最終話 星の中で
「みんな、食事は車内で。このあたりは掠奪が多発してる」
ドゥルセ商会のテオ・グレンスが、荷馬車が円陣を組む街道脇で声を張り上げた。焚き火が三つ、夜の底で揺れている。
人足たちは椀を手に、幌の中へ戻っていく。その一人が、足を止めた。
「掠奪犯はわからないんですか?」
「目撃者がいない。荷物は消え、血溜まりと服の切れ端だけが残ってる」
男は身震いした。
「怖いね……危険手当ってことか」
「それもあるが、我々は一人たりとも死なせるつもりはない。リリアさんが偵察に出てくれている」
「同行の白騎士様なら安心だ」
テオは首を横に振った。
「油断はしないようにな。安全が確認されるまで、用足しも遠くには行かないでくれ」
「沿岸区に家族を残してきてんだ。せっかく家も持てたのに、死ぬ気はねえよ」
◇
その灯りを、丘の林から見下ろす一団があった。
騎士たちの傍らに、鞍をつけた小型の竜が控えている。
騎竜、ライド・ドレイク。
その一頭が、何かを噛んでいた。牙のあいだから、布の切れ端が垂れている。
茂みを分けて、偵察の騎士が戻ってきた。
「食糧と、武具。構成は、人足が大半。私兵が二十ほど見えます」
隊長が、顎を撫でる。
「……ドゥルセの旗を掲げているが、中身は公爵家の輸送隊だな。女や子供はいるか? 餌にはそっちの方がいい」
「いえ、隠しているのか、同行させていないのか、見当たりません。……最初に見たときは、白づくめの女がいた気がしますが、消えました」
「……消えた? 気のせいではないか?」
「は……そうかもしれません」
隊長は、布を噛み続けるドレイクの首を叩いた。
「前の商隊は年寄りばかりで、こいつらの腹の足しにもならなかったからな。今度は、たらふく食わせてやれる」
低い笑いが、林に広がった。
「荷は奪い、人はドレイクの餌にする。一人も逃すな。全員、騎乗せよ」
ドレイクに跨った騎士たちが、手綱を握り直す。
号令を待つ、竜騎士たち。
鱗の擦れる音。湿った鼻息が、下草を揺らした。
「……」
「……隊長? ご指示を」
返事がない。
隊長の体が、鞍からずるりと滑り落ちた。
いつの間にか、月を背に、白い服の女が立っていた。
「……白づくめ?」
「誰だ!」
リリアはくるりと背を向け、走り出した。
「追え! 逃すな!」
ドレイクたちが、一斉に地を蹴る。
(輸送隊から、引き離す……)
白い上着の裾を翻し、リリアは駆ける。
離れすぎず、追いつかせず。
「一人か! 竜騎士団をなめるな!」
迫る足音。
急停止から、振り向きざまに一騎を鞍から叩き落とす。
突きだされた槍を踏み台に、跳ぶ。
騎士の背後に着地。
そこへ、別の騎士が槍をひねって薙いでくる。
受け流す。
咆哮。
主人を失ったドレイクの突進。
飛び上がってかわしざま、喉に刃を突き立てる。
巨体が、地響きを立てて沈んだ。
「くそ! 貴重なドレイクが……!」
「足を止めたぞ! 囲め!」
四方から、槍の穂先が一斉に迫る。
穂先と穂先の隙間を縫い、囲みの外へ抜ける。
「そっちは行き止まりだ!」
抜けた先に、別の竜騎士が回り込んでいた。
身をかがめ、ドレイクの前脚を狙う。
刃にオーラを乗せた、その瞬間。
ドレイクが首をひねり、牙で受け止めた。
甲高い音。
折れた牙が、月光の中を舞った。
短剣を握る手が、痺れている。
口の端から血を垂らし、ドレイクが身を低くして唸る。
「危ねえ! この女、強えぞ!」
「白い騎士服……袖に、竜の紋……」
「公爵家の、白騎士か!」
リリアは答えず、構え直す。
(さすがに手強い。……人より、ドレイクのほうが)
馬上の騎士とは、勝手が違う。
ドレイクの筋力は、人とはまるで違う。
しかも、刃を見て、受け方を選ぶだけの頭がある。
(奇襲向けの短剣と、今の戦場は相性が悪い……)
