第5話 冷めたフィッシュフライ
老婆が席を立ってから、もうしばらく経つ。
部屋には、リリア一人。
波の音だけが、規則正しく床下を叩いていた。
ランプの灯りが、天井の低い部屋を橙色に染めている。
(おばあさん、戻ってこないな……)
リリアの食事の手は、いつの間にか止まっていた。
テーブルの真ん中では、フィッシュフライがすっかり冷めてきている。
立ち上がり、そっと部屋の扉に近づく。
微かに、話し声が聞こえた。
『では、この娘の捜索協力、頼んだぞ。見つけ次第、報せてくれ』
『はいよ。……この額なら、悪い話じゃないねぇ』
「……っ」
息を呑む。
『くれぐれも、内密にな。妙な噂が立っては困る』
『分かってるよ。口の堅さだけは、昔から評判さ』
――外扉が閉まる音。
(娘? 捜索って……)
心臓が、どくんと跳ねた。
(逃げなきゃ。でも、どこへ――)
窓の外には夜の海。逃げ場なんて、どこにもない。
パタパタと、老婆の足音が近づいてくる。
リリアは慌てて椅子に戻り、フォークを握った。
冷えた衣が、指先に硬く当たる。
扉が開く。
老婆の手には、一枚の紙が握られていた。
「あんた、追われてたんだね」
その声には、笑いがなかった。
リリアは、何も言えなかった。
「港でロープ投げて目立ったろう、あんた。そりゃ聞き込みの一つや二つ、来るさ」
老婆は紙を握ったまま、じっとリリアを見ている。
「見つけたら報せる、と言っておいたよ」
立ち上がれなかった。
(この人も、あの報酬で……)
老婆はゆっくりと背を向け、竈の方へ歩いていく。
そして、紙をぐしゃりと握りつぶした。
「若い娘が大金かけて追われてるって話、まともじゃないねぇ」
火の中へ、放り込む。
紙が、じりじりと燃えていく。
「え……」
「嘘に真実を混ぜときゃ、ああいう手合いは疑わないのさ」
燃え尽きた欠片が、ふわりと宙に舞う。
リリアの目に、じわりと涙が滲んだ。
「どうして……」
「言ったろう。うちは、そういう子ばかり泊めてきたんだ」
張り詰めていた何かが、すっと緩んでいく。
安堵と、気恥ずかしさが同時にこみ上げてきて、リリアは俯いた。
――けれど。
椅子から立ち上がった。
「……わたし、出ていきます」
「なんだって?」
「おばあさんに、迷惑がかかります」
声が、思ったより小さく震えた。
「馬鹿言うんじゃないよ」
老婆はリリアの頭をぐいと押して、椅子に座らせた。
「この家がどこにあるか、忘れたのかい。いざとなりゃ、綱を切って、家ごと逃げりゃいいのさ」
あっけにとられるリリアの前で、老婆は冷めたフィッシュフライの皿を手に取った。
「これは温め直してやる。その代わり――」
じろりと、リリアを見る。
「事情は話してもらうよ。でないと、対策しようもないからね」




