↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英雄ハーレム、崩壊記〜その娘が父の裏の顔を暴き、超えるまで〜  作者: 水戸直樹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/71

第49話 反抗期

 西の空が、赤く焼けている。


 隊が収容所を発つまで、ゼフィーラは板壁の陰から動けなかった。

 出発の間際に交わされた声が、まだ耳に残っている。


『アロフィス様、ゼフィーラ様がお戻りになっていません』


『んー、彼女は自由人だからね。前にも、家出して行ったくらいだし』


『待ちますか?』


『いや、彼女の追跡力があれば、すぐに追いついてくるさ。もし、夜に間に合わなくても、新しい奴隷たちがいるから』


 そう言って、アロフィスは顎で示した。自分が選んだ女たちの乗る、幌のついた馬車を。


『承知しました。では、出発いたします』


 それから半日。距離を置いて、隊のあとをつけてきた。


 街道が、二つに分かれる場所。

 古い道標には、片側に自由都市、もう片側に神聖国と刻まれている。


 馬を降りて、地面に膝をつく。


 荷車の轍は、自由都市のほうへ続いている。

 その手前で、無数の足跡が、別の道へ折れていた。


 裸足の跡。すり減った靴の跡。片足を引きずる、年寄りの跡。

 そのあいだを、縄が地面をこすった筋が、途切れずに走っている。

 両脇には、傭兵の馬の蹄の跡。


 足跡はすべて、神聖国の道へ吸いこまれている。


(家族と一緒に暮らせるように、だって?)


 立ち上がり、馬の首筋をなでる。指先が、まだ少し冷たい。

 両手で、自分の頬を一度だけ叩く。乾いた音が、夕暮れの街道に吸いこまれていく。


(普段の顔で、戻るだけ)


 鞍にまたがり、轍の続くほうへ馬を向ける。


 野営地は、街道から少し外れた草地にあった。

 焚き火がいくつも上がり、傭兵たちが鍋をかけ、馬の鞍を下ろしている。


 女たちは並べられた荷車の上で身を寄せ合っている。


 幌の陰で、傭兵から水を受け取る女たちの顔。


 アロフィスが選んでいた女たちは、概ね、似たタイプだ。


 色白の肌に、黒茶の髪。黒茶の、大きな瞳。少し丸みのある、優しい顔立ち。

 第一夫人フィデリアを思わせる女を、選んでいる。


(相変わらず、好みがわかりやすいね)


 いつもの軽口を、胸の内でつぶやいてみる。

 口の端は、少しも上がらない。


「ゼフィーラ!」


 焚き火の輪から、アロフィスが立ち上がって駆けてくる。

 鞍から降りた彼女の両肩に、そっと手を置く。大きくて、温かい手。


「怪我はないかい? 半日も戻らないから、心配したよ」


 眉を寄せた、妻を案じる顔。

 幼少時から男勝りに強く、心配されることのなかったゼフィーラは、この顔に弱かった。


「平気だよ。これくらい」


「それで、追っていたやつは?」


 ゼフィーラは、一拍、黙る。


「……逃げられた」


「君が?」


「煙玉を使われてさ。目も耳も、しばらく利かなくて。そのあと、ずっと探してたんだけど」


「顔は見たのかい」


「……いや。布で隠してたから、見えなかった」


 手綱を握った手のひらが、じっとりと湿っている。

 背後で、馬が落ち着かなげに蹄を踏みかえる。

 答えてから、視線が足もとに落ちていることに気づく。慌てて顔を上げ、手綱を握りなおす。


 夫に、嘘をついた。


「そうか。君から逃げきるとは、よほどの手練れだね」


 アロフィスは、それ以上なにも聞かない。

 笑顔のまま、肩から手を離していく。


「……男の人たちは?」


 ゼフィーラは、来た道を振り返る。

 夕闇の向こうに、もう分かれ道は見えない。


「ああ、先に町へ送ったよ。あとで、家族と一緒に暮らせるようにする」


 同じ声。同じ笑顔。


(ああ、あたしにも、嘘をつくんだ)


 分かれ道の土に残っていた、男たちの裸足の足跡。

 それが、まぶたの裏から消えない。


「……そう」


 それしか、言えない。


「ねえ、ゼフィーラ」


 アロフィスが、声をやわらげる。

 肩から離れた手が、今度は彼女の手を取る。


「いま、大変な時期なんだ。悪い噂を立てられ、沿岸区も横暴な貴族に抑えられてね。君が屋敷に戻ってくれると、とても助かる」


 咄嗟に断ろうとした。

 だけど。


『……奴隷の人たちを守ってください。あの男、アロフィスから』


 リリアーヌの作り笑いが脳裏に浮かぶ。


「……浮気をやめてくれるなら、戻っていいよ」


「あはは、わかった。もう、しないから」


 四人目の妻を迎えると告げられた日と、同じ笑い声。


「……あとさ、リリアーヌにも会わせてくれる?」


 アロフィスが、気まずそうに目を逸らした。


「いや……彼女は、反抗期なのか。しばらく前に、家出したきりなんだよ」


(……やっぱり……あの娘はリリアーヌだ)


