第6話 出ても行くところがない
温め直されたフィッシュフライを、リリアはゆっくりと口に運んだ。
湯気の立つお茶が、二人分。
老婆は向かいに腰を下ろすと、何も言わずにカップへ口をつけた。
急かされているわけではない。それなのに、静けさが、リリアに何かを促していた。
「……わたしのお父様、アロフィス・ソルゾラスです」
老婆の手が、止まる。
「竜殺しの二つ名を持つ、自由都市の英雄」
「……そうかい」
驚いた様子はなかった。ただ、カップを置く音が、少しだけ大きかった。
「今日、四人目の奥様が来ました」
「ああ、嫁入りの行列が練り歩いてたね」
「はい。……他にも、屋敷には女の人たちがいます」
言ってから、リリアは口ごもった。
どう説明すればいいのか、分からなかった。
「お父様が、買ってきた人たちです」
老婆は、何も言わなかった。
だからリリアは、思い出したまま話すことにした。
朝、父が食堂へ入ってくる。
女たちが立ち上がって迎えると、父はそれを満足げに見渡した。
「お母様と、他の二人の奥様……以外の女の人は、よく入れ替わります」
カップの中で、茶が小さく揺れる。
「いなくなった人はどうしたのって、お父様に聞いたことがあって」
『リリアはまだ子供だから。「英雄、色を好む」って言うんだけど、難しいかなあ』
「そう言われました」
老婆は、黙って聞いている。
「お母様にも、聞きました」
母は、悲しそうな顔をした。
『他のところで、働いているわ』
「……それだけでした」
窓の外で、波が船腹を叩いた。
「女の人たちは、外に出ません」
リリアは指先でカップの縁をなぞった。
「誰も出ないので、そういうものだと思っていました」
「……」
「三人目の奥様が怒鳴ったことがあります。四人目を迎えるって聞いたとき」
『なんで! あたしが最後の妻にするって言ってたじゃない!』
『ああ、どうしてもとお願いされたんだ。そこまで女性に求愛されて、断っては男が廃る』
『またそれ! 女ばかり増えてるじゃない! そのくせ飽きたら放り出して!』
「そりゃ怒るだろうね」
リリアは、そこで一度言葉を切った。
「お母様は、笑おうとしていました」
扇の骨を握る指先が、白くなっていた。あれを見たのは、あの日が初めてだった。
「わたしが、お父様が怖いし、変ですって言ったら」
『……ごめんね、リリア。……私にも、わからないことが多いの』
なぜ、と聞きたかった。
泣きそうな顔をしていたから、聞けなかった。
「……それで、決めたんです」
老婆は、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと言った。
「あんたは、どうしたいんだい?」
「え……?」
「母親のように生きるか、違う生き方をするか」
リリアは、はっと顔を上げた。
「……あそこに、いちゃいけないんです」
言葉が、少しずつ出てきた。
「お母様も、みんなも。わたしも」
カップを両手で包む。
「でも、出ても行くところがないから、誰も出ないんです」
今日、それが分かった。
宿はどこも泊めてくれなかった。お金があっても、女一人だと駄目だった。
「沿岸区は……逃げた人たちが暮らせる場所があると、屋敷の女の人に聞いたことがありました」
リリアは、顔を上げた。
「……それで、来たんです」
老婆は、ふう、と息を吐いた。
「そんないいもんじゃない気がするがねえ」
それから、膝をぽんと叩く。
「まあ、心当たりがないわけじゃないよ」
リリアは身を乗り出した。
「本当ですか?」
老婆は立ち上がると、壁際の白銀の甲冑へちらりと目をやった。
「さて。それじゃあ、あの甲冑の持ち主に、頼み事の一つもしてみるかね」




