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魔術哲学の講師とノンアリアの魔女  作者: 隆塚司


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3/6

アマネの講義スタイル

「まず、目を閉じてみようか」


 アマネの言葉に、六人の受講生がそれぞれ瞼を下ろした。


 最後列のカシックだけは不満そうだったが、それでも片方の目を閉じ、しばらくしてからもう片方も閉じた。


「今から僕が、青色を思い浮かべてと言う。青色を思い浮かべて」


 静かな教室に、アマネの声が広がる。


「海でも、空でも、宝石でも、学院の制服でもいい。浮かんだものを覚えておいて」


 数秒後、アマネは目を開けるように促した。


「アリシア。何を思い浮かべた?」


「薬草園にある、青い花です」


「カルトンは?」


「ぼ、僕は、夜明け前の空を」


「ペータは?」


「古い詠唱書の表紙……です」


 三人とも、同じ青という言葉から違うものを思い浮かべている。


 アマネは黒板へ円を六つ描いた。


「同じ言葉を聞いても、心の中に現れたものは違う。そして、アリシアが思い浮かべた青を、僕は直接見ることができない」


「でも、青い花だと聞けば、想像はできます」


「そうだね。では、僕の想像した花と、アリシアの花は完全に同じかな」


「……分かりません」


「それが大事なんだ」


 アマネは円と円の間を線で結んだ。


「僕たちは、他人の感覚そのものには入れない。それでも、言葉、表情、行動、測定できる変化を通じて、他人の感覚について考えることはできる」


 アリシアが、おずおずと手を挙げる。


「では、私が感じているマナの冷たさも……先生には分からないのでしょうか」


「君とまったく同じ仕方では分からない」


 アリシアの顔が曇った。


「でも、それは研究できないという意味ではないよ」


「違うのですか?」


「むしろ逆だ。直接同じものを感じられないからこそ、僕たちは丁寧な方法を作る必要がある」


 アマネは黒板へ三つの欄を作った。


 身体の感覚。


 外から観察できる変化。


 生じた魔術現象。


「アリシア。水の魔術を使うとき、身体では何を感じる?」


「胸の奥に、冷たい糸のようなものが生まれます。それが肩を通って、腕へ流れて……手のひらへ集まります」


「外から見える変化は?」


「父には、右肩が上がると言われます。それと、息を止めてしまうことがあると」


「生じる魔術現象は?」


「水球ができます。でも、形が崩れやすいです」


 アマネは、アリシアの言葉をそのまま板書していった。


 難しい専門用語に置き換えない。


 言い間違いを笑わない。


 本人の感覚を勝手に解釈せず、曖昧な部分だけを問い返す。


「冷たい糸は、ずっと同じ太さ?」


「いえ。腕に入るところで、少し細くなります」


「右と左では?」


「右の方が強いです」


「息を止める前と後で変化する?」


「あ……」


 アリシアの瞳が見開かれた。


「息を止めた瞬間に、糸が途切れる気がします」


「それなら、水球が崩れる原因は、マナの総量ではなく呼吸と流れの断絶かもしれない」


「そんなこと、今まで一度も……」


「なぜ気づかなかったと思う?」


 アリシアは自分のノートを見つめる。


「冷たさは冷たさだと……一つの感覚として考えていたから」


「うん。言葉を細かくすることで、それまで一つに見えていた現象が分かれることがある」


 窓際から、澄んだ声が飛んだ。


「幼いころの私にも、同じようなことをしていましたね」


 サキアだった。


「私が光魔術を使うと胸が痛むと言ったら、どの場所が、どのように、何秒ほど痛むのかと、延々質問されました」


「延々ではないよ。十七問だけだ」


「七歳の少女に対しては十分に延々です」


「でも、胸そのものではなく、息を浅くしすぎたことで肋骨の間が痛んでいたと分かった」


「だからといって、思い出を訂正しないでください」


 アリシアは二人を見比べ、恐る恐る尋ねた。


「あの……先生とサキアさんは、以前からのお知り合いなのですか」


 サキアが答える前に、教室の扉の外で金属音が鳴った。


 廊下に控えていた女性騎士の鎧が、わずかに動いた音だった。


 アリシアの顔から血の気が引く。


 サキアの横顔。


 制服の襟に隠された王家の紋章。


 教室の外に立つ護衛。


「ま、まさか……」


「サキア・グランドリスです」


 サキアは、困ったように微笑んだ。


「一応、グランドリス帝国の女王を務めています」


「じょ、女王陛下――!」


 アリシアが立ち上がり、カルトンは椅子ごと後ろへ倒れかけた。ペータは慌てて頭を下げ、ゼリエは祈祷具を握る。カシックだけが目を細めている。


「どうか座ってください」


 サキアは小さく息をついた。


「この教室では、陛下ではなくサキアと呼んでいただきたいのです」


「そ、そんな畏れ多い……」


「畏れられるために来たのではありません。私も学びに来ました」


 サキアの視線が、アマネへ向く。


「少なくとも、講師殿は私を特別扱いしてくださらないようですから」


「もちろん、サキアも大切な受講生だよ」


「……そういう意味ではないのですが」


「違うの?」


「知りません」


 サキアはぷいと窓の方を向いた。


 カシックが呆れた顔をする。


「本当に女王と幼なじみなのか」


「家が近かったからね」


「帝国の女王の家が近い、で済ませる話か?」


「幼いころは、王宮の庭園と僕の家の裏庭が一部つながっていたんだ」


「余計に意味が分からない」


 教室に、初めて自然な笑いが起きた。


 張りつめていたアリシアの肩も、少しだけ緩んだ。


 アマネは黒板の六つの円を見た。


「他人の感覚は、そのまま共有できない。身分も、家柄も、過去も、完全には共有できない。でも、共有できないからといって、理解を諦める必要はない」


 円をつなぐ線を、一本ずつ濃くしていく。


「言葉は、心の中身をそのまま運ぶ容器ではない。離れた人間同士が、同じものへ注意を向けるための橋なんだ」


「橋……」


 アリシアがつぶやく。


「魔術の教本に『マナを感じよ』とだけ書いても、その橋は架からない。だから僕たちは、身体、呼吸、姿勢、声、結果を一つずつ言葉にする。それができれば、魔術は天才の直感だけではなく、他人に教えられる技術になる」


 アリシアは板書を見つめた。


 父の治療院で、何度も聞いた言葉がよみがえる。


 傷ついた組織を感じろ。


 患者のマナへ同調しろ。


 生命の流れを乱すな。


 けれど、どう感じ、どこへ同調し、何をもって乱れとするのかを、教本は説明していなかった。


「先生」


「うん」


「私、医療魔術を……言葉にしてみたいです」


 アマネは、ほんの少し目を細めた。


「では、それを君の研究課題にしよう」


 アリシアは初めて、はっきりとうなずいた。


 その隣でサキアは、嬉しそうにアマネを見つめていた。


 ただしアマネは、アリシアのノートを確認することに夢中で、その視線にはまったく気づいていなかった。

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