二本の刃で牙を捌きながら、活路を探る。
ふと、声が聞こえた。
「竜種を相手するときは、長剣も持っておくといいわよ。もし、なければ、オーラブレイドを」
ふわりと、月光に煌めく白い人影。
次の瞬間、ドレイクの首が落ちていた。
一体ではない。
頭を落とされた竜と騎士が、累々と転がっている。
「へ……?」
夜風にほどける、ココアベージュの髪。
「ひさしぶりね、リリア」
「メ……メイさん!?」
「補給が着く頃だと思って、迎えに来たの」
メイが纏うのはリリアと同じ、白騎士の装束。
「あ、メイさんも、やっぱり白騎士……?」
「話は後よ。周辺にまだ敵の別働隊がいるわ。片付けましょう。……援護をお願い」
「は、はいっ!」
◇
別働隊を片付けるのに、さほど時間はかからなかった。
貴重な素材となるドレイクの死骸を回収すると、輸送隊は遠征軍の野営地へ向かう。
それは、丘をひとつ越えた先にあった。
篝火が、いくつも並んでいる。天幕の数は、数えるのをやめたくなるほど。
荷車が、篝火のあいだへ吸いこまれていく。
縄を打たれた竜騎士隊長が、引きずられてくる。ドレイクの骸を山と積んだ荷台の前で、その足が止まった。
「……すべて、失った……終わりだ……」
「これから死ぬほどの拷問を受けるお前が、そんな心配をする必要はない。無駄口をたたくな」
殴打され、隊長が地面に倒れる。
よろよろと立ち上がると、うなだれて引かれていった。
見張りの若い兵が、駆け寄ってくる。真銀の鎖帷子が、火を照り返した。
「団長! お戻りで……そちらは?」
「白騎士のリリアよ。補給と一緒に来てくれたの」
兵の背筋が、さっと伸びる。
あたりの兵まで、つられて敬礼をはじめた。
リリアは、固まる。
「……だん、ちょう?」
指令書の署名が、頭に浮かぶ。
『白騎士団長 メイリーン・セレスタリア・ショカルナより 親愛を込めて』
(メイリーン……メイ……)
「メイさんが……団長、さん……? そういえば、袖の番号……」
メイの袖口には、白銀の竜と『1』の刺繍。
「そうよ。今回は、冒険者としてより、騎士団として動くべき案件なの」
「騎士団として……?」
「ええ。相手は竜騎士団を持つ貴族だから」
「さっきの……ですよね。なぜ、人を襲うのですか?」
「ドレイクの維持には膨大な『肉』がいるから。家畜でも、人でも」
メイが、運び込まれたドレイクの死骸に視線を向ける。
「ここまでの数を揃え、飼い慣らすのに、どれだけの資源と命が使われたか」
「……強かったです。一頭でも、かなり」
「ふふ、これで、あなたも竜殺しね」
「え? いいんですか?」
「あなたのお父様、アロフィス様が倒したのも、少し大きいドレイクだったはずよ。最初に倒したときは、フィデリア様の強化魔法のおかげ。二頭目からは、傭兵隊で弱らせてから、トドメを刺していただけ」
メイの視線が、リリアの手もとに落ちる。
「あなたは、ただ一人、短剣で倒したんだもの。さすが、第七席よね」
リリアの袖の数字を指先でつつき、悪戯っぽく微笑む。
「え? あの、わたしが『7』が好きな数字だから、七席にしてくれたんですよね?」
「そうなのだけど、番号一桁の団員は、名将や勇者、剣聖と呼ばれる人たちばかりなのよ」
「ええっ? それは……荷が重い……」
「大丈夫よ。あなたは間違いなく竜殺しだし、自由都市でのことも、全部聞いてるわ」
手が、ぽんと頭に乗った。
「よく、がんばったわね」
喉の奥が、きゅっと詰まる。
「……でも、お母様は、まだあの家に残っています」
頭から、手が離れる。
「力ずくで連れ出せばよかった。……そういうことかしら?」
リリアは、目を見開いた。
「ど、どうして、それを……」
「連れ出すだけなら、あなたにはできたわ。でも、お母様が自分で出ると決めなければ、きっと、また同じ檻に戻ってしまう」
