院の制服でもいい。浮かんだものを覚えておいて」
数秒後、アマネは目を開けるように促した。
「アリシア。何を思い浮かべた?」
「薬草園にある、青い花です」
「カルトンは?」
「ぼ、僕は、夜明け前の空を」
「ペータは?」
「古い詠唱書の表紙……です」
三人とも、同じ青という言葉から違うものを思い浮かべている。
アマネは黒板へ円を六つ描いた。
「同じ言葉を聞いても、心の中に現れたものは違う。そして、アリシアが思い浮かべた青を、僕は直接見ることができない」
「でも、青い花だと聞けば、想像はできます」
「そうだね。では、僕の想像した花と、アリシアの花は完全に同じかな」
「……分かりません」
「それが大事なんだ」
アマネは円と円の間を線で結んだ。
「僕たちは、他人の感覚そのものには入れない。それでも、言葉、表情、行動、測定できる変化を通じて、他人の感覚について考えることはできる」
アリシアが、おずおずと手を挙げる。
「では、私が感じているマナの冷たさも……先生には分からないのでしょうか」
「君とまったく同じ仕方では分からない」
アリシアの顔が曇った。
「でも、それは研究できないという意味ではないよ」
「違うのですか?」
「むしろ逆だ。直接同じものを感じられないからこそ、僕たちは丁寧な方法を作る必要がある」
アマネは黒板へ三つの欄を作った。
身体の感覚。
外から観察できる変化。
生じた魔術現象。
「アリシア。水の魔術を使うとき、身体では何を感じる?」
「胸の奥に、冷たい糸のようなものが生まれます。それが肩を通って、腕へ流れて……手のひらへ集まります」
「外から見える変化は?」
「父には、右肩が上がると言われます。それと、息を止めてしまうことがあると」
「生じる魔術現象は?」
「水球ができます。でも、形が崩れやすいです」
アマネは、アリシアの言葉をそのまま板書していった。
難しい専門用語に置き換えない。
言い間違いを笑わない。
本人の感覚を勝手に解釈せず、曖昧な部分だけを問い返す。
「冷たい糸は、ずっと同じ太さ?」
「いえ。腕に入るところで、少し細くなります」
「右と左では?」
「右の方が強いです」
「息を止める前と後で変化する?」
「あ……」
アリシアの瞳が見開かれた。
「息を止めた瞬間に、糸が途切れる気がします」
「それなら、水球が崩れる原因は、マナの総量ではなく呼吸と流れの断絶かもしれない」
「そんなこと、今まで一度も……」
「なぜ気づかなかったと思う?」
アリシアは自分のノートを見つめる。
「冷たさは冷たさだと……一つの感覚として考えていたから」
「うん。言葉を細かくすることで、それまで一つに見えていた現象が分かれることがある」
窓際から、澄んだ声が飛んだ。
「幼いころの私にも、同じようなことをしていましたね」
サキアだった。
「私が光魔術を使うと胸が痛むと言ったら、どの場所が、どのように、何秒ほど痛むのかと、延々質問されました」
「延々ではないよ。十七問だけだ」
「七歳の少女に対しては十分に延々です」
「でも、胸そのものではなく、息を浅くしすぎたことで肋骨の間が痛んでいたと分かった」
「だからといって、思い出を訂正しないでください」
アリシアは二人を見比べ、恐る恐る尋ねた。
「あの……先生とサキアさんは、以前からのお知り合いなのですか」
サキアが答える前に、教室の扉の外で金属音が鳴った。
廊下に控えていた女性騎士の鎧が、わずかに動いた音だった。
アリシアの顔から血の気が引く。
サキアの横顔。
制服の襟に隠された王家の紋章。
教室の外に立つ護衛。
「ま、まさか……」
「サキア・グランドリスです」
サキアは、困ったように微笑んだ。
「一応、グランドリス帝国の女王を務めています」
「じょ、女王陛下――!」
アリシアが立ち上がり、カルトンは椅子ごと後ろへ倒れかけた。ペータは慌てて頭を下げ、ゼリエは祈祷具を握る。カシックだけが目を細めている。
「どうか座ってください」
サキアは小さく息をついた。
「この教室では、陛下ではなくサキアと呼んでいただきたいのです」
「そ、そんな畏れ多い……」
「畏れられるために来たのではありません。私も学びに来ました」
サキアの視線が、アマネへ向く。
「少なくとも、講師殿は私を特別扱いしてくださらないようですから」
「もちろん、サキアも大切な受講生だよ」
「……そういう意味ではないのですが」
「違うの?」
「知りません」
サキアはぷいと窓の方を向いた。
カシックが呆れた顔をする。
「本当に女王と幼なじみなのか」
「家が近かったからね」
「帝国の女王の家が近い、で済ませる話か?」
「幼いころは、王宮の庭園と僕の家の裏庭が一部つながっていたんだ」
「余計に意味が分からない」
教室に、初めて自然な笑いが起きた。
張りつめていたアリシアの肩も、少しだけ緩んだ。
アマネは黒板の六つの円を見た。
「他人の感覚は、そのまま共有できない。身分も、家柄も、過去も、完全には共有できない。でも、共有できないからといって、理解を諦める必要はない」
円をつなぐ線を、一本ずつ濃くしていく。
「言葉は、心の中身をそのまま運ぶ容器ではない。離れた人間同士が、同じものへ注意を向けるための橋なんだ」
「橋……」
アリシアがつぶやく。
「魔術の教本に『マナを感じよ』とだけ書いても、その橋は架からない。だから僕たちは、身体、呼吸、姿勢、声、結果を一つずつ言葉にする。それができれば、魔術は天才の直感だけではなく、他人に教えられる技術になる」
アリシアは板書を見つめた。
父の治療院で、何度も聞いた言葉がよみがえる。
傷ついた組織を感じろ。
患者のマナへ同調しろ。
生命の流れを乱すな。
けれど、どう感じ、どこへ同調し、何をもって乱れとするのかを、教本は説明していなかった。
「先生」
「うん」
「私、医療魔術を……言葉にしてみたいです」
アマネは、ほんの少し目を細めた。
「では、それを君の研究課題にしよう」
アリシアは初めて、はっきりとうなずいた。
その隣でサキアは、嬉しそうにアマネを見つめていた。
ただしアマネは、アリシアのノートを確認することに夢中で、その視線にはまったく気づいていなかった。




