第51話 娘の首と、同じくらい
城壁の外を、一台の馬車が回っていく。
車窓を、街道沿いの畑が流れていく。
向かいの席のセシリアは、つば広の帽子に、薄いヴェール。淡い色のドレスの膝に、白い日傘を立てかけている。どこから見ても、お忍びで出かける奥様だ。
リリアは、自分の袖口を見下ろした。
セシリアが用意してくれた、紺の侍女服。頭には、小さなつばの帽子。
「今日は、奥様って呼んでね」
「は、はい。……奥様」
ヴェールの奥で、セシリアがくすりと笑う。
その隣では、秘書として同行するイルマが小さな鞄を膝にのせ、帳面をめくっている。
「あの、護衛、わたしだけでいいんですか?」
「あまり大所帯だと、街の普段の顔を見られなくなるのよ。リリアちゃんと、イルマがいれば十分だわ。あと、現地でプロを雇ってあるから」
「プロ……?」
答えのかわりに、日傘の柄が、指先でくるりと回った。
馬車が、街道に入る。
行く手に、市街区の大門が見えてきた。
イルマの話では、英雄の隊は昨日の朝、この門をくぐったという。奴隷を乗せた荷車を、後ろに連ねて。
門の前には、荷馬車と旅人の列。門衛が一台ずつ、荷をあらためている。
順番が来ると、イルマが窓から一枚の書きつけを差し出した。
門衛は面倒くさそうに目を落とし、それから、背筋を伸ばす。
書きつけを両手で返すと、荷台をのぞきもせずに、道をあけた。
(……いまの、なんだったんだろう)
セシリアは窓の外に目を向けたまま、何も言わない。
大門をくぐってすぐ、三人は馬車を降りた。
市街区の大通りは、思っていたより静かだった。
石畳は広く、建物は高い。けれど、壁の漆喰はところどころ剥げ、閉じたままの鎧戸が目立つ。
街頭では触れ役がベルを鳴らしながら宣伝している。
「九日後、大競りだよ! 英雄アロフィス様が賊より取り戻した奴隷! 女と子供、多数」
リリアは、帽子のつばを少しだけ下げた。
人の流れから外れた、軒の深い建物の陰。
セシリアが足を止めると、壁際から、男がひとり現れる。
どこにでもいそうな、地味な男。目に残るところが、ひとつもない。
ただ、手の甲に、治りかけの細いひっかき傷がいくつも走っている。
男は帽子を取り、深く頭を下げた。
「ご依頼いただいた奥様で、ございますね。本日より十日間、我々が守らせていただきます」
「よろしく頼みますわ。期間中、私以外からの依頼はすべてお断りしてくださいまし」
「承知いたしております。それより、ご契約の額はこちらでお間違いないのですか?」
男の手には、封を切った書きつけ。指先が、かすかに震えている。
「あら? 不足でしたかしら?」
「い、いえ! あまりに多いので……」
「これは手つけです。成功報酬は、この倍額をお支払いします。ご希望であれば、みなさんの転居先と、堅気の職もご用意いたしますわ」
「は、ははっ!……全力を尽くします」
もう一度頭を下げ、男は大通りの人波に紛れていく。
瞬きひとつのあいだに、どこにいるのか、わからなくなる。
リリアは、そっと目を閉じた。
屋根の上に、ひとつ。向かいの露店の陰に、ひとつ。少し後ろに、ふたつ。
それから、もうひとつ。さっきの男の気配だけが、どこにあるのか、つかみきれない。
どれも、近づいても来ないし、離れもしない。
(……すごく、隠れるのが上手な人たち)
目を開けると、セシリアがこちらを見ていた。
「どう?」
「五人、です。ひとりだけ、場所がわかりませんけど。……どういう方たちなんですか?」
「この街のことに、とっても詳しい方たちよ。良くも悪くもプロだから、最高の条件を提示したの」
うふふ、と笑って、セシリアはまた歩きだす。
◇
最初に訪ねたのは、裏通りの鍛冶屋だった。
炉の火は落ちかけ、棚の鍋や鋤に、うっすらと埃がのっている。
奥から出てきた親方は、セシリアの身なりを見るなり、眉をひそめた。
「どこの奥様か知らんが、冷やかしなら、よそへ行ったほうがいい。うちには、もうろくに注文がねえ」
「存じておりますわ。枷の注文を、お断りになったそうですね」