 ゼフィーラの唇が、かすかに震える。

 アロフィスは、焚き火のほうを見たままでいる。


 心配だ、とも。探している、とも。その先は、続かない。


「わかった。……びっくりしたけど、仕方ないね。帰るよ、屋敷に」


「ありがとう。君がいてくれると、心強い」


 握られた手に、軽く力がこもる。


 アロフィスの目が、ゼフィーラの身体をなぞっていく。

 日に灼けた首筋から、革鎧に締めつけられた腰へ。鍛えられた脚へ。

 焚き火の明かりを受けて、小麦色の肌が艶を帯びる。


「屋敷には戻るけど、寝室には入れないからね。あんたのことは、まだ許してないから」


「はは……手厳しいな」


 アロフィスは肩をすくめる。


「それと、帰りの道中は、あたしが女の子たちにつく。いいよね?」


「もちろん。君なら安心だ」


 手が離れる。

 アロフィスは、焚き火の輪へ戻っていく。


 夜が更けていく。


 女たちの眠る荷車は、焚き火から離れた草地に並べて停められている。

 ゼフィーラは、そのあいだに腰を下ろしている。


 むき出しの荷台では、女たちが一枚の毛布を分け合い、肩を寄せて眠っている。

 足首には、杭につながれていた縄の痕が、赤く残る。


 焚き火が熾火に変わるころ。

 草を踏む音が、ゼフィーラの耳に届く。


 ひとつ。ふたつ。……四つ。

 忍ばせているつもりの足音が、四方から荷車へ寄ってくる。


(来たね)


 ゼフィーラは、目を閉じたまま動かない。


「……見張りは?」

「ゼフィーラ様なら寝てる。昼間から馬を走らせてたからな」

「アロフィス様が選ばなかった女どもなら、誰も文句は言わねえだろ」


 荷台の縁に、男の手がかかる。

 女の腕を捕らえようとする。


 その手首を、闇の中から伸びた手がつかむ。


 ひねる。

 男の身体が宙で半回転し、背中から地面に叩きつけられる。


「なっ……!」


 二人目が振り向くより早く、その喉もとに肘が入る。

 三人目が、腰の短剣に手をやる。抜く前に、その手を膝で蹴り上げる。短剣が、草むらへ消えていく。

 四人目は、背を向けて逃げだした。

 ゼフィーラは足もとの石をひとつ拾い、闇へ放る。

 鈍い音。それきり、足音は途絶える。


 荷台の上で、女たちが毛布の陰から目を丸くしている。


「……起こしちゃったね。もう少し、寝てな」


 ゼフィーラは、荷車に積まれていた縄束をほどく。

 うめく傭兵たちを一人ずつ数珠つなぎにして、そばの木にくくりつけていく。


 物音に気づいた傭兵が数人、焚き火のほうから顔を出す。

 木につながれた仲間を見て、息をのむ。


「あれが、金等級……」


 誰も、それ以上は近づいてこない。


 深夜。

 幌馬車のほうへ、もうひとつ足音が近づいてくる。

 聞き慣れた、歩幅。


「あ、まだ起きてたんだね?」


「ああ、女たちに手を出す不届き者がいないか、見張ってないとね」


 ゼフィーラは、木につながれた男たちへ顎をしゃくる。


「……あはは、そうだね」


「あんたは、なんか用?」


「いや、君を誘いに……」


「……あんたとは寝ないって言ったよ。それに見張りがある。一緒に見張ってくれるかい?」


「ああ、僕は……君の隣にいて、手を出せないなんて我慢できそうにない。寝るよ」


「……わかった。おやすみ」


 ゼフィーラが別れを告げた瞬間、アロフィスがその腕をつかみ、顔を寄せてくる。


 ゴンっ。


「痛っ!」


 ゼフィーラの額が、アロフィスの鼻にめりこむ。

 ぽたり、と鼻から血が落ちる。


「いきなりキスしようとしないで。それに、あたしのファーストキス奪ったときより、動きがだいぶ遅い。鍛えてないね?」


「あ、ああ……。いたた……。まさか、頭突きされるとは……」


「早く行きな」


「……ああ、おやすみ」


 鼻を押さえながらも、アロフィスの目は笑っていなかった。


 足音が、焚き火のほうへ遠ざかっていく。

 ゼフィーラは、ふうっと息を吐く。頭突きをした額が、まだじんと熱い。


「……お姉さん」


 むき出しの荷台から、小さな声。

 毛布の陰から、あの少女が顔を出している。荷台の縁をつかむ指先が、白い。頬には、乾いた泥の筋。


「起きてたの?」


「……ずっと、見てました」


 少女の目が、闇の中できらきらと光っている。


「お姉さん、強いんですね」


「……まあね」


「あの」


 少女の声が、小さくなる。


「お父さんとお兄ちゃんに、すぐ会えますよね?」


 ゼフィーラは、口をひらきかけて、閉じる。


 夫には、嘘をつける。

 あいつ自身が、嘘つきだから。

 この子には、つけない。


 暗い街道の向こうを見やる。

 分かれ道のはるか先には神聖国。


「……すぐには、無理かもしれない」


 少女の目が、大きく揺れる。

 ゼフィーラは、荷台の縁をつかむその小さな手に、自分の手を重ねた。


「でも、会わせる。あたしが」


 ゼフィーラの口の端が、ようやく、にっと上がった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。