「……はい」
「焦らないで。これからよ。……あなたなら、大丈夫」
メイが、リリアを抱きしめる。
じんわりと、胸の奥が温かくなった。
荷車の列の向こうで、鍋を抱えた娘が足を止めた。
「……テオ?」
鍋が、草の上に落ちる。
しゃがみこみ、ドレイクの素材を査定していた青年が、振り返った。
「トゥーリ! 無事だったか」
「それ、こっちの台詞だよ!」
駆け寄ったトゥーリが、テオの胸をどんと叩く。
「うっ、トゥーリは相変わらずだな。痩せもしてないし、元気でよかった」
「痩せもしないって、余計だよ! 遠征軍のご飯が美味しくて、食べすぎただけなんだから」
「ああ、それで少し、ふくよかに……って、痛っ! つねるなって!」
リリアは、しばらく二人を見つめていた。
「あら、羨ましいの?」
「いえ、お二人が無事に再会できて、よかったなって。それだけです」
「ふふ、わたくしはリリアと再会できて、うれしいのよ」
リリアの耳が赤く染まる。
「あ、あの、わたしも、です」
「よかったわ。……じゃあ、一晩、語り合いましょうか。まずは、剣で、みっちり」
「はい! ……え、剣?」
「長剣の打ち合いと、オーラブレイドを出す練習。……ああ、楽しみだわ」
メイの瞳が輝いている。
(……スパルタって、ほんとうだった)
◇
満天の星の下、二人の剣士が打ち合っていた。
虹の帯が引かれ、光の粒子が散る。
「ねえ、テオ。剣で虹を引けるんだね……」
「ああ、綺麗だな」
「ん? それ、メイ様? リリアさん?」
「違う! あの剣のことだよ」
リリアの手にあるのは、メイから渡された真銀の長剣だった。
『7』の刻印が打たれた、専用剣。
メイの刃が、軽く触れる。
それだけで、長剣が弾かれた。
ひたすらに打ち合い続ける、二人。
時折、目が合い、微笑みを交わしあう。
焚き火のはぜる音が、遠のいていく。
野営地のざわめきも、夜風も。
足もとの草の感触が、消えた。
気がつけば、星の中にいた。
上も下もない。
見渡すかぎりの闇に、無数の光が散らばっている。
メイの剣が、虹の帯を引く。
その軌跡がゆっくりと渦を巻き、遠い星雲のようにほどけていく。
打ちこむ。
受けられる。
刃と刃が触れるたび、光の粒が生まれ、闇の奥へ流れていく。
時間が流れているのか、止まっているのか、わからない。
リリアは、息をすることすら、忘れかけた。
(……ずっと、ここにいたい)
ただ、メイの剣だけが見える。
次にどこへ来るのか。どこが空いているのか。
考えるより先に、体が知っている。
握った長剣が、ふっと軽くなった。
刃の先まで、自分の一部になる。
白い光が、刀身をなぞった。
「――掴んだわね」
声が、すぐそばで聞こえた。
草の匂い。焚き火の煙。
手の中の長剣に、細い光が残っていた。瞬きのうちに、消える。
拍手が、起こった――。
時が、流れ出す。
祈りを捧げる者。
涙を流す者。
「剣舞、美しかった……」
「二人は女神様じゃないのか」
リリアの鼓動が、速い。
「い、いまの……」
「今日は、ここまでにしましょう。明日に響くわ」
焚き火の薪は、まだ燃え残っている。月も、ほとんど動いていない。
(……永遠ってくらい、打ち合っていた気がするのに、そんなに経ってないんだ)
メイが剣を収める。
リリアは、手の中の長剣に目を落とす。
刃の先で、白い星が、ひとつ瞬いた。
第一部 完
※ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
リリアの物語は、これにて第一部完結となります。
第二部は、別作品として連載を予定しています。始まりましたら、こちらでもお知らせいたします。
毎日のアクセスが、最後まで更新の大きな励みになりました。