親方の顔が、こわばる。
「……そうだ。それからというもの、客にまで嫌がらせがある。あんたも、うちとは関わらないほうがいい」
「言われたとおり、お作りになればよかったのではなくて?」
親方は、セシリアを睨みつけたまま黙っていた。やがて、使いこまれた金床に目を落とす。
「奴隷用の首輪を、二十打てと言われてな。寸法の紙を見たら……うちの娘の首と、同じくらいだった」
それきり、口をつぐむ。
セシリアは、棚の鍋をひとつ手に取った。縁を指でなぞり、底を返して、刻印を確かめる。
「沿岸区に、炉と工房をご用意できます。鍋も、鋤も、鍬もお願いしたい。私たちドゥルセ商会は、あなたのような優秀な職人が欲しいのです」
イルマが、鞄から書類を出して卓に並べる。
「お住まいと、当座の資金もおつけします。ご家族の分も」
親方は、書類とセシリアの顔を、何度も見比べる。
「……ドゥルセ商会って、本物かい?」
「はい。最近、私たちも自由都市に手が回るようになりましたので」
リリアは、ヴェールの向こうの横顔を見上げる。
ケーキを冷やしていたときと、同じ笑み。けれど、鍋の底を確かめるときの目だけは、リリアの知らないものだった。
そのあとも、セシリアは何軒かを回った。
英雄景気に乗らず、細々と帳簿をつけてきた両替商。奴隷を使わず、職人を雇いつづけてきた織物工房。また、奴隷に賃金を支払ってきた皮なめし職人。
どの店でも、最初に尋ねるのは同じこと。
「なぜ、そうなさったの?」
答えは様々だった。
「私どもは信用第一ですから」
「いい品物を作るには、人材から育てなきゃ」
「なんとなく。そうしたかっただけ」
それらを聞いたセシリアは、その美しい目を細めて微笑むばかりだった。
「うふふ、宝物がたくさんだわ」
市場へ向かう道すがら、娼館が立ち並ぶ一角に差し掛かる。
「今日は近づくのをやめておきましょう。リリアちゃんがまだ子供なのもあるけど、かなり強い病の匂いがするわ」
「え……? わたしには何も匂いません」
「……人を殺すほどの病が流行ることがあるの」
「市街区に住んでいましたけど、初めて聞きました」
「本当に怖い病はね、病名がつく前に、かかった人たちごと消えていくのよ。……先を急ぎましょう」
セシリアとイルマは、迷わず道を変えた。
ふと気になって、リリアは後ろを振り向く。
二階の窓から、煙草をふかす女が見えた。
「え……?」
左の腕が、青黒い。肘から指先まで、まだらに。
(殴られたんだろうか……? でも、行かなきゃ)
リリアは、セシリアの背中を追った。
◇
昼すぎ。市場の外れに、木の柵で囲われた一角があった。
柵の中に、五十人ほどの女と子供。
柵の外では、男たちが中をのぞきこみ、指をさしては笑っている。
「あの黒髪、磨けば化けるぞ」
「競りまで、せいぜい太らせとけよ」
リリアは、柵の前で足を止めた。
隅にうずくまる女と、目が合う。
首すじに、細い傷あと。刃物を当てられた跡。
(あの人……収容所で、人質にされてた人だ……)
あのとき、指が勝手に動いた。
助けた、と思っていた。
柵の入口で、番人と、でっぷりした男が話しこんでいる。甘ったるい香水の匂いが、ここまで漂ってくる。
男が、柵の中を顎でしゃくった。番人の手に、銀貨が落ちる。
「首に傷のある女だ。他に傷がないか、競りの前に体をあらためさせてもらおう」
番人が柵を開け、女の腕をつかむ。
女が、首を横に振る。地面に爪を立てる。
「いや……いやです……!」
「商品が、手間かけさせるな」
平手が、女の頬を打った。
女は地面に倒れ、それでも、柵の杭にしがみつく。
番人が、腰の棍棒を抜く。
リリアの指先に、足もとの小石が触れていた。
いつ拾ったのか、わからない。
(また……!)
指が、弾く形に曲がる。
その手首に、手袋の手が重なった。
「リリアちゃん、お待ちなさい」
ヴェールの奥の声は、やわらかいまま。
手首をつかむ力だけが、少しもゆるまない。
柵の向こうで、棍棒が振り上げられる。




