第59話 強くて可愛い
市街区でいちばん大きな宿の前で、女が二人、足を止めていた。
「本当に、ここだよね?」
「私、痣ないけど……痣のあるお客さん、相手したんだよね……診てもらえないかな」
門の前に立つ私兵が、声をかけた。
「検査をご希望の方でしたら、どうぞお入りください」
「いいんですか?」
「はい。なるべく、どなたもお通しするよう申しつかっております。階段を上がって、奥です」
本来は貴族や豪商を泊める宿だ。磨きあげられた手すりに、足音を吸いこむ厚い絨毯。廊下には、居住まいを正した私兵が等間隔に並んでいる。
二人は身を寄せあうようにして、階段を上った。
二階の廊下では、長椅子に女たちが並び、座りきれない者は壁にもたれて順番を待っている。
「聞いた? 昼にあった教会前広場の話」
「あたし、行ったよ。傭兵が十人以上、女の子ひとりに転がされたんだ。その子が強いのなんのって」
「えーっ! それ見たかったなあ」
「しかも、英雄アロフィス様の娘じゃないかって」
「え? 英雄様、捕まりそうになって教会に逃げこんだって聞いたけど?」
「ああ、それは本当だよ。痣消しに金貨一枚だってのに、人集めてさ。……ざまぁないよ」
その声は、扉一枚へだてた治療室にも漏れてくる。
リリアは、銀の盆に小瓶を並べながら、聞こえないふりをした。
髪は、メイドの頭巾の中にまとめてある。たぶん、バレない。きっと。
扉が開き、女が二人、連れだって入ってきた。
細身のほうの診察は、すぐに済んだ。二の腕の痣を一目見て、リオルが薬の小瓶を渡すまで、ほんの数呼吸。
残された付き添いの女が、おずおずと前に出る。
「あの……私も、痣はないんですけど診てもらえますか。しばらく前に相手をしたお客さんに、まだらの痣があって……」
「正解だ。心当たりがあるなら、検査するべき」
黒ずくめのリオルは、女を寝台に座らせた。
「口と目を見る。口を大きく開けて、瞼をめくってくれ」
兜の額の目玉が、淡く光る。
女の口の中を、それから瞼の裏を、じっと見つめた。
「……ごく初期だが、病にかかっている」
女の顔から、さっと血の気が引いた。
「俺たちとしては転職を勧めている。無理強いはしないが、どうだ?」
「……私、今の仕事しかできなくて。でも、怖いし……やめたいです」
「その意思さえあれば、十分だ。沿岸区は再開発で、いくらでも人手が要る。学ぶ場も用意してある」
「あ、あの……お願いします」
リオルは小さくうなずき、カルテに書きつけた。
「帰りに、隣の部屋へ寄ってくれ。薬を渡す。転職の説明を受けたら、支度金も出る」
付き添いの女が、ほっとしたように頭を下げると、細身の女は、小瓶を握ったまま口を開いた。
「あの……あたしは、この仕事続けたいんだけど、薬あれば大丈夫かな?」
リオルは目を上げずに答えた。
「免疫ができない……つまり、何度でもかかる病だ。娼婦を続けるなら、また、なる可能性は高い」
「薬、なくなったら、どうすればいい?」
「ここを開けておくのは、せいぜい二、三日。だから、転職を勧めているんだ」
「そんな……。あたし、やめられる気がしないよ」
「それなら、次からは沿岸区のシスター・マルダのところに行け。口の悪い婆さんだが、行き場のない女の世話を生きがいにしている変人だ」
リリアの手が、止まる。
(浮き家の……おばあちゃん?)
「でも、沿岸区って、関門で止められるんじゃ……」
「いまは、住人と仕事の関係者以外は、基本的に入れん。都市外の桟橋から、渡し船で行くといい」
リオルは、ようやく顔を上げた。
「渡し船に、シスター・マルダの浮き家と伝えろ」
女たちは、その名を口の中で繰り返しながら、扉へ向かう。
リリアが扉を開けて、二人を送りだす。
ふと、細身の女が何かに気づく。
「あの、もしかして……昼間、広場にいた、英雄の娘さんですか?」
「あ……はい」
「うわあ、やっぱり! すっごい、かっこよかった!」
「あの! ありがとう! もう少しで騙されるところでした! 金貨一枚なんて、毎回、払えないし……」
女たちの勢いに、リリアは目を瞬いた。
「あっ、ええと。よかった、です。お役に立てたみたいで……。お大事にしてください」
ぎこちなく笑うと、女たちは顔を見あわせ、声をそろえた。
「可愛い!」
「強くて可愛いなんて、ずるい!」
はしゃいだ声が、廊下の向こうへ遠ざかっていく。
治療室に、静けさが戻った。
リオルが、空いた棚に小瓶を補充しながら、ぼそりとつぶやく。
「ほどほどに、と言ったはずだが……ずいぶん、目立ったようだな」
リリアが首をすくめた、そのとき。
扉が開き、外套を脱ぎながら、セシリアが入ってきた。
「うふふっ、だいぶ暴れたわね」
「ご、ごめんなさい」
「いいえ、予想以上よ。リリアちゃんが、アロフィス様の狙いを全部潰してくれた。長い目で見て、命が助かる人は、相当に増えたはず」
「そうでしょうか……?」
「そうよ。カリスマというのはね、みんなが熱狂しているから生まれるものでしょう?」
「……はい。父の武器って、それだったんですね」
「ええ。それを強くて可愛い女の子が、声を大にして全否定したのだから……」
「セ、セシリアさんまで……」
リリアの頬が、かっと熱くなる。
「本当よ。それに、オーラを乗せた声も出せたなんて、知らなかったわ」
「必死だったので、そんなことできてたかは……」
「十三歳のあなたが、大勢の大人たちを相手にがんばったんだもの。疲れたでしょう?」
そう言うと、セシリアはリリアの体を、ぎゅっと抱きしめた。
甘い、焼き菓子の香りが鼻先をくすぐる。
(……やわらかい)
抱きしめられて、はじめて、自分の指先がまだ震えていたことに気づいた。
セシリアの手が、頭巾の上から、ゆっくりと頭をなでる。
「可愛いわ。うちの娘にならない?」
「あっ……あの、うれしいですけど……お母様がいるので……」
「あら、残念。ノエルの、いいお姉ちゃんになりそうなのに」
微笑むセシリアの肩に、リリアは額をあずけた。
「おい、二人とも。じゃれついているところ悪いが、外にまだ十人待ってる。俺は腹が減ったんだ、急いでくれ」
「あらあら、ごめんなさい、リオル」
セシリアが、くすくすと笑いながら腕をほどく。
つられて、リリアも小さく笑った。
指先の震えは、もう止まっていた。




