第67話 第七席
「リリアちゃん、最終日まで、片付けの手伝いありがとう」
艶やかな金髪を下ろしたセシリア・ドゥルセが、微笑みかける。
市街区でいちばん大きな宿の前に、馬車の車列が並んでいた。
十台を超える箱馬車。どれも黒塗りで、車輪が驚くほど細い。御者台では、紺の制服の御者たちが、出発の合図を待っている。
ドゥルセ商会として丸ごと借り上げていた宿を、出立する日。
「わたしがお手伝いしたかっただけなんです。こんな、素敵な宿に泊めてもらって、何もしないわけには」
リリアは、最後の木箱を荷台に押しこんだ。
自分の背丈ほどもある箱だが、片手で足りる。
「気をつかわなくていいのに。追跡任務のあと、ご実家の片付けも忙しかったでしょう?」
「いえ、昨日から父が屋敷に戻っていて……」
言いかけて、リリアは口をつぐんだ。
晒し台での三日間は、父アロフィスのプライドを粉々に打ち砕いた。
病は全身に回り、表情が抜け落ち、ほとんど喋らなくなっていた。
死罪に値するだけの証拠は、出なかった。証拠の品は、すべて第二夫人レナリルが持ち去っている。
「父は、色々とショックみたいです。病気も、母が治療を続けていますが……あの、お股の、なくしたところは、戻らないみたいで……」
言うと、リリアは顔を赤らめた。
セシリアはため息をつく。
「そう……。持ち逃げされたお金より、そちらなのね」
下された刑は、財産の一部没収と、屋敷での拘禁。けれど、没収するはずの財産まで、レナリルが持ち逃げしていた。
払い終えるまで、拘禁は解かれない。屋敷の出入りは、都市警備兵が見張っている。
「レナリルさんは、どこへ行ったのでしょうか?」
「亡くなったオルメーヌさんの言った通りかもしれない。レナリル夫人は昔、マルドゥク司教の兄上、マルドゥク伯爵の愛人だったという証言を得たわ」
「そう……ですか」
「マルドゥク伯爵は、騎竜を飼い慣らす竜騎士団を持っている。そこに逃げ込まれたら、なかなか、ね」
「竜騎士……」
「でも、白騎士の方が強いわよ。竜といっても、小型のライド・ドレイクだから。……今日は騎士服じゃないのね?」
「警備兵の皆さんが敬礼してくれるのも、緊張するので……」
「うふふ。『白騎士リリア』といえば、自由都市の有名人だもの」
「今後は、目立たない服装で暮らします」
セシリアが、リリアの頭からつま先までを眺める。
生成りの上着に、使い慣れた革の靴。洒落っ気のない、冒険者服。
「それも似合ってるけど、せっかく可愛いのに惜しい気がするわ」
「惜しくないです……」
「ううん。王都のお店に来てくれたら、お洋服を作らせてちょうだい」
「いっ、いえ、悪いですし……」
宿の玄関から、帳面を抱えたイルマが出てきた。
「総帥。リリアさん、お困りですよ」
「あら、ごめんなさい。つい、世話を焼きたくなってしまうのよね。報告かしら?」
「沿岸区への移送、すべて完了しました。奴隷市の柵にいた方々も、昨夜のうちに」
「ご苦労さま。想定以上に人材を得られたわね」
セシリアは、満足そうに笑った。
市街区で、まっとうに商売をしてきた人たち。腕のいい職人たち。セシリアはこの十日ほどで、その多くを沿岸区へ引き抜いてしまったらしい。
(えらい人なんだろうな、とは思ってたけど……)
自由都市での仕事に区切りがついたので、都市開発担当者を残して次の街へ移るのだという。
◇
宿の扉が開いて、黒ずくめの男が乳母車を押して出てきた。
頭には、角と目玉の兜。乳母車の日除けは、蝙蝠の翼の形をしている。
通りがかった人々が、さっと道の端へ寄った。
「ねえねえ、おかあさん。三つ目の人がいるよ」
「気づかないふりをしなさい。早く行くわよ」
セシリアが、額に手を当てた。
「リオル、その格好で外に出ないでって、いつも言ってるわよね?」
「これが一番、ノエルの機嫌がいい」
「……ノエルのせいにしないで。あなたの趣味でしょう」
乳母車の中で、金色の髪の赤ん坊が、両手を伸ばしている。
リリアが覗きこむと、青い瞳がぱっとこちらを向く。
「ノエルちゃん、またね」
差しだした人差し指を、小さな手がぎゅっと掴んだ。
そのまま、離さない。
「あら」
「……あの、ノエルちゃん?」
軽く引いてみても、離れない。
「ノエルも、離したくないみたいね」
セシリアが、乳母車の縁に手をかけた。
「ねえ、リリアちゃん。今度また、一緒に仕事しましょう」
指先を握る、小さな手が温かい。
「……ぜひ、お願いします」
声は、少しだけかすれていた。
セシリアは、リリアをそっと抱き寄せた。
「困ったときは、いつでも頼ってね」
「……はい」
セシリアの胸に、額をあずける。
ノエルの手が、ようやく指を離した。
◇
「そろそろ出るぞ」
リオルが、乳母車を箱馬車へ押していく。
それから、ふと足を止め、外套の内側に手を入れた。
「リリア、これを」
差しだされたのは、一通の封書だった。
白い封蝋に、白銀の竜。
「これ……公爵家の?」
「白騎士団長から、指令書だ」
「団長さんから……」
「知ってると思うが、あいつ、スパルタだからな。気をつけろ」
リオルは兜の奥で、にやりと笑ったようだった。
「え……?」
黒い外套を翻し、リオルが馬車に乗り込む。
セシリアが窓から顔を出す。胸に抱いたノエルの腕に、手を添えて振らせている。
「お先に。楽しかったわ」
「わたしもです。お元気で!」
鞭が鳴る。
ほとんど揺れもせず、車列が動きだした。
一台、また一台と、大通りの角を曲がっていく。
最後の馬車の窓から、小さな手がのぞいた。ガラガラが、きらりと光の粒をこぼす。
リリアは、見えなくなるまで手を振り続けた。
通りが、急に広くなった気がする。
袖で目もとをこすると、手の中の封書に目を落とした。
白銀の竜の封蝋を、そっと割る。
『白騎士団第七席 リリアーヌ・ソルゾラスへ』
整った、迷いのない字だった。
『元気かしら? 準備を整えたら、輸送部隊を護衛しつつ、マルドゥク伯爵領への遠征軍に合流してね』
リリアは、何度か瞬いた。
(あれ? ずいぶん、フレンドリーな感じだけど。……スパルタな団長って聞いたのに)
署名を確認する。
『白騎士団長 メイリーン・セレスタリア・ショカルナより 親愛を込めて』
(メイリーン……様? どんな人なんだろう……)
顔を上げると、屋根の連なりのずっと向こうに、海がうっすらと光っていた。




