第60話 自分でやりますから
「フィデリア様、司祭様をお待たせしているわ。お早く」
「レナリル、急かすなよ。まだフィデリアが書いているだろ」
夜の英雄邸、第一夫人の部屋の前。
引き締まった小麦色の腕を組んで、第三夫人ゼフィーラが入口を塞いでいる。
その前に立つ第二夫人レナリルの黒髪が、灯りを受けて、うっすらと紫ににじんだ。
わずかに開いた扉の隙間から、第一夫人フィデリアの声が聞こえてくる。
「レナリル様、お待ちになって。大切なものですから、封蝋をしますので」
レナリルは、誰にも聞こえないほど小さく舌打ちした。
「封蝋はこちらでいたします。書き終えたら、そのまま、お渡しくださいな」
「私の責任で書くんですもの。自分でやりますから」
レナリルは、微笑みを崩さないまま、声だけを低くする。
「書くべきことは、もうおわかりですわね。冒険者ナナは、娘の名を騙る偽物。……旦那様が捕まれば、フィデリア様のお立場もなくなりましょう?」
横から、ゼフィーラが鼻を鳴らす。
「あんな男、終わったっていいさ」
「あら。妻の言葉とは思えませんこと」
「あんたこそ、アロフィスを愛しちゃいない。そもそも、他人を信頼しないだろ?」
レナリルは、ほんの一拍だけ黙る。
それから、すっと目を細めた。
「愛とか信頼とか……ゼフィーラ様は、可愛らしいことをおっしゃる。それとも、ご自分には、まだおありなのかしら?」
「好きだったさ。……最初はな」
「もうお好きでないなら、出ていかれればよろしいのに」
「あたしが引き取った五十人を、置いていけるかよ」
扉が開き、封書を手にしたフィデリアが姿を見せる。
色白の頬に、黒茶の髪がひと筋かかっている。大きな瞳は、少しも揺れていなかった。
「ほらほら、二人とも喧嘩しない。ちゃんと、本当のことを書いたわ。司祭様に渡してきましょう」
「では、私がお届けします。お預けください」
レナリルが封書に手を伸ばすと、ゼフィーラが割り込み、遮った。
「一番信用できないやつに託せるか。フィデリア、一緒に行こう」
「ええ、みんなで行きましょう」
二人の背を見送りながら、レナリルは唇をかむ。
(差し替えるどころか、確認すらできなかった。あの、筋肉女のせいで!)
◇
教会の奥、窓のない一室。
燭台の灯りの下で、アロフィスは何度目かの溜め息をついた。
広場から教会に引き取られて、すでに日が暮れた。門の外には警吏が張りつき、一歩でも出れば捕らえられる。
向かいの椅子では、司教マルドゥクが、ゆったりと茶をすすっている。
「あの娘は、果たしてナナなのか、リリアーヌなのか。いずれにせよ、アロフィス殿より、英雄に向いておるかもしれませんな」
「……どういう意味です?」
「若き日のあなたは、素晴らしかった。若くて見栄えのよい少年が、竜を狩り、声高らかに民衆を盛り上げ、この都市に富をもたらした」
マルドゥクは、茶器を置いた。
「あ、いや、竜狩りは、フィデリア様の功績でしたかな。失礼」
アロフィスの頬が、ひくりと引きつる。
「あの者、あなたの娘を名乗っておりますし、あとを引き継がせてはいかがです? 罪人を匿うのも、いつまでも、とはいきませんからな」
「僕は罪人ではない!」
アロフィスは、椅子を蹴って立ちあがった。
椅子が、大きな音を立てて床に倒れる。
「あの娘のどこが、リリアーヌなんだ。リリアーヌは、もっと子供だ! あんなに戦えるわけないだろう!」
マルドゥクは、倒れた椅子をちらりと見ただけで、すぐにアロフィスへ目を戻した。
「ほう? アロフィス殿の娘ではなく、戦いを教えたわけでもないと?」
「ああ、どの道、女はいずれ嫁に出すだけだ。下手に知恵をつけさせたら、そのうち妻たちと争いかねないからね」
「ゆえに、あの娘は違うと」
「断言するよ。リリアーヌは、ただ大人しいだけの、平凡な子供だ。あれは妻に顔が似ているだけの、ドゥルセが用意した偽物だ」
「ふむ、そうですかな。女遊びばかりして、家を見ていないから、わからないのだと聞きましたぞ」
「……僕を見下すような発言は、いただけませんね。僕あっての自由都市で、僕あっての司教様です。後悔しますよ?」
「僕あっての? どの口が……。すでに後悔しておるわ」
マルドゥクの声から、丁寧さが消える。
「計画が丸潰れだ。お前は、品行方正に生きておればよかったのだ。なにが、みんなを幸せにする、だ。公爵家とドゥルセが動かぬうちに、この都市を手中に収める計画が、お前の異常性のせいで、全部、露見したわ」
吐き捨てるように、続ける。
「しかも、娼婦なんぞを壇に上げおって。教会の前を、客引きの場にするつもりか。あの女は、屋敷へ送り返しておいたぞ」
「なっ……オルメーヌは、僕が買い上げた女だ! 勝手な真似を――」
「黙れ」
マルドゥクは、扉の方へ顎をしゃくった。
「門を開けてやろうか? 警吏が、首を長くして待っておる」
アロフィスの拳が、震える。
しばらくして、倒れた椅子を自分で起こし、腰を下ろした。
「……では、どうしろと言うのです」
「本当に偽物なら、偽物だと証明することだ。さすれば、あちらが偽りとなる」
マルドゥクは、椅子の背にもたれた。
「奥方のもとへ、司祭を遣わしてある。冒険者ナナは娘ではないと、奥方の証言が得られれば、教会が証人となろう」
アロフィスの口元に、ようやく笑みが戻る。
「フィデリアなら、大丈夫です。彼女は、僕の妻ですから」
扉が叩かれたのは、それからまもなくだった。
入ってきた司祭が、封書を差しだす。
「奥方がたが、三人おそろいでお渡しくださいました。封蝋も、奥方ご自身で」
マルドゥクは封蝋を割り、紙片に目を落とす。
しばらく黙ってから、それをアロフィスの前に置いた。
『銅等級冒険者ナナと、娘リリアーヌ・ソルゾラスは同一人物です。 フィデリア・ソルゾラス』
アロフィスは、紙片を見つめたまま、動かない。
「な……なぜだ? フィデリアまで……? レナリルはなにをしていた!?」
「奥方も、証言しておりますな。……これはもう、罪人として突き出すほかあるまい」
(く……罪人の烙印がついたら、お終いだ)
「お待ちください! マルドゥク司教様、僕が捕まると、競りの収益をお渡しできなくなります」
マルドゥクが、片眉を上げた。
「……ほう」
「競りは、もうすぐです。若い女ばかり揃えてあります。収益の、半分を教会に」
「ふむう……半分、と。それでは謝意が不足しているのではないですかな」
「……いえ、八割を」
「八割、間違いないですな?」
「……はい」
「よろしい。それならば、この件に関しては、決闘で真偽を決める手がございますぞ」
「あの監察官や、警吏が従うとは思えませんが……?」
「今回は、別です。父親と母親の言い分が真っ向から分かれており、五分五分。ならば、教会が裁定に入れる」
「しかし、あの娘は、傭兵たちをあっという間に……」
「心配召されるな」
マルドゥクは、薄く笑った。
「神判で勝つ者は、はじめから決まっておりますゆえ」




