↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄ハーレム、崩壊記〜その娘が父の裏の顔を暴き、超えるまで〜  作者: 水戸直樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/71

第56話 割れた封蝋

 封蝋は、すでに割られていた。


 赤い蝋のかけらが、母屋の居間の卓にこぼれている。英雄アロフィス・ソルゾラスは長椅子に足を投げだし、開いた便箋を指先でつまんでいた。


「リリアーヌが、自分で届けに来たわけではないのか」


「ギルドからの配達です。預け主は銅等級の冒険者で、匿名です。旅先で頼まれた、とのことでした」


 家令が、頭を下げたまま告げる。


「銅等級ねえ。匿名じゃ、どこにいるかも分からないな。……まあ、いいか」


 アロフィスは便箋をひらひらと振り、家令を下がらせた。


「お母様へ。……悪い病気が、ね」


 向かいの長椅子で、第二夫人レナリルが扇を閉じる。

 その膝には、くしゃりと丸めた紙が一枚。


「同じ話なら、昼から町じゅうで聞けるらしいわ。ドゥルセが焼き菓子と一緒に、ばらまいてるって」


 広げられた包み紙に、青黒い痣。抱きあう男女の影に、大きな✕印。


「娼館を潰した言い訳ね。慈善家のドゥルセは分かってないわ。金はあるのに、娼館を一つももたない。女を痛めつける客が多いのだから、痣なんて当たり前。気が触れる女がいるのも昔から」


 レナリルは、包み紙を卓に放った。


「……それを新たな病だなんて。よくできた筋書きだこと」


「根も葉もない噂に惑わされて母親に手紙なんて、リリアーヌもまだまだ子供だね」


 アロフィスは、便箋を包み紙の上に重ねて置く。

 レナリルの目が、宛名の一行をなぞった。


「アロフィス、あなた娘に嫌われてるの? 宛名も母親にしかないわよ」


「一時の反抗期だろう。男親なんて、そんなものさ」


「で、その手紙、どうするつもり?」


「フィデリアを不安にさせるだけだ。彼女は怖がりだから」


「ふふ、ますます相手してもらえなくなるものね」


「……っ! そんなことないよ」


 投げだしていた足が、床に下りた。


「あら、禁句だった?」


 レナリルは扇を開いて、口もとを隠す。


「いや、どうも君にも誤解されているようだ」


 アロフィスは便箋をつまみあげ、立ちあがった。


「フィデリアに、手紙を渡してくるよ」


 ◇


 第一夫人の部屋。

 窓辺の椅子で、フィデリアは針を動かしていた。


 膝に広げているのは、淡い若草色の布。袖を落とし、裾を詰めれば、ゼフィーラが連れてきた子たちにも着られる丈になる。


 かつて、自分が袖を通したドレス。


 卓の上には、同じように仕立て直した服が、もう三着たたまれていた。


 壁際には、侍女が二人、置物のように控えている。


「フィデリア様がわざわざ、奴隷などの服を縫わなくても……」


「いいのよ、私が好きでやっているんだから。それに、あの子たちは奴隷じゃないわ」


「……そうですか。お手伝いできなくて、申し訳ございません」


「気にしないで。あなたたちにも事情があるのでしょう」


 侍女は、それきり口をつぐんだ。


 扉が叩かれる。

 フィデリアは針を布に留め、立ちあがった。


 細く開けた扉の向こうに、夫が立っていた。


「なあ、君に渡したいものがあるんだが」


「なにかしら? 珍しいわね」


「いや、僕たちにとって大事なものだからさ。夜、二人きりの寝所で渡そうと思うんだ」


「……そういうのはいいわ。帰って」


「意地を張らないでくれ。ずっと待ってるんだ」


「あなたは、なにも待ってないわ。増え続ける女たちの世話、誰がしていると思ってるの? 四番目の夫人も見ないけど、どこにいるの?」


 アロフィスは、目を逸らした。


「……リリアーヌからの手紙だ。それを渡したかった」


 差しだされた便箋に、フィデリアの視線が落ちる。

 割れた封蝋。


「……! ちょっと、封蝋、勝手に開けた?」


「中身を確認しないと、本物か分からないだろう」


「……最低だわ」


「最低だと? 誰が君を養ってるか、わかってるのか! 女のくせに!」


 アロフィスが、一歩、前に出る。


 ゴッ


「うっ!」


 見えない壁に弾かれたように、アロフィスは額を押さえてのけぞった。

 指から離れた便箋が、ひらりと床に落ちる。


「……また、その壁か! いい加減にしてくれ!」


「私にも、どうしようもないわ。反射的に出るんだもの」


「都合のいい反射だな! 君はずっと妻の役割を果たしていない!」


「こうなったのは、あなたのせいでしょう」


「女を囲ってたくらいで……!」


「……ごめんなさい。下がるわね。しばらく顔を見せないで」


 フィデリアは身をかがめて、床の便箋を拾いあげた。


「待て!」


 手を伸ばしたアロフィスの指は、なにかに跳ね返された。


「くっ……君が務めを果たすようになるまで、二度と外に出さないからな!」


 扉が閉じる。


 室内の侍女たちは、何も見なかった顔で立っていた。


「少し、休むわ」


「かしこまりました」


 天蓋の帳を下ろす。

 厚い布一枚で、部屋の灯りがやわらかく遠のいた。


 寝台の上で、便箋を開く。


『お母様へ』


 見慣れた、少し右に傾く文字。

 しかし、見違えるほどに上達していた。


 最後の一行に、指が触れる。


『リリアーヌ』


 喉の奥で、息が震える。

 唇を強く結び、便箋を胸に押しあてた。帳の向こうで、侍女の衣ずれが、小さく鳴る。


 声は、出さない。

 出さなくても、涙は止まらなかった。


 しばらくして、もう一度、便箋を目の前にかざす。


『女の人たちの働くお店から、悪い病気が出はじめているそうです』


 ほかには、何も書かれていない。父のことも、居場所も、会いに来たことも。

 誰に読まれても困らない手紙。封蝋を割られることまで、あの子は分かっていたのだ。


「リリア、すごい……。男の人の力に頼らず、できることをやってる」


 ささやきは、帳の内側にとどまった。


 自分は、そうではなかった。

 屋敷の奥しか知らない娘。何ひとつ、自分で決めたことがない。

 だから、外の世界へ手を引いてくれる少年が、まぶしく見えた。


『名を上げて、貴族になって、君と結婚する』


 大きな言葉が、大きな愛に思えた。


 それが一途とは程遠いものだと、結婚してすぐに知ってしまったけれど。


『もうしばらく、旅を続けます』


 娘は、誰にも人生を預けていない。

 自分で歩み始めている。


「メイさんにお願いして、正解だったのね」


 女の身でありながら、最高位の白金等級冒険者。

 父や夫に従って生きてきた自分では、娘をこうも導けなかっただろう。


 フィデリアは、自分の両手を見下ろした。


 便箋をていねいにたたみ、枕の下に滑りこませる。

 頬の涙を、指先でぬぐった。


 ――私も、できることを。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。