第61話 神判
「遅れました。すみません!」
まるごと借り切った、市街区でいちばん大きな宿。
その居室に、リリアは息を切らして駆けこんだ。
食卓には、焼きたての白パンに、薄切りの燻製肉とチーズ、砂糖漬けの柑橘を盛った銀の皿が並んでいる。
「あら、朝の訓練?」
「は、はい。最後の瞑想で、つい、時間を忘れて……」
「うふふ、スープを温めなおすわ。その間に、その手紙に目を通しておいてね」
金髪をゆるくまとめたセシリアが、鍋に手をかざす。
すぐに、白い湯気が立ちのぼりはじめた。
その隣では、黒ずくめのリオルが、角のついた兜を脇に置いたまま、膝の上のノエルに果物をすりつぶして食べさせている。
「手紙? わたしに、ですか?」
「ええ。リリアちゃんのお父様から……というか、教会からね。決闘のお誘いよ」
リリアは、席に着くのも忘れて、食卓の紙を手にとった。
『英雄アロフィス・ソルゾラスは、冒険者ナナを、娘の名を騙る偽物と申し立てた。
その妻フィデリア・ソルゾラスは、冒険者ナナを、娘リリアーヌと証言した。
相反するゆえ、三日後の正午、教会前広場にて、神判により真偽を決する。英雄アロフィス・ソルゾラス、みずから剣をとる。
神判の場における生死は、すべて女神の御心に委ねる。
応じぬときは、冒険者ナナを偽りとし、妻の証言もまた偽りとみなす。
司教マルドゥク』
「お母様が……!」
思わず、声が出た。
「私は、断るつもりよ」
セシリアの声は、いつもどおり柔らかかった。
「神判なんて持ち出したということは、追い詰められているのはあちら。受ければ、向こうの思うつぼ」
「勝てる何かを用意している」
リオルが、ノエルの口元を布でぬぐいながら言う。
「……でも、受けなかったら、お母様の言葉が、嘘にされてしまいます」
「そこよね。断れば、フィデリア様に『偽証』の罪を被せるつもりでしょう」
リリアは、紙を握りしめた。
「お母様が、お父様とぶつかることを選んだのは、きっと、初めてなんです。だから、わたしが受けます」
「生死を女神に委ねる、の一行は読んだ?」
「読みました。わたしは、お父様を殺しません」
「……そう。ただ、それだと、リリアちゃんだけ条件が悪いわ」
「それなら、わたしが勝ったら、教会はもう、罪人を匿わないこと。罪人を匿ったことを謝罪すること。その条件なら受けると返事します」
「うふふ、刺激的ね。負けたほうを罪人にするのだから、教会も受けざるをえないでしょう」
◇
三日後の正午。
教会前広場は、石畳が見えないほどの人で埋まっていた。
「英雄様と、娘を名乗る女の神判だってよ」
「どっちに賭ける?」
「そりゃ英雄様だろ。竜殺しだぞ」
「でも、あの子、傭兵を十人以上転がしたって……」
人垣が、ざわりと割れる。
その真ん中を、リリアは歩いていく。
今日は、フードもかぶっていない。黒茶の髪が、陽を受けて揺れた。
「あ、あの子だ!」
「英雄の娘さん!」
「がんばれー!」
女たちの声が、あちこちから飛んでくる。
リリアは、少しだけ頬を熱くして、まっすぐに前を向いた。
警備隊に守られた即席の貴賓席には、セシリア・ドゥルセとリオルの姿も見える。
教会の階段の上には、司教マルドゥクが立っていた。
白い法衣に、金糸の縫いとり。左右には、聖印を胸に刻んだ聖騎士が二人。
「女神の御名において、告げる!」
広場が、静まりかえる。
「これより、英雄アロフィス・ソルゾラスと、冒険者ナナの神判を執り行う。偽りの者には、女神の裁きが下るであろう」
マルドゥクは、手にした紙に目を落とした。
「なお、冒険者ナナより、申し立てがあった。ナナが勝利したときは、当教会はアロフィス殿を偽証者とし、庇護を解く」
どよめきが、広場を走る。
「英雄様が負けたら、捕まるってことか?」
「負けるわけないだろ」
リオルがセシリアに耳打ちした。
「司教のやつ、『当教会は』と言ったな」
「ええ、範囲を限定して、逃げ道を用意したのね」
ぎい、と重い音がした。
教会の大扉が、ゆっくりと開いていく。
光が、あふれた。
階段の上に現れたのは、黄金の鎧をまとったアロフィスだった。
陽の光とは違う、白い光が、鎧の継ぎ目から脈打つように漏れている。
手にした長剣までもが、淡く輝いていた。
「おお……なんと、神々しい」
「英雄様に、女神様がついている!」
歓声が、地鳴りのように湧きあがる。
アロフィスは、片手を上げてそれに応えると、ゆっくりと階段を下りてきた。
一段ごとに、石が軋む。
セシリアが、夫の袖を引く。
「あの光、聖遺物よね?」
「ああ、エテルドの鎧だな。ここにあったか」
(なに、あの光……)
リリアの肌が、ぴりぴりと粟立った。
これまで戦ってきた誰とも、違う。
アロフィスは、広場中央で足を止めた。
「ナナ。偽物の君に、恨みはない。……だから、せめて、一撃で終わらせてあげよう」
「わたしは、偽物じゃありません」
「女神が、決めてくれるさ」
マルドゥクが、手を振りおろした。
「女神の御前にて、始め!」
次の瞬間、黄金が目の前にいた。
考えるより先に、体が跳んでいた。
轟音。
さっきまで立っていた石畳が、粉々に砕けて宙を舞う。
着地したリリアの頬を、石の破片がかすめた。
ひとすじ、血がにじむ。
砕けた石畳の真ん中で、父が剣を引き抜いていた。
白い光が、刃の上でゆらめいている。
(速い……これ、人の力を超えてる)




