第50話 慰謝料
市街区の大門が、朝日を受けて白く光っている。
門の前には、人だかりができていた。
指輪を光らせた商人。厚化粧の女を連れた、娼館の主。腕の太い、工房の親方。
誰もが、隊列の後ろに続く荷車を、値踏みするように眺めている。
奴隷売買が経済を支えてきた、自由都市の市街区。
ひさびさの大量入荷に、市民たちは沸きかえっていた。
「来たぞ、英雄様の凱旋だ」
「奴隷どもを、スラムの賊から取り戻したんだとよ」
「若い女が、ずいぶんいるらしいじゃねえか」
片手を上げるアロフィスに、大きな歓声。
第三夫人ゼフィーラは、その隣で手綱を握っている。
振り返れば、幌馬車が一台。その後ろに、むき出しの荷車が五台。乗りきれなかった女子供は歩いている。
縄につながれた男たちの列は、ここにはない。
ゆうべは、何も言えなかった。
夫の嘘を聞いても、「……そう」としか返せずに。
荷車の上で、あの少女が、門の向こうをじっと見ている。
石畳。立ち並ぶ店。自分たちを商品として見る、大人たちの目。
「ボロは着てるが見目のいい娘もいるじゃないか」
「ウチの娼館に欲しいもんだ」
ゼフィーラは唇を噛んだ。
(……交渉が苦手とか言ってらんない。守らないと)
「アロフィス」
「ん?」
「この子たち、奴隷じゃないよね? スラムに住んでただけだって、あの子たち言ってたよ」
アロフィスは、人だかりに手を振ったまま答える。
「うん」
否定すら、しない。
「でも、賊から取り戻したのは僕だし。それに、彼女たちの食糧と寝床はどうするの? 君が全員分、養える?」
ゼフィーラは、荷車のほうへ目をやる。
百人近い、女と子供。
金等級の稼ぎでも、ひと月ともたない。
荷車の上の少女と、目が合う。
言葉が、喉の奥でつかえる。
アロフィスは、もう前を向いている。
口の端に、余裕の笑みを浮かべて。
(理屈じゃ、勝てない。……だったら)
「……あんた、浮気したし、嘘もつくよね?」
「え……どうして、急に?」
自信満々だったアロフィスの目が、泳ぐ。
「誠意を見せてほしい。連れてきた奴隷、できるだけ、あたしにつけて。あんたの誠意の分だけ。……養うのは、もちろん、あんただよ」
「え……と、そのあたりは、レナリルに相談しないと。予算がわから……」
ゼフィーラは馬を寄せ、ぐいっと夫の胸ぐらを掴む。
朝の大門。人通りのいちばん多い時間に、ひときわ大きな声が響きわたる。
「あのねえ! 英雄様のくせに、浮気の慰謝料に予算なんて気にするのかい? そんなちっぽけな男じゃないだろ?」
遠巻きに凱旋を眺めていた人々が、ざわめく。
「おい、あれ、アロフィス様と、第三夫人のゼフィーラ様だ」
「あれ? 奥様たちはみんな英雄にぞっこんって聞いてたけど……。嘘だったんか」
アロフィスは、首を横に振る。
「ゼフィーラ、誤解だよ。うん、奴隷十人、君につけるよ」
ゼフィーラは、大袈裟に目を見ひらく。
「え! 奴隷十人って、それだけ? 英雄アロフィスが、十人しか養えないの?」
アロフィスの額に、冷や汗がにじむ。
「わ、わかった! 三十! これで許してくれ!」
「五十人はほしい!」
「む、無理だ! 僕のところに置く若い奴隷が足りなくなる!」
「あんた! また奴隷に手を出すつもりだね! また嘘つくつもりか!」
門の前が、どっと沸く。
「朝からおもしれえ!」
「ゼフィーラ様、頑張れ!」
胸ぐらを掴まれたまま、アロフィスは人だかりへ笑顔を向ける。
それから、降参の形に両手を上げた。
「わかった、五十人、君につける。だから、もう許してくれ」
ゼフィーラは、ぱっと胸ぐらを放すと、人だかりへ向きなおった。
「みんな、聞いたね! 英雄様の約束だよ!」
拍手と口笛が、門の前を満たす。
馬を降りたゼフィーラは、荷車のあいだを歩きはじめる。
最初に足を止めるのは、むき出しの荷台の前。
少女が、荷台の縁をつかんでいる。指先が、白い。
「……お姉さん」
「ほら、降りな。あんたは、あたしと来るんだよ」
少女の目が、大きくひらく。
それから、一台ずつ荷車を回っていく。
母親にしがみつく、幼い兄弟は、まとめて。手を握りあって離さない姉妹も、まとめて。
ひとつの家族を数えるたびに、五十という数が、みるみる減っていく。
最後のひとりを選び終えても、まだ五十人ほどが残っていた。
傭兵たちが、その荷車を門の奥へ引いていく。奴隷市のほうへ。
商人のひとりが、舌打ちをする。
「五十も持っていかれちゃ、たまらんな」
ゼフィーラは、馬にまたがり、手綱を握りなおす。革が、ぎしりと鳴る。
幌馬車の前を通るとき、一度だけ、幌を見上げる。
この中には、アロフィスが選んだ女たちがいるはず。
けれど、誰も顔を出さない。
(……この子らにも、手を出させないようにしないとね)
屋敷へ向かう大通り。
ゼフィーラの後ろに、五十人の列が続いていた。
人通りが途切れたところで、アロフィスが馬を寄せてくる。
ゼフィーラにだけ届く声。
「君のおかげで、教会に渡す分が無くなったよ」
笑顔のまま。
その目だけが、ひどく冷たい。
アロフィスは馬の腹を軽く蹴り、先へ進んでいく。
(……教会?)
朝の日差しが、背中を温めている。
それなのに、首筋だけが、ひやりとする。
◇
沿岸区、閉店後のドゥルセ菓子店。
卓には、湯気の立つ茶と、焼き菓子の皿。
セシリアの腕の中では、娘がすやすやと眠っている。母親と同じ、やわらかな金色の髪。小さな拳を、きゅっと握って。
「市街区から、知らせが届きました」
移住担当のイルマが、紙片を卓に置く。
「今朝、大門で、第三夫人のゼフィーラ様が五十人を引き取られたそうです」
リリアの手が、カップの上で止まる。
(ゼフィーラさん……!)
「残りは、奴隷市の囲いに。十日後に大きな競りがあると、すでに触れが回っています」
「……その子たち、大丈夫でしょうか?」
セシリアは、腕の中の娘に目を落としたまま答える。
「大丈夫とは、とても言えないわね……。この自由都市では、慰みものか、使い捨ての使用人くらいしか道がないの」
赤ん坊が目を覚まし、小さくむずかる。青い瞳が、灯りを映す。
セシリアはその背をやさしく叩き、それから、目を上げた。
「せっかくだし、市街区へ、宝物を探しに行っちゃいましょうか」
「え?」
「競りの前に、見ておきたいものがたくさんあるの。うふふ、リリアちゃん、護衛、お願いできるかしら?」
リリアの指先が、膝の上でこわばる。
市街区。
父の屋敷が、ある街。
名前を変えて、逃げ出してきた街。
「あの……わたし、関門で、父に顔を見られていて……」
「知ってるわ。だから」
セシリアの目が、きらりと輝く。
「お着替えしましょうね。銅の徽章も外して、とびきり、地味に」
リリアの手が、胸元の徽章に触れた。




